ヨークタウンの戦いにおけるコーンウォリスの降伏/wikipediaより引用

アメリカ

3分でわかるアメリカ独立戦争が起きたキッカケは「お金」と「お紅茶」だ!

いつの時代もどこの国でも。
トラブルのもとは人間関係あるいはお金。

現代の覇権国家・アメリカ合衆国も、旧宗主国から独立した大きなきっかけは税金でした。

1775年(安永四年)4月19日は、アメリカ独立戦争が始まった日です。

日本では江戸時代。
十代将軍・徳川家治の頃なんですよね。

 

最初からイギリスのものだったワケじゃない

アメリカ合衆国が元々イギリスの植民地から始まった国であるということ(もともとは先住民の大地であること)は、おそらく皆さんご存知でしょう。

が、それ以前はいろいろな国が取り合いをしていた地域でした。
お隣カナダも同じですね。

最終的に戦争に勝って利権を獲得したのはイギリスで、その頃には新たな問題が発生してしまいます。

当時のイギリスは北米大陸だけでなく、インド植民地化の戦争をしていたり、スペインとも揉めたりしていて、複数のドンパチを立て続け&並行して行っていたのです。
そのため、あっちでもこっちでも多額の費用が必要になり、その穴埋めに新たな課税をするハメに陥りました。

国内はもちろん、新たに加わったアメリカ13州(以下13植民地)もその例外ではありません。

英国の13植民地・最初は沿岸の赤い部分だけだった/wikipediaより引用

 

税金がむしろ安すぎた影響で…

13植民地には、特有の事情がありました。
他の植民地と決定的に違い、新たに移り住んだ人々の土地だったのですね。現地住民を征服したのではなく、白人がたくさんいたのです。

そのためか、他の植民地と比べて税金が低く、イギリス本国内と比べてもかなり優遇されていました。

当然、本国で多額の税金を納めている層は激おこです。

「俺達に増税するなら、植民地の奴らにも払わせるのがあたりまえだろ!」
そんな声が高まり、イギリス政府も13植民地への新たな課税を始めます。

しかし、です。
新たに取られる方からすれば、これは当然面白くありません。

本国と比較すればまだまだ安い税額でしたが、植民地の人々からすると
「課税は仕方ないとしても、せめて事前に連絡せいよ!」
という話です。
これまた当たり前ですね。

ところが、その後も本国イギリスからは【報告・連絡・相談】なしに13植民地への「税金増えるから」という決定だけが伝えられてきました。

「せめてこっちの代表を本国の会議に参加させてくれませんかね?」
と打診しても、イギリス政府は聞く耳を持ってくれません。

植民地側の頑健な抵抗により、いくつかの税金は廃止されましたが、紅茶だけはずっと高額な税金が掛けられました。

 

「見ろ!港がティーポットのようだ!!」

今でこそイギリスは紅茶、アメリカはコーヒーというイメージが強いですよね。

当時の植民地は、イギリスから移ってきたばかりの人たちが数多く住んでおりました。
ゆえに紅茶は生活必需品です。
単なる嗜好の問題ではなく、上下水道の整っていない時代ですから、その殺菌作用は生活する上で欠かせない。

ところが、です。
イギリスが利権を保ち続けるために
「ウチの東インド会社以外から輸入した紅茶は全部密輸扱い。ボッシュートな!」
という法律を作ってしまったため、植民地の人々の怒りは頂点に達するのでした。

こっちの意見はロクに聞いてくれない。
生活に欠かせないものをべらぼうな価格で買わされる。

最もそのアオリをくらっていた商人達はブチ切れます。

そしてボストン港に運び込まれた紅茶の箱をちぎっては投げちぎっては投げ、「見ろ!港がティーポットのようだ!!」と叫びながら、見事、本国へケンカを売ったのでした。
※実際は「ボストン港をティーポットにしてやる!」です、似たようなもんですが

教科書的に言えば「ボストン茶会事件」になります。

ボストン茶会事件/wikipediaより引用

実は以前にもボストンでは、イギリス兵が民間人を射殺するという事件が起きております。

土地柄、反英感情が強くなっていたのでしょう。
武装した兵士が民間人を虐殺するなんていつの時代でも官憲のやっちゃいけないことNo.1なんですが、何故かどこの国もやりがちなんですよね。

こうして双方ケンカの売りあいになった本国と13植民地。
一度は話し合いで解決しようとしながら、ものの見事に決裂し、開戦に至りました。

ちなみに当時植民地側にはロクな軍隊がいません。
移り住んできた人の多くは家族単位での移民だったので、そもそもまとまっていなかったのです。

 

「なぜ勝った?」というより「なぜ負けた?」

では、どうして最終的に独立を勝ち取れたのか?

