信長の茶器

織田信長/wikipediaより引用

織田家

信長の愛した茶器まとめ!どんな名物を所持し配下の者に与えたか?

元亀二年(1571年)3月4日は、織田信長が東福寺で茶会を開いた日。

信長は、戦国武将の中でも特に茶道や茶器を重んじた――として知られ、大河ドラマ『麒麟がくる』でも重要シーンとして描かれましたが、実際のところどれほどのマニアだったのか。

本稿では信長の茶器をマトメてみました。

 


領地の代わりに茶器を褒美に

信長と茶の関係は、他の大名と比べて特徴的なことがいくつかあります。

それは、お茶というより茶器との逸話が多いことです。

一番有名なのは、領地の代わりに部下へ茶器をあげたことですよね。

信長は「銘器狩り」といわれるくらい良い茶器を漁っていた時期があるのですが、それと同じくらいのペースで部下への褒美として茶器を与えています。

信長が誰かにもらった茶器の一覧はこちらです。

【信長が所有したことのある茶器】

・松永久秀から【九十九髪茄子の茶入れ】

今井宗久から【松島茶壺・紹鴎茄子の茶入れ】

・大文字屋から【初花肩衝(かたつき)】

・祐乗坊から【富士茄子の茶入れ】

・池上如慶から【かぶらなしの花入れ】

・薬師院から【小松島の茶壷】

・油屋常祐から【柑子の花入れ】

・石山本願寺から【白天目茶碗】

・三好康長から【三日月の葉茶壷】

・北向道陳から【松花茶壺】

・朝倉家から【本能寺文琳(茶入れ)】

豪華絢爛に並ぶ名物の数々。

今井宗久なんかは、まさに『麒麟がくる』でも茶に長けた商人として登場しておりましたね。

※以下は今井宗久の関連記事となります

今井宗久
信長に重宝された堺の大商人・今井宗久~秀吉時代も茶頭として活躍す

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松永久秀は後述するとして、上記名物のうち、例えば白天目茶碗などは、文化遺産オンラインでご覧いただけます。

 


家督を譲った信忠には初花肩衝など超一級品も

上記の茶器は『信長公記』を中心に抜粋。

相手と名前がわかるものだけでもこんなにあります。

茶器に限らず、絵などの芸術品を含めた「名物」全体となれば、その数は計り知れません。

献上させたものがほとんどですが、代わりに金銀を払ったケースが多いので、どちらかというと「買い取った」というほうが正しいですかね。

まぁ、権力者・信長に対して「差し上げますので命だけはご勘弁を!(gkbr」って感じだったかもしれませんし、金銀が送られてきたら逆にビビったかもしれません。

朝倉家からぶんd……回収した本能寺文琳のように、滅ぼした相手の持ち物を信長が所有していたこともあります。

実利主義の信長らしいというかなんというか。

茶器だけじゃなく【長篠の戦い】で武田勝頼の名馬を獲得していたことも信長公記に記載されていたりします。

今回はさらに、誰にどの茶器を与えたのかもまとめてみました。

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