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松尾芭蕉(葛飾北斎画)/wikipediaより引用

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松尾芭蕉51年の生涯をスッキリ解説!忍者説はやっぱりウソ?旅に行き旅に生きた俳人

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「誰か一人、江戸時代の文化人を挙げて!」
なんて言われたら、皆さんは、どなたを思い浮かべます?

主観バリバリで言わせて貰いますと、最も多いのは
松尾芭蕉
ではないでしょうか?

俳句の大家として知られ、紀行録『おくのほそ道』は今なお日本人に多くの影響を与え。
「旅に生きた人」としても有名ですが、生涯そのものも旅のようでした。

明確に違うのは、前半生は「やむを得ず」旅をしていて、後半生は「自ら望んで」旅立っているというところでしょうか。

今回は芭蕉の人生を追いかけてみましょう。

※名前については「芭蕉」で統一させていただきます

 

松尾芭蕉の両親は平家と忍者の末裔だった!?

芭蕉は正保元年(1644年)、伊賀上野にて生誕。
二男四女の次男でした。

父方は平家末裔の家柄ともされていますが、身分は高くないのであまり関係はなさそうです。
名字帯刀は許されていたようです。

また、母が忍者で有名な百地氏の出身だったため、これを「芭蕉忍者説(隠密説)」の根拠とする人もいるとか、いないとか。
忍者の血統らしいというだけで本人=忍者ってのは、さすがにチョット強引。ありえないでしょう(´・ω・`)

その辺はさておき、芭蕉は若い頃からけっこう苦労をしていました。

彼が13歳の時に父が亡くなり、兄が家督を継いだものの、暮らし向きは決して豊かではなかったからです。

六人きょうだいのうち四人が姉妹、さらに母親も養わねばならない――となると男二人でもシンドイですよね。

元の身分が高くないこともあってか、芭蕉が初めて主人を持ったとき、文学やその他学問に関するためではなく、台所の小間使いのようなことをしていたといわれています。
なんという才能の無駄遣い……というのも後の活躍を知っているからですな。

主人とは、伊賀の侍大将・藤堂良清の跡継ぎで藤堂良忠という人でした。
芭蕉より2歳年上で、この人が俳句を得意としていたため、芭蕉も俳諧の世界に入ったようです。

良忠の俳号は「蝉吟(せんぎん)」といいました。

歳の近い主人に真面目に仕え、趣味も同じにして親しくなれば、士分に取り立ててもらえるかも……。後年になって、そのような発言をしていたようです。

 

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最も古い作品は1662年の小晦日

なにはともあれ、良忠に仕えたことが、芭蕉が俳諧を始めるきっかけにもなったことは間違いありません。

寛文二年(1662年)の末、立春をお題としてこんな句を読み、二年後に入集(にっしゅう)しました。

「春や来し 年や行けん 小晦日(はるやこし としやゆきけん こつごもり)

現在わかっている中では、芭蕉の最も古い作品です。
口に出してみるとちょっとつっかえるような、未熟さを感じられるような気もしますね(個人の感想です、生意気でサーセン)。

この句をきっかけに、芭蕉はいくつかの俳句集に入集するするようになり、俳人として歩み始めました。

寛文六年(1666年)には、芭蕉が参加した中で最古とされる連句も記録されています。

「貞徳翁十三回忌追善百韻俳諧」と呼ばれるもので、松永貞徳という俳人への供養を目的としたものです。
松永は、芭蕉の主人である藤堂良忠(蝉吟)の師匠の一人と考えられている人物です。

蝉吟が発句し、別の師匠である北村季吟も参加。
若き日の芭蕉は、先達や主君の間に立ち交じれて、晴れがましく思ったことでしょう。

しかしこの年、蝉吟が24歳の若さで亡くなるという、悲しい出来事にも遭遇しました。

芭蕉は、遺髪を高野山報恩院に納める一団に参加。
主人の菩提を弔った後、職を辞して俳人として行きていくことを決めたようです。

単なる主人だけでなく、同好の士でもあり、そして士官の糸口になり得る人を失い、途方に暮れたことでしょう。

 

処女句集「貝おほひ」を奉納後、江戸へ

しばらくは伊賀上野あたりに住み続けた芭蕉。
ときに京都の俳人に教えを受けたり、句集に選ばれたりしていました。

寛文十二年(1672年)。
数年してようやく考えがまとまったのか、処女句集「貝おほひ」を上野天神宮(三重県伊賀市)に奉納し、俳諧師として江戸へ下ります。

ところが、です。
地元で多少名前が知られるようになっても、江戸ではそう簡単には行かなかったようで、再び上京。
蝉吟の師匠だった北村季吟に師事し、延宝二年(1674年)三月に作法書『俳諧埋木』の伝授を受けました。

