イギリス戦艦セントジョージ/wikipediaより引用

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イギリス・ザンジバル戦争は40分で終了 ギネスにも載る世界一期間の短い

1896年(明治二十九年)8月27日は、イギリス・ザンジバル戦争という戦いがあった日です。

なぜ「始まった日」ではないのか?
というと、この戦争はある一点において、ギネスブックに載るほどの珍記録を生み出しているからです。

早速、見て参りましょう。

 


賛成派と反対派が火花を散らし始め

ザンジバルというのはインド洋にある島のことで、当時はイギリスの保護国になっていました。

しかし、いつの時代も別の国にアレコレ言われることほど不快なものはありません。

当時ザンジバルのトップはイギリスに好意的だったのですが、他の人が「なんであんなやつらに頭を下げなきゃいけないんだ!」と反発。
お偉いさんをブッコロしてしまったことから話がキナ臭くなってきます。

また、ブッコロされてしまった人の他にも親イギリス派がおり、これが反イギリス派との間で火花を散らし始めました。

当然のことながら、イギリス本国は、前者に協力すべく船を動かします。

いったんはアメリカの仲介で穏便に済むかとも思われましたが、期限日時までに話がまとまらなかったため、イギリス軍はザンジバルの軍船と中央政庁に容赦なく総砲撃をしかけました。

イギリス戦艦スラッシュ/wikipediaより引用

イメージとしては、薩英戦争と同じような感じでしょうか。

というかコチラのほうが、だいぶヒドいです。
なんせイギリス軍の攻撃開始から、わずか40分でカタがついているのです。

これでも一応「戦争」扱いになっているため、ギネスブックに「史上最短の戦争」として登録されたのでした。

まったくもって嬉しくない記録ですよね。

砲撃後を受けたスルターンのハレム/wikipediaより引用

 


戦闘は終わってても平和条約を結んでないから戦争状態

また、逆に「形式上は」何百年も続いていた戦争というものもあります。

なんだか、ややこしい話ですが、これは「戦争」というものの定義が近代になって変わったからです。

大昔であれば、「戦闘=戦争」なので、戦闘が終われば戦争も終わりという考えでした。
しかし近代からは「戦争がきっちり終わったことを明らかにするためには、当事者同士で条約を結ばないとダメ」ということになっています。

つまり、「戦闘は終わってるけど、条約結んでないからまだ国際法上は戦争状態」といった、実にお役所仕事的な考えなんですね。

離婚しても同居を続ける夫婦のようなものでしょうか。
もしくは、「卒業式は終わったけど、3月いっぱいは高校生だからバイトの深夜シフトには入れない」とか。

……余計ややこしいですねサーセン。

 


実は日本でもモンテネグロを相手に……

実はこれ、該当する例は一つや二つではありません。

一番古いものですと、ローマ帝国とカルタゴ(地中海チュニジアにある都市でローマ時代から存在)が、紀元前264年から1985年まで戦争状態だったとか!?

もちろん実質的な戦闘はずっと昔、紀元前146年に終わっています。
それでも80年近く経っているので、充分に長いですけどね。

ちなみに日本も他国のことはいえなかったり……。

日露戦争のとき、ロシア側についたモンテネグロという国が日本へ宣戦布告をしてきていました。
が、ロシア本国だけで手一杯だった日本は、実質的に交戦していないモンテネグロのことをすっかり忘れていて、講和条約を結ぶときにモンテネグロの人を呼ばなかったのです。

ちなみにこれ、モンテネグロのほうではきっちり解決したいようで、2006年にそういう話をしていたようです。
が、日本の外務省がノーコメントなので今もはっきりしていません。

同国の独立宣言の承認はしているんですけどね。
外務省さん、どうなってるの?

戦争の記録はほとんどの場合悲惨なものですが、たまにこうした「……は?」と言いたくなるようなこともあるのは、やはり人間のやることだからですかね。

いずれにせよ、起きないならばそれに越したことがないというのは変わりませんが。

長月 七紀・記

【参考】
イギリス・ザンジバル戦争/wikipedia
外交上の終結まで長期にわたった戦争の一覧/wikipedia


 



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