斎藤茂吉/wikipediaより引用

明治・大正・昭和時代 その日、歴史が動いた

母を詠った斎藤茂吉 もしも芥川龍之介のススメで小説書いていたら……

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昭和二十八年(1953年)2月25日は、歌人の斎藤茂吉が亡くなった日です。

国語の教科書では「母」に関する歌が多い人として扱われるので、ご存じの方も多そうですね。

「みちのくの 母のいのちを 一目みん 一目みんとぞ ただにいそげる」
「死に近き 母に添寢の しんしんと 遠田のかはづ 天に聞ゆる」
「のど赤き 玄鳥(つばくらめ)ふたつ 屋梁(はり)にゐて 垂乳根(たらちね)の母は 死にたまふなり」

この辺が特に有名でしょうか。
三つめの歌は、枕詞(「垂乳根」→「母」)の例としてもよく例に挙げられますね。

どうでもいいですが「もきち」っていう名前の響きが可愛いですよね。
現代だったら近所のお姉さんとかにいじr……可愛がられるんじゃないでしょうか。

当時の感覚では「古臭い」ということで、ご本人もあまり好きではなかったようですが。キラキラネームよりは古風な名前のほうが素敵だと思いますけどねえ。読めますし。

まあその辺はいいとして、生涯を見ていきましょう。

 

賢人はなりやすい? 幼い頃から夜尿症に悩まされていた

斎藤茂吉は、現在の山形県上山市に生まれました。

しかし、生家があまり裕福ではなかったため、東京の医師の家に養子入りしています。
斎藤姓になったのもこの時で、当初は「守谷」という苗字でした。

小さい頃から夜尿症で随分困っていたようです。
ほぼ同年代かつ同じ東北出身の今村均中将も夜尿症で悩んでいたそうですし、寒いとトイレが近くなりやすいですから、地域性みたいなものなんですかね。

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それとも、デキる人は夜尿症になりやすいのでしょうか。
それが証明されたら、現在夜尿症で悩む人やその家族も前向きになれると思うのですけれども。

閑話休題。
そんなこんなで、茂吉が斎藤家に養子入りしたのは14歳のときのこと。

現在も都内屈指の名門として知られる開成中学校(現・開成高等学校)に入り、紆余曲折はしたものの旧制第一高校(現在の東京大学)に進学。
ありきたりな表現をすれば、エリート中のエリートでした。

若い頃からこんなにデキる人であれば、医師と歌人の二足のわらじを履きこなせるのもうなずけようというものです。

 

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「小説を書いて欲しい」と絶賛されていた

また、上京してから、佐佐木信綱や正岡子規に影響されて短歌を詠むようになりました。

歌人に弟子入りしたり、雑誌に応募したりと、文壇での知名度や交流関係もできていきます。

医師としての専門は精神科で、国内外で忙しく立ち働きながら、医学と文学両方に打ち込んでいきました。
かんしゃく持ちなのを隠して患者に接していたため、その反動で家族やプライベートではブチギレ状態になることも多かったそうですが。

当時の文壇では精神を病む人も多かったため、斎藤の診察を受けた人も少なくありません。

有名な人だと芥川龍之介でしょうか。

治療のついでに文学についても話していたのか、
「斎藤にぜひ小説を書いてほしい」
と絶賛していたようです。

斎藤が結局小説を書かなかったのは、おそらく彼自身が「自分の本業は医師であり、歌は余暇に詠むもの」としていたからかもしれません。

歌に限らず、文学に関するものは、彼にとって気分転換に書きつけるものだったのでしょう。
小説となると膨大な資料集めや登場人物の練り込みが必要になりますから、本業がおろそかになってしまうと思ったのかも。

現在では逆に、彼の名を聞いて「医師」と捉える人は少ないですが……。

 

不仲だった奥さんとは戦後に関係を修復

31歳のときには、斎藤家の次女・輝子と結婚して、名実ともに斎藤家の人間となりました。

しかし、13歳もの年齢差があった上、輝子は活発が過ぎて男性関係が色々あり、茂吉とはあまりそりが合わなかったようです。

長男が生まれたのは結婚から2年後のことなのに、その次の子供が生まれたのは11年後のことですから、性格の不一致ぶりがうかがえましょう。
茂吉の仕事上の都合もあったとはいえ……。

彼らの間には二男二女が生まれました。
末っ子が生まれた後に輝子がとあるスキャンダルに関わっていたことが発覚し、結局別居。
こんな針のむしろ状態で育つ四人きょうだいが可哀想ですね。幸い、将来に影響をおよぼすようなことはなかったようです。

斎藤夫婦の関係が修復されたのは、なんと第二次世界大戦が終わる昭和二十年(1945年)のことです。

その後の輝子は年老いた斎藤を献身的に看護していたようですから、時の流れと別居が関係を修復してくれたのでしょう。
戦後あたりから斎藤はたびたび病気をするようになっていたので、それまでの短気が少し落ち着いたのかもしれません。

長月 七紀・記




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【参考】
国史大辞典
斎藤茂吉/wikipedia

 



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