鍋島直茂/wikipediaより引用

その日、歴史が動いた 諸家

鍋島直茂と化け猫騒動!秀吉と家康に認められ家臣→大名に出世するまで

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「おうらみ状」を送り付け

しかし、このとき高房が取った手段はいただけません。
この人は直茂の養女を妻にしていたのですけども、その女性を殺した上で自分も死のうとしたのです。
要するに抗議の無理心中ですね。

そこまでするほど領地を譲るのがイヤだったということですが、当然のことながら直茂はムッとしました。
このときの「おうらみ状」という手紙が有名です。

「私は龍造寺家の皆さんに誠意を尽くしてきたつもりなのですが、これはいったい誰に対するあてつけなのですか。話し合えばいいことじゃないですか。これじゃお家が本当に断絶してしまいますよ。今からでも遅くないので、直接お話をするつもりがあるならどうぞ」(超略)

しかし、この手紙を読むか読まないかのうちに高房は再び自害、今度こそ亡くなってしまいました。あーあ。

直茂もこれでは強行策に出られないと感じたのか。
亡くなるまで自分で肥前藩主の座につくことはありませんでした。

そのため、肥前藩の初代藩主は鍋島勝茂ということになっています。

直茂の息子にして肥前藩初代藩主・鍋島勝茂/Wikipediaより引用

直茂の息子にして肥前藩初代藩主・鍋島勝茂/Wikipediaより引用

「現役の戦国武将だった人が初代藩主ではない」という例はいくつかありますが、こういう遠慮でそうなったのは珍しいですね。

 

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直茂や勝成を祟った「鍋島化け猫騒動」

しかし世間はその遠慮をなかなか認めなかったらしく、直茂の死因について一騒動あったと言われています。

「鍋島化け猫騒動」と呼ばれるものです。
簡単にいえば、
「高房の飼っていた猫が飼い主の恨みを晴らすため化け猫になり、直茂や勝茂に祟った」
というものです。

歌川国芳画『梅初春五十三駅』/Wikipediaより引用

直茂が亡くなったのは81歳という長寿ながら、耳に腫瘍ができ、激痛に苦しみながら亡くなったということから「高房の祟りじゃないか」と考えられたのでしょう。

一度、人心を失った家が領地だけ取り戻したところで、家臣はともかく領民が懐いたかどうかはアヤシイ気がしますけども。

秀吉は直茂のことを「天下を取るには知恵も勇気もあるが、大気が足りない」と評していたそうです。
大気とは空気のことではなく心の広さのことで、高房とのやり取りを見ると「た、確かにそうかも……?」と否定しきれませんね。

養女を嫁がせた辺りで話し合っておけば、もうちょっと穏便に済んだかもしれないのになぁ。
人付き合いって難しい。

長月 七紀・記




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【参考】
国史大辞典
鍋島直茂/Wikipedia

 



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