筑紫駅列車空襲事件で襲われた西鉄200形(同型車)/Wikipediaより引用

明治・大正・昭和時代 WWⅡ その日、歴史が動いた

終戦直前の「湯の花トンネル列車銃撃事件」無防備な列車を襲ったアメリカ戦闘機

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その後、再び上空に敵機約40機が現れたため、再度、退避! しようとしたそのとき、機銃掃射とロケット弾で一斉に攻撃されたのです。

攻撃は約30分続き、主に前側の3車両が被害を受けました。
死者44名、負傷者31名以上、そして近隣の民家が三軒被災しています。

不幸中の幸いは、乗務員に被害がなかったため、歩ける乗客を降車誘導できた点、そして被害車両の半分を退避させられた点でしょう。
なぜ半分だけなのかというと、機関車(列車を引くための機関がある車両)も若干損害を受けたため、通常通りの運行ができなかったのです。

亡くなった方、負傷された方については痛ましい限りですが、乗員の判断と行動によって被害が軽減した面もあったハズです。

 

那賀川鉄橋空襲~鉄橋上を逃げる人まで狙われる

同年7月30日、徳島県那賀郡平島村(現・同県阿南市)では、那賀川下流の鉄橋を渡っていた列車が襲われました。

徳島駅を午後2時47分に出発し、途中で警戒警報が発令されたため、列車は一時、阿波中島駅に停車。
駅長の判断で運行を再開した直後のことでした。

米軍機2両による爆撃と機銃掃射により、列車は大破・脱線して立ち往生状態となり、格好の的になってしまったといわれています。

目撃者によると、米軍のパイロットは「川に飛び込んだ人や、鉄橋上で逃げる人も狙って撃っていた」とか。
戦場の兵士相手や、政府の要人が乗っていた列車だというならともかく(良くはありませんが)、一般人をそこまでして狙う意味があったんですかね。

また、この列車に乗っていたある若い女性車掌が重傷を負い、意識がもうろうとする中でも「皆さん伏せて!」と叫び続けていたそうです。
彼女は病院で適切な処置を受けたものの、3日後に破傷風で亡くなったそうで……。

この空襲での死者は32人、負傷者は50人超とされています。

 

筑紫駅列車空襲事件~上りと下りが駅で同時に襲われた

8月8日には九州で事件がありました。
同日午前、福岡県筑紫郡筑紫村(現:筑紫野市)の大牟田線筑紫駅付近で発生したものです。

被害車両は西鉄福岡9時40分発の大牟田行き・下り普通列車でした。

途中、空襲警報が発令されために1時間ほど停車&遅延しており、筑紫駅付近に来たのは午前11時頃だったそうです。
そしてほぼ同時に、久留米方面から福岡方面へ向かう上り列車も筑紫駅に入ろうとしていました。

この2つの列車が、アメリカ軍の戦闘機による機銃掃射を受けたのです。

筑紫駅周辺は障害物になるようなものがなく、それだけに被害も死者64名、負傷者100名前後という多さでした。こちらも例によって数字には諸説あるようです。

P-51/Wikipediaより引用

 

もう少し全国的に知られてもいいような気が

これらの件に対しては、日米双方に「なぜそうした」としか言えないところが多々あるのが何とも……。
日本の防空に対する甘さは言うまでもなく、特にアメリカ軍は一般人の虐殺で何がしたかったのか。

補給線としての鉄道を破壊するなら、夜間に線路や駅を爆撃すれば済んだはずです。

別件ですが、小学校や子供への機銃掃射も行われていたようなので、明らかに「戦略や弾薬消費を度外視してでも無力な人間を銃撃する」ことを目的にしていたとしか思えません。

いずれの事件も、地元では慰霊祭が行われていたり、慰霊碑や遺構が保存されているそうです。

ただ、もう少し全国的に知られてもいいような気がしますね。

復讐とかリベンジとかそういう目的のためではなく、事実は事実、犯罪は犯罪として伝えるべきでしょう。
こうした事件が世間一般に知られることによって、戦勝国の戦争犯罪追求に繋がり、ひいては今後の防止につながってもいくのではないでしょうか。

亡くなった方やご遺族にとっては今更かもしれませんが、それが進んで初めて「戦後」も終わるように思います。

長月 七紀・記

【参考】
湯の花トンネル列車銃撃事件/Wikipedia
大山口列車空襲事件/Wikipedia
那賀川鉄橋空襲/Wikipedia
筑紫駅列車空襲事件/Wikipedia

 



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