飛鳥・奈良・平安時代 日本史オモシロ参考書 その日、歴史が動いた

官職と二官八省をバッチリ解説!日本史をマジで3倍楽しくする仕組み

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○八省【左弁官局管轄】

・中務省(なかつかさしょう)……当時は一番重要!

現代の宮内庁に近い仕事をしていました。
天皇の命令である「詔(みことのり)」の書類作成や宮中の事務などを担当しています。そのため当時は、八省の中でも特に重要とみなされていました。
後宮や女官の人事も、中務省の下にある中宮(ちゅうぐうしき)という部署の仕事です。そのため「皇太后」や「太皇太后」などがいる場合は、臨時に皇太后職や太皇太后職などが設けられていました。
……道長の時代はエライことになっていたんでしょうね。

・式部省(しきぶしょう)……紫式部の父ちゃんとか!

現代だと、文部科学省が一番近いかと思われます。文官の人事や大学寮(官僚養成の学校)などが主な担当です。
紫式部や和泉式部の「式部」は、父親がこの式部省の役人だったことからきている呼び名です。当時は名字・父や夫の官職または任国などから女房の通称をつけるという慣習がありました。
この時代の女流作家といえば清少納言も欠かせませんが、彼女の「少納言」はどこから来ているのか不明です。親族に「少納言になった」と確定できる人がいないんだとか。

・治部省(じぶしょう)……石田三成でお馴染み!

お寺や雅楽、遣唐使が廃止されるまでの外交などを担当していました。現代だと外務省+文部科学省の一部……という感じでしょうか。
「治部」といえばやはり、石田三成のイメージが強いですかね。三成は秀吉が関白になったときに朝廷から叙任されているので、自称ではなく正式な官位です。
治部省の仕事内容からすると、実際に三成がやってた仕事とかぶる面がありそうですね。下記の民部省のほうが近いかもしれませんが。

・民部省(みんぶしょう)……天神様もなっていた!

現代では財務省・国税庁あたりが近い役所です。つまり税や財政の担当部署でした。
トップの「民部卿」は、藤原北家の祖・房前(ふささき)、同じく藤原北家で臣下で初めて摂政になった藤原良房、天神様こと菅原道真百人一首の選者・藤原定家などが務めたことがあるので、割と見かける名前かもしれません。

 

○八省【右弁官局管轄】

・兵部省(ひょうぶしょう)……著名な武士、多し!

武官の人事や軍事を担当しています。現代だと防衛省や自衛隊でしょうか。
歴史上で内乱の話が取り上げられやすいためか、トップである「兵部卿」には有名な人がたくさんいます。

ほんの少しご紹介すると、
坂上田村麻呂(後に征夷大将軍)
・阿保親王(在原行平・在原業平兄弟の父)
平清盛(の全盛期)
・護良親王(後醍醐天皇の皇子・大塔宮)
大内義隆(戦国大名・金で買った)
などが兵部卿の経験者です。

・刑部省(ぎょうぶしょう)……三成の盟友・大谷吉継が!

現代だと法務省+裁判所にあたる、司法や訴訟を扱う役所です。しかし、しばらくしてから検非違使(けびいし)など他にも治安維持や刑事事件を担当する職が増えたため、実際の仕事量は……^^;
「刑部」と呼ばれていた人物としては、戦国武将の大谷吉継が有名でしょうか。吉継もやはり、三成と同じタイミングで正式に叙任されています(位階は三成と同じく従五位下)。
吉継の性格などを察するに、刑部省のような仕事はピッタリだったでしょう。
また、2人が等しく豊臣秀吉に重用されていたことも窺えますね。ちなみに真田丸では片岡愛之助さんが演じられておりました。

・大蔵省(おおくらしょう)……経済部門を担当!

現代で例えるのは難しいところですが、経済産業省が近そうです。度量衡や朝廷の出納などを担当していました。
全く同じ名前のお役所が近年まで存在していましたが、明治時代に一度再編されているので、ずっとそのままというわけでもないのが面倒なところです。
最近あったほうは、「疑惑のデパート」ならぬ「不祥事の見本市」状態デシタネー。

・宮内省(くないしょう)……皇室のプライベート担当!

ある意味、ここが一番やっかいかもしれません。現代は宮内“庁”、二官八省のほうは宮内“省”です。受験生の方はご注意ください。
年代でいえば、昭和二十四年(1949年)以降が宮内“庁”です。実は途中で宮内“府”なんて名前になったこともあります。

名前が同じだけあって職務も似ており、現代の宮内庁の侍従職や東宮職などが宮内省に相当すると思われます。
中務省との区別がややこしくなるところですが、二官八省においては「中務省が皇室の公的面、宮内省が私的生活をサポートしていた」と考えれば良いかと。

 

戦国時代の官職は実態を伴わないけど

ということで、古代の官位をばっちり理解できた!
と思って、それらを戦国時代や江戸時代に当てはめると、名前は同じでも実態は大きく異なるので注意が必要です。

エンタメ的な見方で、戦国大名の官位(自称も含めて)と、実際の仕事内容を比較すると楽しいかもしれません。

例えば上記のように三成と吉継は、それぞれにピッタリなイメージでした。

また、戦国武将などによくみられる「国名+守(かみ)」というのは本来、国司(地方の長官、現在の知事に相当)を意味する官職です。
戦国時代に官職は、単なるお飾りではありましたが、ときに他国へ攻め込むための口実にも使えた――だから、官職を自称する武将も多かったのです。

さらに、武将は自ら好き勝手に官職を名乗るだけでなく、配下の武士に「○○守」とつけてあげました。
「国名」はざっと68(66国と2島)あるので、自分をのぞいて67人の部下にもっともらしい呼び名を与えることができる、便利な称号だったのです。

いちいち、名乗るのに朝廷の許可はいりませんでした。
なんせ戦国時代の朝廷には地方に及ぶ実権がなかったからです。

ただ、より権威をつけるため、正式に朝廷から入手する例もあります。

例えば三河を支配した徳川家康
今川氏に対抗するため、室町幕府を通じて朝廷へ工作(つまるところ献金)し、1566年に「三河守」を正式に手に入れてます(それに合わせて松平から徳川に改姓)。

もともと今川氏は三河出身の足利一族です。
今川義元の時には、室町幕府の正式な官職である駿河守護に加え、三河の隣の遠江(とおとうみ)守護に任命されておりました。

またまた歴史手帳の付録を引用させていただきますが、室町時代は、実態のない古代の「守」より、幕府の組織である「守護」のほうが上。
当時の家康も、本音を言えば「三河守護」が欲しかったのでしょう。

しかし、落ち目とはいえ、足利一族の今川氏真が健在である以上、なんぼ金をつまれても家康に「三河守護」を与えるわけにはいきません。
そこで幕府の「伝奏」を使い、幕府とは関係なく朝廷が今はなき「守」を与えたという形にしたと考えられます。

すっかり戦国時代の説明も長くなってしまいましたが、古代の官職については、源氏物語などの古文で楽しむことができます。
二官八省の役職名で呼ばれている人がたくさんおりますので。

受験勉強にせよ、大人になってから嗜むにせよ、そうやって楽しんでこそ歴史の醍醐味ではないでしょうか。
って、なんだか偉そうでスミマセン^^;

なお、位階については下記の記事リンクからご確認どうぞ~。

長月 七紀・記

モヤッとする「位階と官位」の仕組み 正一位とか従四位ってどんな意味?

【参考】
国史大辞典「位階」「官職」
中務省/wikipedia 式部省/wikipedia 治部省/wikipedia 民部省/wikipedia 兵部省/wikipedia 刑部省/wikipedia

 



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