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女性 鎌倉・室町時代 その日、歴史が動いた

北条政子は尼将軍と呼ばれながらも不幸な女性?4人の子供たち全員に先立たれ

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「女丈夫」という言葉をご存知でしょうか。

体が丈夫な女の人……ではなく、考え方がシッカリしていて、男性にも負けないような気迫を持っている女性のこと。

古代史では、

◆身重ながらに大陸へ渡って戦の指揮をした神功皇后
◆正式に即位した初の女性天皇・推古天皇

などが代表的ですが、殺伐とした中世においてキョーレツな存在感を放ったあの御方を、真っ先に思い浮かべる方もおられるでしょう。

嘉禄元年(1225年)7月11日、北条政子が亡くなりました。

果たして彼女は本当にキャラの濃い女性だったのか。
その生涯を見て参りましょう。

 

尼将軍で剛毅なイメージの強い北条政子

若い頃には(当時罪人だった)源頼朝との愛を貫いたり。
夫が亡くなってからは「尼将軍」として御家人たちを叱咤したり。

北条政子といえば、なかなか剛毅な女性としてのイメージが強いですよね。

特に承久の乱で後鳥羽上皇に蜂起され、御家人たちに向かって行った演説は有名でしょう。

「かつてお前達は、頼朝殿に山よりも高く海より深いご恩を受けたというのに、この体たらくはどうしたことですか! 今こそそのご恩を返すときではありませんか! 上皇に従いたいというのなら、今すぐこの場で名乗り出なさい!!」(超訳)

実際は安達景盛という武士が彼女の代わりに声を張り上げ、そもそもこの演説を聞いている時点で北条サイドでは?という素朴な疑問もあるのですが、まぁ、ともかく彼女への信頼が厚かったことは間違いありません。

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そしていざ上皇との戦いが始まったときも、あっという間に幕府軍が勝利しました。

 

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自分の子供たち全員に先立たれ……

しかし彼女は、とてつもなく大きな悲しみを背負った人でもあります。

自分が産んだ子供に、全員先立たれているのです。

古来より、子に先立たれた親、特に母親の悲しみはこの世で最も哀れなものとされてきました。
仏教用語では「逆縁」と言い、これほど有名な人物がそんな状態にあったことを今では誰も気に留めませんよね。

まぁ、一人だけは助けられそうな子供もいたのですが……。

ということでここから先は、彼女自身の生涯と、四人の子供たちを一緒に振り返ってみたいと思います。

頼朝は他の女性との間にも子供がいるのですが、ここでは政子の子供として数えるので、頼家を長男と書かせていただきますね。

 

禁断の恋から始まった伊豆のビッグカップル

政子の一生においては、前半生……特に、頼朝と結婚する前後が一番幸せだったかもしれません。

彼女は伊豆の実力者・北条時政の長女として生まれ、父親が頼朝の監視役となったことで運命の出会いを果たします。
まるで仕組まれたかのように、時政が京都へ仕事をしに行ったため、いわゆる「禁断の恋」といったシチュエーションになったのです。

どこぞの悲劇と同様、
「ああ頼朝、あなたはどうして源氏なの?」
とかなんとか言ってたかもしれませんね。何だこの違和感のなさ。

近年では足利直義説が有力な源頼朝の肖像画/wikipediaより引用

当時としては珍しく、政子は自ら忍んで頼朝に会いに行くほどの熱烈ぶりだったので、時政も渋々結婚を認めました。

ちょうどこのあたりに、上方では「平家ブッコロ!」な動きが見え始めていたため、時政としては「一応源氏の御曹司だし、仲良くしておけばいいことあるかも」と思ったのかもしれません。
そしてその勘もズバリ的中し、北条繁栄の時代が来るんですけどね。

頼朝と政子の間には、まず長女・大姫が生誕。
その四年後には長男・源頼家、同じく頼家の四年後に次女・三幡(さんまん)、最後に末っ子の源実朝が生まれました。

なんだか素晴らしいほどの家族計画ですね。
女性二人の誕生日は不明なのですが、頼家と実朝はどちらも8月の前半生まれです。計画的ッ!

 

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尼将軍と呼ばれて

この中で一番長生きしたのが、源実朝でした。

大姫と三幡は10代で亡くなり、頼家は政子の実家によって殺されてしまいます。

実朝暗殺については政子は関与していなかったようですが、下手人の公暁は父・源頼家の敵討ちのつもりだったでしょうから、自ら蒔いた種と言えなくもないですね。
実は頼家暗殺については、政子が止めようとしていたのかしていなかったのか……要は関与の可能性もあるのです。

いずれにせよ、こんな経緯で四人もの子供に先立たれたら、そりゃあ
「この年老いた尼一人が生き残らなければならないのか」
とでも嘆きたくなりますよね。

この発言は『承久記』という歴史書に書かれているのですが、元々は承久の乱の記録なので、御家人たちに対する「しっかりせんかい!」(超略)発言の前に書かれていることになるのが、また何とも物悲しく……。

実朝の暗殺から、承久の乱の宣戦布告が届くまでの2年間。
子供たちを全員失いながら過ごしていた彼女は、一体どんな気持ちだったのでしょう。

一応、京都から招いた将軍たちの後見となって幕府を取り仕切り、「尼将軍」と畏怖されておりましたが、決して幸せだとは言い切れなかったのでは……。

「政子ってスゴイと思われてるけど何もしてねーじゃんwwwww」
と言われる方もおります。

しかし、全ての子供に先立たれた悲しみを、夫の残した制度を守り抜く力に変えたというのは、そうそうできることではありません。

そこだけは誰もが認めてもよいのではないでしょうか。

長月 七紀・記




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【参考】
『承久の乱』著:本郷和人→amazon link
国史大辞典
北条政子/Wikipediaより引用

 



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