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明治・大正・昭和時代 その日、歴史が動いた

製鉄所から始まった横須賀海軍工廠の歴史 「呉・舞鶴・佐世保」との違いや特徴は?

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「予想と違う展開になった、だがそれがイイ!」
小説や映画などで高評価になる作品には、往々にしてそういう展開がありますよね。
「事実は小説より奇なり」というくらいですから、歴史においてもこの手の話は多々あります。

慶応元年(1865年)9月26日は、横須賀製鉄所の起工式が行われた日です。

後の「横須賀海軍工廠(こうしょう)」として知る人ぞ知る施設ですね。
では、その生い立ちから見て参りましょう。

 

幕府が終了し、明治政府が再利用することに

この頃の「製鉄所」というと、明治時代の産業革命で設立された九州の八幡製鉄所を真っ先にイメージされるでしょうか。

幕末で崖っぷちの江戸幕府は、フランスからレオンス・ヴェルニーという技師を招き、この製鉄所を作りました。
そして戊辰戦争が見えてきたことにより、軍艦を作る造船所に作り変えようと考えます。

が、役に立つ前に戊辰戦争で負けてしまい、幕府は終了。
製鉄所に限らず、幕末は「着眼点は良いが、実行に移すのが遅すぎた」というものが多々見られますね。

幸い(?)明治政府が「ここ、うまく使えばウチらの役にも立つんじゃね?」と考えたため、幕府の遺産は再利用されることになりました。

そして戊辰戦争が終わったばかりの明治元年(1868年)9月に横須賀製鉄所を接収し、改めて造船所に作り変えます。

元が製鉄所=産業に関係するものだったので、当初は工部省の管轄になっていたようです。その後、軍艦を作る比率が増したため、海軍の所属に。
そして明治三十六年(1903年)に「横須賀海軍工廠(こうしょう)」という、勇ましい名前で再スタートします。

明治初期の横須賀製鉄所/横須賀市HPより引用

 

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「工廠」とは? 海軍の船や武器を作る工場+武器庫

「工廠」とは、簡単にいうと海軍の船や武器を作る工場+武器庫といった感じの施設です。
弾薬や銃器類を作る小さな工廠もたくさんありましたが、やはり船を作る施設は規模が大きく、重要視されていました。

造船をメインとする海軍工廠は全部で4ヶ所。それぞれ得意分野があり、だいたい以下のような感じです。

・横須賀海軍工廠……空母
・呉海軍工廠……戦艦
・舞鶴海軍工廠……駆逐艦
・佐世保海軍工廠……軽巡洋艦・駆逐艦

もちろん、どこの工廠でも得意分野以外の艦種も作っていました。

このうち呉海軍工廠では戦艦・大和が建造されたことで特に有名ですね。呉には現在も大和ミュージアム(正式には呉市海事歴史科学館)がありますし。
ちなみに大和の姉妹艦・武蔵はこの4つのどこでもなく、民間の三菱重工業長崎造船所で作られています。といっても、明治初期まではやはり国営だったのですが。

軍艦だけでなく民間用の船も多く作っています。
有名なものだと客船・貨物船として就役し、軍に徴用されて病院船となり、米軍の爆撃で沈められた「ぶゑのすあいれす丸」などがあります。
というか、有名な船が多すぎて書ききれません。ご興味のある向きはぜひググる先生へどうぞ。

 

横須賀では現在も米軍の施設に利用されている

だいぶ話がそれました。横須賀海軍工廠の話に戻りましょう。

戦時中、多くの職人たちの手によって名鑑を生み出した各地の工廠は、戦争が終わると米軍に管理されました。
中でも横須賀は、米軍基地に近いという利便性から、現在も米軍の施設として使われています。また、アメリカ海軍第7艦隊にとっては事実上の母港でもあります。

第7艦隊はアメリカ海軍の中でハワイ~インド洋を担当している部署です。東日本大震災時にトモダチ作戦へ参加した空母、ロナルド・レーガンが所属。2017年現在では、北の某国関連でもたびたび名前が出てきますね。

元横須賀海軍工廠の土地の一部は日本へ返還されましたが、残っているのは幕末から2000年(!)まで使われていた蒸気式ハンマーだけです。これは近隣のヴェルニー記念館に展示されています。
「ヴェルニー」はもちろん、上述の技師の名前です。

「最古の海軍工廠(だった土地の大部分)が今も米軍のものである」というところは皮肉なものですが、他の三ヶ所は日本に返還されました。
それぞれの戦後についても、簡単にご紹介しましょう。

 

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・呉海軍工廠

民間に引き継がれ、現在も稼働しています。
自衛隊が使う艦船の建造はしていないそうですが、修理はたまに行っているそうで。

前述の通り、ここは「大和のふるさと」といってもいい場所ですが、大和の修理を行った「船渠(ドック)」が現存しているのだとか。
多分、やろうと思えば新しい船の建造もできるのでしょうね。

現在の海軍では戦艦よりも空母や潜水艦が重んじられていますので、次の「大和」は戦艦以外に名付けられるのかもしれません。
体外的な刺激が強すぎて、しばらくは候補にもできなさそうですが。

 

・舞鶴海軍工廠

呉と同じく民間に引き継がれました。
こちらは海上自衛隊の船を現在も作っています。そのためか、日本海側最大の造船所でもあるそうです。

舞鶴で作られた船のうち、現在使われているもので著名なのは南極観測船・しらせでしょうか。
不死身伝説の幸運艦・宗谷の後継者にあたる船です。

2017年現在、呉と舞鶴の造船所は「ジャパンマリンユナイテッド」という同じ会社のものとなっています。

世界一タフで強運な砕氷船・宗谷! 太平洋戦争でも沈没せず、戦後は南極観測にも出かけた、その長き生涯

 

 

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・佐世保海軍工廠

どちらかというと舞鶴に近く、民間へ引き継がれ、軍用艦船の建造能力を今も持っています。
歴史的価値の高いものもいくつか残っているそうです。

例えば、ここにある大正二年(1913年)にイギリスから来たクレーンは、戦艦・武蔵の工事に使われたものだとか。

また、ここの第4ドックは元々、大和や武蔵の整備のために準備されたものでした。残念ながら、武蔵が竣工前に一度使っただけで終わってしまいましたが……。

終戦直後に生還した船の一部を解体するという、大切な役目を果たした工廠でもあります。

 

「横須賀-呉-佐世保-舞鶴」の船旅を企画してくれませんかね

やはり、大和ミュージアムがある呉や、海上自衛隊関係のイベントが多い横須賀が有名ですかね。
舞鶴や佐世保で旧海軍や船の歴史を感じてみるのも面白そうです。

船で世界一周旅行ができる時代ですし、いっそ旧海軍工廠を周るツアーとかあればいいのになぁ。
横須賀-呉-佐世保-舞鶴なんて、素敵じゃないですか。

舞鶴を〆にするとおおむね時系列順に歴史をたどれますし、逆にすれば時間をさかのぼる形になります。
国内なら海外旅行と比べて保険や医療にかかるお金も比較的少ないですし、平和教育にもなりますし、どこかの旅行会社で企画しませんかねぇ。

2017年現在、紅葉シーズンに日本を半周する某豪華客船クルーズは13万くらいだそうですから、金額的には実現不可能でもないでしょう。
もし実現したら行ってみたいものです。取材を忘れて気ままに。

長月 七紀・記




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参考:横須賀造船所/wikipedia 横須賀海軍工廠/wikipedia

 

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