1728年(日本では江戸時代の享保十三年)2月13日、ジョン・ハンターという医者がスコットランドで誕生しました。
タイトルにある【狂気】とは一体何事か。
他人の身体を診る医者が狂っていたとしたら、薄気味悪いにもほどがありますよね。
一体、彼のどこが狂気なのか?
フッフッフ……。
遺体はドコで手に入れたのか?
ジョン・ハンターは、もともとスコットランドの農民。
先にロンドンでお医者さんをやっていたお兄さんの元で医学を学び、助手として働いていました。
元からそこそこ知力やお金のある家だったんでしょうね。でないとロンドンに出てこられません。
お兄さんのウィリアムは今で言う医大の講座のようなものを開いており、解剖をすることも多々ありました。
しかし、現在のように献体などの合法な制度がなかった時代です。
解剖用の遺体が手に入ることはそうそうありませんでした。
では、一体どこで遺体を手に入れたのか?
不思議になりますよね。
まあ大方のご想像通り墓場だったらしいですが、詳細な描写は伏せておきます。
キリスト教って復活のために体を大事にするんじゃなかったんかい、とかいろいろツッコミたいですけども。
巨人症の男性を付け回す 目的は医学のためなれど
他にも、ジョンは目的のためには手段を選ばない人だったらしきことが記録されています。
チャールズ・バーンという巨人症という異様に体が大きくなってしまう病気の人物がロンドンにいることがわかると、人を雇ってまで執拗に付け回したというのです。
諸々の健康トラブルを起こしやすく、寿命が短かい――。
そのことをジョンは知っていたので、珍しい【人体標本を作るためチャールズを追い回した】のでした。
ジョンの肖像画の後ろに描かれている大きな足の骨格がチャールズのものだといわれており、それを知ってからこの絵を見ると空恐ろしささえ感じてきますね。
ちなみに今もロンドンのハンテリアン博物館というところにあるそうですが、他にも人間を含めたあらゆる標本がありまして、苦手な方にはかなりドギツイかと思うので画像やリンクは差し控えさせていただきます。
ご興味と度胸のある向きはググる先生にお尋ねください。
世界初の人工授精に成功も、詳細は不明なり
そんな感じでここだけ見るとかなりのキ印です。
が、普段の講義や手術中のジョンはとてもマトモな人だったそうです。
それまで主流だった水銀による治療や、「悪いところは全部切っちまえ」的なやっつけ外科手術などを否定し、できるだけ自然治癒を助けるような形で投薬や治療を行うよう生徒にも指導していました。
先日ご紹介した吉益東洞とは対照的というか。
東洋と西洋が入れ替わったかのような感じがしますね。
時代的にも近いですし。もし会えていたら気が合ったかもしれませんね。
ただ、彼の考え方は当初異端とされていたので、功績についても詳細がよくわからないものがあるようです。
英国医学の主流になっていく
例えば、ジョンは世界で初めて
【人間の人工授精を成功させた】
という人物なのですが、それに関する経緯や方法がよくわかりません。
注射器を使ったということはわかるのですけども、そもそもこれ自体が彼の死後に公表されたものだったからか、はっきりした記録が見つかりませんでした。
まぁ、この時代に無理な気もしますけどね。
考え方とかそういうことなんでしょうか。
日本だったら安産の神様か何かとして祀られていそうですね。
自害しての死に際に「女性の産みの苦しみもこのように辛いに違いない。俺は安産の神になろう」といって本当にそうなった戦国武将もいますから。
ジョンの方針は後々弟子達によって広められ、医学の主流になっていきます。
しかしそれが国に認められたのは、彼が亡くなってから80年ほど経ってからでした。
そのとき王族や政治家の墓所であるウェストミンスター寺院に改葬されているので、粗略な扱いではなかったようですが。
ある意味彼のおかげで今日の医学や不妊治療があるとも言えるわけです。
ただ、性格というか行動が両極端すぎて、微妙な心情になってしまいますねぇ……。
長月 七紀・記
【参考】
ジョン・ハンター (外科医)/wikipedia