三種の神器

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三種の神器「天叢雲剣・八尺瓊勾玉・八咫鏡」それぞれの特徴と由来は?

「伝説の武器」に関する話は、世界中に伝わっています。

しかし、現存するものはほとんどありません。

その数少ない例外が我らがニッポン。

景行天皇四十年(110年)10月7日は、ヤマトタケルが叔母・倭姫(やまとひめ)から天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を賜ったといわれている日です。

今回は天叢雲剣を含む【三種の神器】について見てみましょう。

 


天叢雲剣・草薙剣

草薙剣(くさなぎのつるぎ)とも呼ばれる剣です。

天皇の武力の象徴ともいわれています。

スサノオがヤマタノオロチを退治したとき、その尾の中から出てきたという話が有名ですね。

スサノオはこの剣を天照大神に献上しましたが、その後ニニギ(皇室の直接の祖先とされる神様)が天界から下る際に持ってきたといわれています。

しばらくの間皇室が現物を持っていましたが、十代天皇・崇神天皇の時代に別のところで祀られることになったため、形代(レプリカ)が作られています。

ヤマトタケルが授かったのは本物で、後々熱田神宮に祀られました。

レプリカのほうは源平の争いのとき平家方に持ち出され、【壇ノ浦の戦い】で海に沈んでしまいました。その後もう一度レプリカが作られ、いろいろすったもんだがあったものの、現在も皇居に安置されています。

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なぜ二つも名前があるのか。

はっきりした理由はわかっていません。

「当初は天叢雲剣と呼ばれていて、ヤマトタケルが東征中に山火事で燃えている草原を一薙ぎで消し止めた後、草薙剣と呼ばれるようになった」など、いくつかの説があります。

どの説も「ヤマトタケルが草をなぎ払って難を逃れた」という点が共通しているので、何かの比喩かもしれませんね。途中で山賊の一味を征伐したとか、そんなところでしょうか。

また、スパイや忍者のことを「草」と表現することがあるので、その辺も関係あるかもしれません。

 


八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)

「瓊」という字が赤い色やメノウをさすといわれています。

ですので、この名前を直訳すると「八尺ある赤い色の勾玉」ということになります。

が、八尺という長さがどこをさしているのかがはっきりわかっていません。

勾玉の外周または内周なのか、結んである緒(ひも)の長さを示しているのか、あるいはただ単に「八尺くらいありそうなほど大きい」という比喩という説もあります。

八尺瓊勾玉も例によって壇ノ浦の戦いのとき、二位尼(清盛の奥さん)と安徳天皇とともに失われるところでしたが、箱に入っていたままだったので浮き上がったのだそうです。そりゃそうだ。

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そして、三種の神器の中で、唯一現物が今も皇居にあります。

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