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その日、歴史が動いた キリスト教

ヨハネス20世は存在すらしていない!? ちょっとおかしなローマ教皇たち

更新日:

歴史上の”荒唐無稽”なエピソードって、意外と捨て置けませんよね。
人々の経験則から語り継がれた民間伝もなかなか侮れませんし、新たな資料の発見で「実は事実でした」と判明することもありますし。
今回はそんな視点で、とある宗教組織の眉唾(仮)な話を見ていきましょう。

1590年(日本では秀吉時代・天正十八年)9月27日は、ローマ教皇ウルバヌス7世が亡くなった日です。

ウルバヌス7世/wikipediaより引用

 

選出から3日後、脳卒中で倒れるという……

ウルバヌス7世は歴史的な功績は何もないのですが、「教皇に選出されてから、わずか12日で亡くなった」という、他の追随を許さない記録でインパクトを残しました。主に私の記憶に。
マラリアだったそうなので、残念ながら運が悪かったとしかいえません。

しかし! です。
実はウルバヌス7世より800年ほど前に、もっと在位期間の短い教皇がいたのですから二度ビックリ。

ステファヌス2世という人です。

この人は752年の3月23日に選出され、その3日後に「脳卒中」で亡くなっています。
まだ教皇就任の儀式が終わっていなかったため、正式な教皇とはみなされていないのだとか。

非キリスト教徒から見てると、どうでもi…(ゲフンゲフン)と言いたいところですが、この方をどう扱うかで「ローマ教皇の人数や同名の教皇の序数(○世)が変わってくる」ため、めんどくさいことになっています。

 

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私こそが真の対立教皇である!

「実在すらしていないのに、まことしやかな伝説がある」人やモノというのも、長い歴史を持つものにはありがちなことです。

ご多分に漏れずローマ教皇にもそのテの話があります。

一人(といっていいのかどうかビミョーですが、便宜的にこう呼びます)は、ヨハネス20世という人です。

彼がいたとされる時代は10世紀後半で、ローマ教皇の立場が安定していない時期でした。
そのため「今ローマにいる教皇はニセモノです! 俺こそが真の教皇だ!」と名乗る人がたびたび現れました。

そういう人のことを”対立教皇”といいます。まんまですね。

対立教皇のほとんどはバチカンから認められていないので、公的な扱いには雲泥の差があります。
※ちなみに日本で言いますと、南北朝時代の天皇は、歴史的にも天皇扱いになっていますので、こうしたケースとはまるで別の話かもしれません

 

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ヨハネス20世って、いかにもバチカン臭が漂ってますが

ともかく、こうして記録が混乱していた時代に、いつしか
「対立教皇・ボニファティウス7世と正統な教皇・ヨハネス15世の間に、もう一人ヨハネス20世っていう教皇がいたんだよ!」
と言い出されるようになりました。

あまりに雑な話のため、後世に否定されたのですが、諦めの悪い人たちがさらに
「ヨハネス20世は実は女性で、唯一の女性教皇ヨハンナだった! だから記録を消されたんだ!」
と言い始め、今度は“女性教皇ヨハンナ”の伝説が生まれます。

どちらかというと、ヨハネス20世より女性教皇ヨハンナの存在を信じる人のほうが多かったらしく、さまざまな説が立てられました。

いわく
「マインツ(ドイツ南西部の都市)生まれの女性で、学識に長けていたのでローマ教皇にふさわしいとみなされ、教皇になった」
「男性のふりをして教皇になったが、愛人との間に子供が出来てしまったため女性であることがバレた」
「サン・ピエトロ大聖堂(バチカン市国)からサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂(ローマ市内)へ向かう途中の、聖クレメント教会からコロッセオに向かう細い路地で出産した」
「出産後に亡くなり、出産したその場所に埋葬された」

というものから
「馬に乗っているときに出産し、女性であることがバレたため、民衆に石を投げつけられて亡くなった」
なんてパターンもあります。
これが本当だったらローマ人怖すぎるやろ……と言いたいところですが、カトリックでは女性が高位の聖職者になることを認めていないので、宗旨上のルール的には間違っていないともいえます。

他にも「シエナ大聖堂に他の教皇と並んでヨハンナの像があったが、後年彼女の存在を隠蔽するために破壊された」という、いかにもありそうな話まで伝えられています。
ローマ帝国時代に「記録の抹消」という刑罰があったことから来ているのでしょうね。

女教皇ヨハンナ/wikipediaより引用

 

しかし、どの説も当時の記録ではなく、後世に言い出されたものであるため、信憑性はほぼないと考えられています。

タロットカードの「女教皇」がヨハンナだという説もありますが、そもそもタロットカードの発祥自体があいまいなので、根拠とはいえません。
まぁ、歴史は勝者のものなので、いずれどんでん返しになるような記録が出てきたりするのかもしれませんね。

今のところは「頭の片隅に入れておくと面白い知識」というくらいでしょうか。

長月 七紀・記

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参考:ウルバヌス7世_(ローマ教皇)/wikipedia ステファヌス2世_(ローマ教皇)/wikipedia ヨハネス20世_(ローマ教皇)/wikipedia 女教皇ヨハンナ/wikipedia

 





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