これを理解するには、
「アメリカが勝てた理由」
より
「イギリスが負けた理由」
を考えたほうがわかりやすいかもしれません。

上記の通り、そもそもイギリスは財政難に陥っていた頃で、ほかにも不利な要素がたくさんありました。
以下に列記してみましょう。

◆アメリカ独立戦争「イギリスの敗因」

①元がイギリスから移り住んだ人=同国人であるという意識から、他の国を侵略するときとは心象が違った

②大西洋を横断しているため戦場の認識が遅れ、本国から的確な指示を出せなかった

③同じく海を渡るため補給線が非常に重要なのに、なかなかアメリカ大陸側に拠点を作れなかった

④ヨーロッパ諸国の多くが13植民地側につき、ほぼ四面楚歌となった

⑤13植民地には共通の首都というべき場所がなく、全ての方面を占領しなければイギリスの勝利にはならなかった

⑥武器の開発は13植民地側のほうが進んでいた

⑦イギリス側についた人々と連携が取れていなかった

よくこれで8年間も戦えたな……という気さえしますよね。

ほかにも細かいところを挙げればまだまだあるかもしれませんが、この辺にしておきましょう。

デラウェア川を渡るワシントン/wikipediaより引用

 

独立宣言は戦争と「関係ない日」

独立戦争と言えば、セットで必ず語られるのが”アメリカ独立宣言”でしょう。

これはいつ行われたのか?
というと、戦争が始まった日でも終わった日でもなく、開戦から1年後の7月4日に批准されています。

なにゆえ、そんな中途半端な時期だったのか?

というと、ここで13植民地全てが
「今まで一応、交渉も続けてたけど、もうダメだ。あいつら、話が通じねえ」
と諦めたからです。

こうなると、イギリス側より植民地側の団結が強くなっていたことは自明の理。

独立戦争の戦闘そのものは一進一退という状況が長く続きましたが、1781年にヨークタウンの戦いでイギリス軍が負けたことにより、ようやく収束します。
といっても最終的にアメリカの独立が承認され、イギリス軍が完全に撤退するのは2年後の話なんですけども。

いずれにせよ
「植民地が独立した」
という事実は、世界的に影響を与えます。

教科書では「フランス革命の遠因になった」の一言で済まされがちですが、スペインやポルトガルの支配を受けていた中南米の人々が「俺達もやろうぜ!」と独立を意識し始めるようになるのです。

ざっくり年代順にすると、
アメリカがイギリスから独立

フランス革命

中南米の国々が独立
という流れです。

 

ワシントンからして「先住民を根絶やしにしろ」とか

いざ独立を勝ち取った13植民地側でも、全てがうまくいったわけではありません。
大きな禍根を残した点もありました。

イギリスの支配から脱したことにより、アメリカは当然自分達で政治をやっていくことになったわけですが、奴隷制が廃止されたのはアメリカのほうが30年ほど後になります。

また、西海岸を目指す過程でネイティブアメリカン(アメリカ先住民)への虐殺が頻繁に勃発。
それまでもヨーロッパからの入植者達がアッチコッチでやっていたことではありますが、独立してからは特に顕著です。

そもそも初代大統領ジョージ・ワシントンが「先住民を根絶やしにしろ」とか言ってますからね。

アメリカ合衆国初代大統領ジョージ・ワシントン/wikipediaより引用

時代とはいえ、国のトップがこの有様では、当時の白人がいかに偏見の塊であったか窺えるでしょう。

教科書では「強制移住法で先住民がカワイソウな目に遭いました」くらいの扱いですっ飛ばされていますが、詳細を調べれば調べるほどアメリカという国が嫌いになるような事実がゴロゴロ出てきます。

歴史を調べていて「(゚Д゚)ハァ?」と言いたくなるようなことは珍しくありませんけども、人種差別の類はその最たるものですね。
アメリカ合衆国に限った話ではありませんが。

そうした点や後々の歴史を考えると、果たしてこの国の独立は良いことだったのかなあ……と考えざるを得ない面があります。
イギリスの一部のままでも同じだったかもしれませんけどね。

長月 七紀・記

【参考】
アメリカ独立戦争/wikipedia
アメリカ合衆国の独立/wikipedia

 



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