これでようやく一人前と認められたワケです。意地悪く考えると、この時点で芭蕉の句には、まだまだ改善すべきところが多かったのかもしれません。

延宝三年(1675年)あたりから再び江戸へ出向きます。

詳細な住処はハッキリとしておりません。
江戸の俳人と交流を持ち、彼らのパトロンだった磐城平藩主(いわきたいらはんしゅ)・内藤義概(ないとう よしむね)の江戸屋敷へ出入りするようになった、ということはわかっています。

この内藤義概という人は、小姓騒動(過去記事:自身の子を宿した女を主君の側室とし、御家を乗っ取ろうとしたゲス侍・松賀族之助と「小姓騒動」)というお家騒動の当事者として知られています。

詳細については以前の記事に譲るとして、パトロンとしては悪くありませんでした。
少なくとも、芭蕉にとっては一つの契機になりました。

ここで芭蕉は、意気投合した俳人と一緒に俳句集を刊行し、華々しく江戸俳壇にデビューすることができたからです。

 

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無職はマズイ!ということで帳簿付けのオシゴト

芭蕉は様々な句集を発行。
興行に参加したりして、名を上げていきます。

しかし、当時の俳壇では「俳句をどう詠むべきか」ということて派閥論争が激しくなっており、芭蕉を含めて辟易している人もいました。

また、生活苦からか、延宝五年(1677年)には、水戸藩邸「分水工事」の帳簿付けの仕事をやっていたこともあります。

芭蕉のような、いかにも文化人なタイプがこの手の仕事をするのはちょっと意外でしょうか?
これは「無職だと目をつけられる」という当時の社会制度にカギがありますので、軽く触れておきましょう。

現在の戸籍に近い制度として、江戸時代には
【宗門人別改帳(しゅうもんにんべつあらためちょう)
というものがありました。

元々はキリシタンを取り締まるため、
「誰がどこの宗派を信仰しているのか、どの寺に所属しているのか」
をまとめた台帳です。

時代が下るにつれ、ほとんどの地域でキリシタンがいなくなると、次第に戸籍や人口調査の役割が強くなりました。

ここで関わってくるのが、当時の司法にあった「連座」です。

誰かが罪を犯した時、罪の重さによってはその家族にも罰が与えられる……というもの。
古い時代の中国では「三族(九族)皆殺し」などの「族誅」などが連座の最たる刑とされていました。

この場合の「族」は現在の「親等」に似た意味でして。
王朝や時代によって対象が変わってくるので、一概に「三族はどこからどこまで」というのは難しいところです。

なんとも恐ろしい話であり、何かコトが起きたら、周囲としてはたまったもんじゃありません。

そこで救済措置。
江戸時代の場合は、本人を勘当してしまえば連座から逃れることができました。

あるいは、連座にならぬよう、はじめに離婚や勘当をしてから事に及ぶ……というケースもあります。

元禄赤穂事件では大石内蔵助良雄が。
大塩平八郎の乱では大塩平八郎が。

それぞれ妻を離縁してから決起していました。

大塩平八郎/wikipediaより引用

離縁の場合は実家に帰ることになるので、司法的な問題はないといってもいいのですが、勘当の場合は話が別です。
勘当されると宗門人別改帳から名前を外され、
「無宿(むしゅく)
「帳外(ちょうはずれ)
と呼ばれる状態になります。現代でいえば「無戸籍者」が近いですかね。

江戸幕府は、こうした無宿や帳外は犯罪率が高く、非常に警戒していました。
芭蕉も、無職のまま、そう思われたくなかったんですね。

 

旅の中で生きることを考え始める

話がだいぶそれました。
話を戻しましょう。

芭蕉は上記の通り、伊賀上野の地に生まれ、江戸にやってきた新参者です。

俳諧の世界では名を知られてきているとはいえ、当局からすると
「腹に一物持っていてもおかしくないヤツ」
「俳諧師とか言ってるが、食いっぱぐれればドロボーでもなんでもやるつもりでは?」
ということになります。

芭蕉はそういった疑いを避けるために、公の仕事を一度でもして、疑われないようにしたのでしょう。

しばらくして、俳句の批評なども行うようなったあたりには名も上がり、無宿の疑いはかからなくなったようです。

現代で言えば、売れないミュージシャンやお笑い芸人がようやくテレビに出て認知されたって感じでしょうか。
いつの時代も世知辛いものですね。

しかし、この辺から徐々に厭世的な気分になっていたようで、ひとつところに落ち着くより、旅の中で生きることを考え始めます。

俳句にもその特徴が顕れ始めます。
当時の旅に欠かせなかった「笠」を題材とした句を多く詠むようになったり、自ら笠を作ったりしたのです。

どうも彼は「笠」=「風雨から身を守るもの」=「庵に通じる」と考えていた様子。




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そして貞享元年(1684年)8月、芭蕉は初めて長期間の旅に出ることにしました。

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