ドメニコ・モレッリ『箱舟を出た後のノアによる感謝の祈り』/wikipediaより引用

アジア・中東 キリスト教 その日、歴史が動いた

ノアの方舟(箱舟)は実在した?紀元前3000年に地球を襲った大洪水の正体

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標高4,000mで見つかった遺構って……

また、ノアの大洪水が起きたとされる時期に、エジプトやインドでは文明が存在していました。
万が一、地球的規模の大洪水が起きていたとすれば、それらも全て押し流され、文明がゼロ地点からやり直されていたことでしょう。

ここから考えると、ノアの大洪水は地球的な規模ではなく、ノアが暮らしていたであろう中東地域付近だけの出来事だったのではないでしょうか。

そこを地球的な規模と思わせるために、
「40日40夜雨が続いた」
「水が引くまで150日かかった」
という記述をしたとすれば、理屈としては合いますよね。

となると、標高5000mもあるアララト山に箱舟が流れ着いたという点についても、疑念がわいてきます。

上記の「99.9%ノアの箱舟である」とされる遺構が見つかったのは標高およそ4000m地点らしいのですが、そこまでの高さに持ち上げるために、いったいどれほどの水が要るのでしょう。

「箱舟が流れ着いた後、地殻変動によってアララト山の標高が上がった」なら理屈が通りますけれども、それはそれでありえなさそうです。

 

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1m高くなるのに250年もの月日がかかる

アララト山のデータが見つからなかったので、エベレストを例にとって標高の動きを計算してみましょう。

エベレストは年々4mmずつ標高が上がっているそうなのです。
このペースがずっと保たれているとすると、標高が1m高くなるのに250年かかります。

仮に同じペースでアララト山の標高が高くなっていたとして、ノアの時代を紀元前3000年とした場合、現代までに変わる高さはたった20mほどです。
全体の高さからすれば、誤差や計測地点の違いで収まる数字ですよね。

こう考えると「99.9%」とされるものは、ノアの時代のものであることは間違いないにせよ、箱舟ではなくて、神殿に類する儀式場の遺構なのではないでしょうか。

旧約聖書には「高い山に登って神への生け贄を捧げました」という話がいくつかありますし、「ノアは大洪水から逃れた後、近場にある中で一番高い山であるアララト山に登って儀式場を築き、そこで祈りを捧げた」としても、ありえないとは言い切れませんよね。

もしくは、洪水から逃れるためにこの地に建てた「避難所」としての役割もあったかもしれません。
標高4000mであれば、水から逃れるには充分でしょうし。

 

食料や水、排泄物なんかはどう対処したんですかね

「99.9%」が箱舟であることの根拠には、炭素年代測定の他にこんな理由があります。

「この高さに人の住居はありえない」
「にもかかわらず、複数の部屋に分かれている」

しかし、儀式場兼避難所であれば、複数の部屋がある&人が住まないような高度に存在していても、おかしくはないと思われます。

また、これが箱舟であるのなら、ノアたちと一緒に乗っていたはずの動物のふんなどが見つかってもいいと思うのですが、そうした報告は今のところないようです。調べきれてないだけだったらスイマセン。

40日分の排泄物なんて想像もしたくないですし、掃除した可能性は無きにもあらずですが……。

「40日分の食料や水をどうしたのか」などの疑問もあります。
「大洪水だったのは間違いないにせよ、40日40夜という長さではないだろう」という気がしてきます。

まあ、儀式場・避難所であるとしても「この高さまでどうやって建材を運んだのか」などの謎は残るので、この説を強く推すことはできないんですけどね。
なら何で書いたんだって?
いやいや、いろいろ妄想を巡らせるのは古代史で一番楽しいところですから。

いずれにせよ、今後の研究が興味深い事象の一つです。

長月 七紀・記




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【参考】
ノアの方舟/wikipedia
AFPBB

 



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