欧州 中国 その日、歴史が動いた

歴史に名を残す世界の愛馬・名馬たち 赤兎馬、マレンゴ、膝突栗毛……

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「コンパニオン・アニマル」という言葉をご存知でしょうか。

直訳すると「伴侶動物」で、家畜や単なるペットではなく、動物と家族のように一緒に生きていこうという概念のこと。
人類と共に歩んできたのは犬と猫以外にももちろんおりました。

4月7日は、昭和十四年~二十年(1939~1945年)まで「愛馬の日」とされていた日です。

当時は政府主導で馬を使った行事が数多く行われたり、馬に関するラジオ番組が作られていたとか。
新宿の三越など、商業施設でも馬を使った催し物(見世物?)が行われたといいますから、この時代の数少ない娯楽として親しまれていたのでしょうね。

 

自動車や戦車のない時代 貴重な戦力だった

なぜ4月7日が馬に親しむ日になったのか?
理由は、明治時代までさかのぼります。

ときは日露戦争開始の明治三十七年(1904年)。
当時はまだ自動車や戦車が開発されていませんでしたから、馬は戦力としても輸送方法としても大切な動物でした。

が、日本の馬では大陸に渡った際さまざまな問題が起きることがわかり、明治天皇が「何とかせい(`・ω・´)」と命じたのが同年4月7日だったのです。

「白雪」にまたがる昭和天皇/wikipediaより引用

歴史と馬といえば話は一つ。
各時代の人物、特に武将や軍人といった人々にとって、馬は戦力であり大切な相棒だったことはいうまでもありません。

そこで本稿では、歴史上に名を残してきた古今東西の名馬に注目してみたいと思います。

 

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木下(このした)&南鐐(なんりょう)

木下は源仲綱(なかつな)愛馬。
当初は平家方に味方していた摂津源氏清和源氏)の人です。
一方、南鐐は平清盛の三男・平宗盛の愛馬でした。

この二頭、持ち主のイザコザが原因でとんでもない目に遭っています。

最初に宗盛が「木下っていい馬らしいじゃん。ちょっと貸してよ」と頼みましたが、仲綱は「やなこったw」(※イメージです)と断りました。
その時点で中々大人気ないんですが、これに対する宗盛の反応がまたヒドイ。
なんと、木下を強引に奪うどころか「仲綱」の二字を焼印して公衆の面前に連れて行ったというのです。

その仕返しに、宗盛は南鐐を奪ってたてがみと尾をそり落とし、さらに「平宗盛入道」と焼印を入れたとか。
馬たちにとってはホントいい迷惑ですね。その後罰が当たったのか、二人ともロクな死に方はしませんでしたとさ。

出典が『平家物語』なので、本当にこのままのことが起きたかどうかははっきりしませんが、こういうことをやりかねない二人だと思われていたのでしょうね。

 

内記黒(ないきぐろ)

長宗我部元親が、豊臣秀吉から拝領した葦毛の馬です。
葦毛とは黒い肌に白い毛色の馬で、個体によってグレーにも白にも見えますが、名前からして黒さのほうが目立っていたっぽいですね。

元親最大の危機・戸次川の戦いで、討死寸前だった元親を乗せて救出したといわれています。
その功績に感謝してか、元親の墓のそばにお墓が作られているとか。

 

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膝突栗毛(ひざつきくりげ)

こちらは島津義弘の愛馬です。
人間に換算して83歳まで生きたため、長寿院栗毛(ちょうじゅいんくりげ)とも呼ばれていたとか。
栗毛は少し明るめの茶色のことで、おそらく現代人がイメージする馬の色に最も近い色です。

「九州の桶狭間」ともいわれる木崎原の戦い(きざきばるのたたかい)で義弘が一騎打ちをしたとき、膝を折り曲げて敵の槍をかわしたといわれています。
空気が読める馬って国宝モノですね。

長寿を全うしたのも、義弘や薩摩の人々がこれに感謝して大切にされたからなのでしょう。ええ話や。

 

平形

旧陸軍参謀本部所属の軍馬です。
8歳のとき殺処分される予定でしたが、平形の能力をよく知っていた世話係の岩木利夫という人が、ある挑戦をして殺処分を免れました。

それは、東京・愛宕山にある愛宕神社の石段を、平形に乗ったまま駆け上がるというものです。

江戸時代あたりからたびたび挑戦されていた力試しのようなものだったのですが、当時の時点で成功例は10件ほどしかなかったとか。それほどの難事を成し遂げれば、処分を免れると思ったのです。

平形にもその気持ちが通じたか、登りも下りも見事達成。
このニュースは当時のラジオでも大きく報道され、観客が殺到しました。

騒動ゆえか偉業ゆえか、もしくはその両方か、昭和天皇の耳にも入ったそうです。
そしてめでたく殺処分は取り止めとなり、平形は参謀本部の将校用の馬として余生を送りました。ええ話や

 

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(すい)

秦王朝末期の武将・項羽の愛馬です。
「虞や虞や汝をいかにせん」で有名な「垓下の歌」に名前が出てきています。
ついでですので、あの詩を全文載せながら見てみましょう。

力拔山兮氣蓋世(俺の力は山よりも強く、気迫は世を覆うほどだ)
時不利兮騅不逝(しかし、時は俺に味方せず、騅も前に進もうとしなくなってしまった)
騅不逝兮可奈何(騅よ騅、お前が前へ進もうとしないのをどうすることもできない)
虞兮虞兮奈若何(虞や虞や、汝をいかにせん)

項羽が最後の最後まで一緒にいたのが愛馬・騅と愛する女性・虞だったというわけですね。

 

赤兎馬(せきとば)

三国志に出てくる馬は、某無双シリーズのおかげですっかり有名になりましたね。
赤兎馬は、最強武将とされる呂布の愛馬です。

しかし、その実態はよくわかっていません。というのも「関羽が乗っていた」とか「南蛮(ベトナムあたり)の王の妻・祝融が乗っていた」という話もあります。

「赤兎馬というのは固有名詞ではなく、何かの特徴を持った馬のことなのでは?」という説もあるようです。

赤兎馬にまたがる関羽/Wikipediaより引用

赤兎馬にまたがる関羽/Wikipediaより引用

 

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的盧(てきろ)

こちらは三国の一つ・蜀の祖である劉備の愛馬です。
固有名詞ではなく、額に白い点のような模様のある馬のことを差し、凶兆であるといわれていました。

劉備の乗っていたものは四本全ての足の先も白く、持ち主に祟りをもたらすともいわれていたそうです。靴下猫ならぬ靴下馬みたいな感じだったんでしょうか。




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現代だったらウケそうですが、あいにく迷信が幅広く信じられていた時代です。
そんな馬に乗るだけでも充分度胸がありますが、劉備の晩年や蜀そのものの行く末を考えると、国全体に凶事をもたらしたといってもいいような……。

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