フランスで描かれた魔女像/wikipediaより引用

アメリカ その日、歴史が動いた

セイラム魔女裁判の恐怖「こっくりさん」から魔女狩りで約200人が収監

更新日:

何の裏付けもない、ゆえに信じる必要はない――。

と、わかっていても、なかなか切り捨てられないのが迷信。
今回はその中でもかなり物騒な類の話です。

1692年(日本では江戸時代・元禄五年)3月1日、アメリカでセイラム魔女裁判が始まりました。

魔女裁判というとヨーロッパのイメージがありますが、アメリカでもあったんですね。
米国の歴史というと1775年~1783年の独立戦争以降の話が多いので、まずは当時の時代背景を確認からいきましょう。

 

最初は単なる「こっくりさん」だった

セイラムというのは当時あった村の名前で、今日ではマサチューセッツ州・ダンバースの一部にあたります。

1629年にピューリタン(=清教徒)の団体が移り住み、
「ここで純粋な信仰にのっとった生活をし、腐った英国国教会を改革してやるんだ!」
という意欲に燃えていました。

裏を返せば、非常に厳格な宗教的背景があったということになります。

植民地時代のアメリカでは、神に反するもの=悪魔や魔女に対して敏感な傾向がありました。
最も古い記録では、コネチカット州で1647年に【魔女裁判】による処刑が行われています。セイラムでも、似たような話はたびたびあったようです。

そんな中、この年にサミュエル・パリスという牧師の娘・ベティーと、その従姉妹アビゲイル・ウィリアムス、そして彼女らの友人たちが、こっそり降霊会を行いました。

降霊会というのは、亡くなった人の霊を降ろして占いや助言をしてもらおうというもの。
いわば「こっくりさん」ですね。

ヨーロッパには15世紀ぐらいから「テーブル・ターニング」というものがあり、この日行われていたのもこれかもしれません。

こうした人間による霊現象の仕組み・真相については
「単なる筋肉疲労ではないか」
という科学的検証もされていますが、当時そういう概念はなく、ガチで信じている人もたくさんいました。

そしてアビゲイルが突然暴れ出したことにより、降霊会のことがサミュエルたちにバレます。
相次いで他の参加者たちも奇妙な行動を起こすようになり、悪魔憑きと診断されました。

悪魔祓いをしても失敗したといいますので、一日二日ではなく、一定以上の期間続いたのでしょうね。

セイラム魔女裁判の様子を描いたイラスト/wikipediaより引用

 

証言が出た時点で死刑確定のような時代だった

サミュエルは黒人の女性使用人・ティチューバを問い詰めました。
こういうときでも人種差別が出てくるのが生々しいですね。

ティチューバは中米の民間信仰・ブードゥーの術を使ったと自白したとされていますが、おそらくは「そういうことにした」のでしょう。

サミュエルは、さらに娘たちを問い質し、三人の女性の名前を聞き出しました。
その三人は村での立場が弱かったといいますから、現代の学校でいじめの主犯探しをするのと同じような流れで、たまたま槍玉に上がったのでしょう。

しかし、この時代では証言が出た時点で死刑が確定するようなものです。

否認した人も娘達も次々と違う名前を挙げていき、合計200人近くもの村人が収監されたといいます。
収監できない人数にまでなってから、慌てて絞首刑を始めたそうですから、ザルというか、行き当たりばったりというか……。

絞首刑に処された数十人の他、5人が獄死したといわれています。
獄死した人の中には、2人の幼児も含まれたというから、もうどうにもいたたまれなくなりますね。
まさに迷信の怖さ……。

 

無罪が決まったのは2001年って、おい

同年秋頃。
ようやく「あの証言おかしくね?」と言い出す人が現れ始めたと言います。

同じ頃、州知事にも報告があがり、翌年5月、まだ処刑されずに収監されていた人々が釈放されました。
にしたって、時すでにかなり遅しでしょ(´・ω・`)

もっと早く報告されていたら……と思うとやるせないものです。

それでも「有罪判決を受けた全員」の無罪が決まったのは、つい最近、実に2001年のことなんですって。ひでぇなぁ。

現代ではこの一件に限らず、魔女狩りの類は「社会不安による集団ヒステリー」によるものとされています。

それだけで片付けてしまっては、いつか同じことが起こりそうな気もしますが杞憂ですかね。
もちろん、そうならないコトを祈ります。

長月 七紀・記

【参考】
セイラム魔女裁判/wikipedia
魔女狩り/wikipedia

 



-アメリカ, その日、歴史が動いた

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2019 All Rights Reserved.