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白河天皇/wikipediaより引用

飛鳥・奈良・平安時代 日本史オモシロ参考書 その日、歴史が動いた

白河天皇(上皇・法皇)の院政をわかりやすく! 流れでキッチリ把握しておこう

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平安時代は、とにかく長い!
その長さゆえに、権力の移り変わりも頻繁なのが面倒なところでしょう。

それでもザックリと分けて
平安前期……桓武天皇
・平安中期……摂関政治(藤原道長
・平安後期……院政の上皇&法皇と平清盛
と、3つに区分できると思いますが、今回はそのうちの一つ【院政】の始まりと白河天皇白河上皇白河法皇)について見たいと思います。

 

天皇と藤原摂関家の関係 それが大事だ

院政を考える上で大事なのは、やっぱり流れ。
他の時代もそうですが、ここでは特に「天皇と藤原摂関家の関係が変化する」ところを頭に入れておくのがいいでしょう。

といっても、全員の名前を覚える必要はありません。

重要なポイントは「そのときの天皇の母親が、藤原氏の出身かどうか?」。
以下、◯のついている天皇が藤原道長の孫(母親が道長の娘)となります。

第66代 一条天皇(986-1011) 藤原定子・彰子が入内

第67代 三条天皇(1011-1016) 道長にイビられて退位

第68代 ◯後一条天皇(1016-1036)

第69代 ◯後朱雀天皇(1036-1045)

第70代 ◯後冷泉天皇(1045-1068)

第71代 後三条天皇(1068-1072) 摂関家を外戚にもたない

第72代 白河天皇(1072-1086) 院政を始めた天皇(上皇)

ご覧のとおり、白河天皇の先代であり父でもある後三条天皇から、藤原摂関家と直接の外戚関係がありませんでした。
細かいことをいうと、後三条天皇の祖母がやっぱり道長の娘・妍子なので、血のつながりが全くないわけではないのですが。

 

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摂関家が弱まってきたならば

後三条天皇は摂関家の影響力を削ぐような政策を行っています。
おそらくは意趣返しの面が強かったことでしょう。

また、当時の摂関家から入内した姫たちが子供に恵まれなかったことも、摂関家の力を弱めるキッカケに。
代わって、要職に就いたのが村上源氏の面々でした。

いずれにせよ、白河天皇は、摂関家が弱まりつつある世情の中で育つわけです。

おそらくは父帝からも
「藤原氏に頼りきったり、アレコレ言われるがままになってはいけない」
というようなことを聞かされていたでしょう。

もちろん、だからと言って摂関家を完全に排斥するのは現実的ではありません。
外戚としてデカイ顔をされると困ったものですが、そこは名門。
代々蓄積されてきた政治のノウハウや荘園、お家芸などを消し去ってしまうのは惜しい話です。

ここで、藤原道長の四男・能信(よしのぶ)が実に良い働きをします。
彼は、母が側室の源明子だったため、正室生まれの兄たちから疎んじられていたのですが、それをバネにして後三条天皇や白河天皇に近づき、積極的に支援していくのです。
能信は性格的には道長に似ていたらしいので、皮肉なものです。

 

白河天皇、18才で即位 8才の息子に譲位

時が流れ、後三条天皇の譲位を受けて、白河天皇は18歳で即位しました。

当初は父帝の意向もあり、異母弟・実仁親王を皇太子にしたのですが、彼は疱瘡(天然痘)で早くに亡くなってしまいます。
そのため、実仁親王薨去の翌年に、白河天皇はまだ8歳だった自分の皇子を皇太子にした……ところまではいいのですが、なんとその皇太子を即座に「堀河天皇」として即位させ、自らは上皇となるのです。

現代でいえば小学生くらいの少年が祭祀や政治をマトモにできるはずはありません。

白河天皇は、最初から上皇として仕事をする気満々だったのでしょう。
これが院政のはじまりです。

退位した天皇が政治に関わる、という前例は奈良時代からあったので、当時としては違和感なく始められたと思われます。
思えば平城天皇が平城上皇となって嵯峨天皇とバチバチにやりあい、薬子の変が起きたのもそんな感じでしたね。

ただし、白河上皇が院政のはじまりとして注視される大きな理由があります。
それは通常の官庁とは異なる組織を作り、以降の上皇によってそれが強化されていったからです。

これ、日本史の授業でも、あまり解説されなかったりしますよね。
上皇の住まいを「後院」といい、ここに独自の役職が増えていきました。

言わば新しい官庁みたいなもんです。
正規の役職とかぶるものも多く、混乱しやすいので、詳細は省略させていただきますね。

しかし、
【北面(の)武士】
だけは、伊勢平氏桓武平氏の一派)出世のキッカケになりますので、受験生の方はしっかり覚えておいたほうが良いでしょう。

 

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北面の武士とは? 比叡山から都を守るとは?

北面武士は、比叡山の僧侶から都を守るために設置されました。

僧侶から守る?
意味がわからない?

いや、誰しも最初はそう思うでしょう。
平安京の守護たる比叡山がなぜ?というのは当たり前の疑問です。

そして答えも意外なものかもしれません。

実はこのころ比叡山の僧侶たちは、政治などに関して気に入らないことがあると、物理的に神輿を担いで突撃してくることがしょっちゅうあったのです。
それを防ぐために設けられたのですね。
武士vs僧侶の物理対決というのが、いやはやなんとも。

朝廷や皇室・公家に頼まれたわけでもないのに、僧侶が世俗のことに口を出す時点でもうね、存在意義がグラついてるんすけどね。
実際に動かれるんだから、止めるしかない、というわけで(´・ω・`)

さらに時代が降って、第82代・後鳥羽天皇の上皇時代には西面(の)武士が設けられ、院の武力が強化されていることからして、必要だったことがご理解いただけるでしょう。

上皇の周りの職には、摂関家のような有力貴族ではなく、以下のような人々が多かったようです。

・上皇の乳母の子・夫・兄弟
・経済的に上皇へ奉仕した受領
・才能や人格に関係なく、上皇の寵愛を受けた者

なんだかここまで来ると、「摂関家以外なら誰でもいい」みたいな感じがしますね。

 

院政を続けていたら「永久の変」勃発

さて、白河上皇中心の話に戻りましょう。

堀河天皇が若くして亡くなった後は、その皇子である鳥羽天皇が即位しましたが、これまた5歳の幼児だったため、白河上皇の院政は変わりませんでした。

実は白河上皇にはもう一人、異母弟の輔仁親王がいたのですが、この方は徹底的に冷遇されています。
輔仁親王自身は「たぶん私はもう皇太子にはなれないな」と思っていたのか、官位や親王宣下をねだったりはしていなかったようです。
しかし人柄と芸術の才に優れていたために、公家たちには「輔仁親王のほうが皇位を継ぐにふさわしい」と思う人も少なくありませんでした。

それがまた白河上皇には気に入らず、冷遇は続きます。
輔仁親王は公家たちを抑えるため、自ら仁和寺付近に隠棲したそうです。

しかし、それでもゴネる公家たちがいて、なんと「鳥羽天皇を暗殺して輔仁親王を皇位につけよう」という陰謀事件「永久の変」まで起きてしまいます。

これが白河上皇方のデッチ上げによる粛清事件なのか。
ガチの暗殺未遂だったのか。
まだ学説が割れているようです。

にしても、なぜ、そんな物騒なことになったのか?
というと、後三条天皇の存命中に「実仁親王が即位した後は、輔仁親王を皇太子にする」ことになっていたからです。
輔仁親王を支持する公家たちからすれば、「約束を破った白河上皇の血筋を繋げていくなんてとんでもない!」となったのです。

しかし、現実には実仁親王が白河上皇より先に亡くなった=即位していないため、白河上皇が「即位してないんだから、約束を守る必要ないよね^^」と考えてもおかしくはありません。
腹黒い感じはしますが。

上記の通り、実仁親王の死因も病死とされているので、(ピー)したわけではない……はずです。
皇室……天然痘……うっ頭が。

 

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なんだかんだで道長のヤリ方に似てないか?

鳥羽天皇に皇子(白河上皇からするとひ孫)が生まれると、やはり白河上皇の意向で、皇位継承が行われました。
これが崇徳天皇です。

鳥羽天皇と崇徳天皇にはまた別の逸話+αがあったり、それをきっかけに源氏と平家が台頭してきたりするのですが、それはまた日を改めましょう。

そんなこんなで絶大な権力を持ち続けた白河上皇は仏教への信仰が厚く、多くの寺院を建立しています。

また、最愛の皇女・郁芳門院(いくほうもんいん)が20歳の若さで亡くなったときは大きなショックを受け、出家しました。

白河上皇のやったことは全て「皇室が外戚の影響を受けないようにする」という目的だったといえますが、自分の血筋で皇位を独占したり、娘に先立たれたりと、道長の晩年に似たところがあるのがなんとも……。
権力者の懊悩というのは、古今東西同じようなものかもしれませんが。

何はともあれ、こうして院政は定着し、特に白河・鳥羽・後白河・後鳥羽上皇の約150年間は絶対的な権力の象徴とされました。

後鳥羽上皇が承久の乱によって流罪になった後、皇室や公家の政治力が一気に落ちたため、院政の印象も弱まります。
そのため、現代では「院政」というと、上記の四人の時代とほぼイコールなイメージがついているんですね。

間に源平の合戦があったり、天皇としては高倉天皇や安徳天皇などがいるのもややこしいところです。
「道長が亡くなってから承久の乱まで」がだいたい院政の全盛期、と覚えるのが一番わかりやすいでしょうか。

長月 七紀・記




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参考:国史大辞典「院政」「白河天皇」

 



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