ギリシャ 欧州 その日、歴史が動いた

トロイア遺跡発掘物語「探せ、トロイの木馬!」シュリーマン

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神話やオカルトと歴史は紙一重だったりします。

【フィクションだと思われていた話が実は歴史上の出来事を婉曲表現したものだった】
とか
【過去の過ちを二度と同じことを繰り返さないために、教訓として神話にしたものだった】
とか。
こうした例は世界中どこでも珍しくありません。

1871年(日本では明治四年)10月11日、シュリーマンが着手した古代都市トロイアの発掘もその一つでしょう。

これだけだと「ふーん」としか言えないかもしれませんが、実は、結構ドキドキする歴史ロマンな展開だったりします。

順を追って見て参りましょう。

※遺跡としての名前は”イリオス”とありますが、親しみやすいトロイアで統一します

 

ギリシア諸国と戦ったトロイア

まずトロイアとは何ぞや?

と申しますと、小アジア、今のトルコのエーゲ海沿いにあったといわれていた都市の名前です。
ある程度立派な規模の国だったのですが、ギリシア諸都市国家との戦争に負けて滅びたと伝わっていました。

現在の遺跡位置をGoogleMapで確認してみましょう。

ご覧の通り、トルコの海岸沿いにありまして、せっかくですので拡大した画像で見てみましょう。

航空写真の方が臨場感ありますよね。

上記マップから、ストリートビューで中にも入れます。

ただし、縦横無尽に歩くことは不可能で、その代わりに360度カメラで全方位が見れるスポットが10箇所以上あり、非常に面白いです。

スマホで見れないという方は、


このような光景が広がっているとお考えください。

さて、トロイアが負けたきっかけは、コンピュターウイルスの元ネタにもなっている「トロイの木馬」であることはよく知られた話でしょう。

ギリシア連合軍が退いたと見せかけて大きな木馬を作り、その中に兵を潜ませ、トロイヤ側が油断してその木馬を町の中に引き入れた後、襲い掛かる――。

そんな怪しいものは明らかにフラグだと思うんですが、当時は「神の怒りを鎮めるため」とかいろんな理由で、像を作ったり生贄を捧げていたので、その一つだと思われたのでしょう。

捕虜がそのように証言(ただし嘘)をしたので余計信じ込んだのだと思います。
まぁ、戦争中なんだから敵の発言をそう簡単に信用したらアカンけどな。

というわけで、そんな”伝説”はあったのですが、さすがにこんな話を信じている人はほとんどいませんでした。
「歴史は勝者のものである」と言われる通り、負けたトロイア側の記録があまりなかったのです。

ちなみにトロイアの生き残りが後にローマを作ったりしているのですが、その辺の話は長くなるのでまた機会を改めてお話したいと思います。

先に知りたいという方はぜひ阿刀田高先生の”新トロイア物語(→amazon link)”をお読みください。

↑こちら、生き残りのリーダー・アイネイアスを主人公としたもので、胸アツな展開で面白いですよ。
本はかなり分厚いですけど、今ならKindleで楽に読めますね。

 

オスマン帝国の領土 無許可で勝手に発掘始める

トロイアはあくまで伝説――そう思われていたせいか、当時、学術調査はほとんど進んでいませんでした。
発掘技術もまだまだ未発達でしたしね。

シュリーマンの前にも調べていた人たちはいたようなのですが、手がかりもほとんどない上スポンサーも乏しい状態では、どこにあるかもわからない遺跡を探すのはほぼ不可能というものです。

ハインリヒ・シュリーマン/wikipediaより引用

そうした中、幼い頃トロイアの伝説を聞いて「どうしてもトロイアを見つけたい!!」と思っていたシュリーマンは、商才を生かして財を築いた後、トロイア遺跡の発掘調査を開始。

伝説を事細かに読み込んだ結果、
「アナトリア半島(現・トルコ)の西にあるヒサルルクの丘に違いない!」
という結論に至りました。

当時ここはオスマン帝国の領地だったのですが、「伝説を確かめられるかもしれない!」とテンション上がりまくりのシュリーマンはなんと無許可で発掘を始めてしまいます。度胸あるな。

まぁ、当時のオスマン帝国は既に”瀕死の病人”と呼ばれて久しい状態だったので、盗掘紛いの一個人なんて気にかけているヒマがなかったのでしょう。

 

遺跡は……トロイヤ戦争より古い時代のものでした

必死な思いが通じたのか。
シュリーマンはトロイアの遺構を見事に発見することができました。

しかし、彼がトロイア戦争当時のものだと考えたのは、第2層と呼ばれるもっと以前の時代のものでした。
トロイアという場所であったことは間違いないので、ニアミスというところですかね。

「なんで同じところにいくつも遺跡があるんじゃい?」と不思議に思う方もいそうなのでカンタンに付け加えておきますと、こういう古い都市や地層では、同じ場所にいくつもの遺構が重なっているケースがあります。

自然災害によって埋まってしまった後に建てなおした、というケースもありますが、さらに多いのは”埋め戻し”です。整地のために以前の建物を埋めて建て直す、というもので、他にもローマなど古代から存在していた都市でよく見られます。

昔はブルドーザーなどもありませんから、いちいち全部片付けられません。
埋め立てた一部を堤防や城塞として利用することもありました。

イタリアやギリシャで地下鉄を作りづらい理由の大部分はこれです。

費用の膨大さもさることながら、学術的・観光的両面から見てお宝の山である遺跡を、利便性のためだけにぶっ壊すということができないんですね。
かといってモノレールにしてしまうと景観が悪くなってしまいますし、難しいものです。

 

「似てるけど違う国でした」なんてことも?

話をトロイアに戻しましょう。

こうした理由があったため、シュリーマンが自分の発見を「トロイア戦争のときの遺跡に違いない!」と思い込んでもおかしくはありませんでした。

が、彼はあくまで資産家であってその道のプロではなかったので、シュリーマンの発掘のやり方はかなり手荒いものだったとか。
しかも発掘自体が無許可だったため、同様に無許可で出土品を国外に持ち出すなどやりたい放題でした。どう見ても泥棒です。

こうした暴挙のため傷んでしまった部分も多く、現代の考古学者からすると(#^ω^)と思うこともあるようです。

また、彼は「有名人になってやるぜ!」という自己顕示欲が非常に強い人だったらしく、トロイア発掘に関するものだけでも結構誇張していることがあります。

「俺が発掘を始めるまでは誰もトロイアのことなんて信じてなかったんだぜ!」とかですね。
要するにそれだけ「俺SUGEEEEEE!」ということを強調したかったのでしょう。現在ではすっかりバレてますが。

まあ、他の人に危害を加える類の嘘でない分可愛いほうでしょうか。

ちなみに、この遺跡が本当にトロイアという国だったかどうかは現在でも実証されておらず、今後の研究が待たれるところです。

もし「似てるけど違う国でした」なんて結論が出た日にはシュリーマンの評価も変わってくることになりますね。
行動力だけは認められると思いますけども。

その場合、語学の才能(実に18ヶ国語を使いこなしたそうですが、そっちの方がスゲー?)やそれを利用して清や幕末の日本に来ていたことなどがクローズアップされていくのかもしれません。さてさてどうなるやら。

長月 七紀・記

【参考】
『古代への情熱―シュリーマン自伝 (岩波文庫)』(→amazon link
『トロイアの真実―アナトリアの発掘現場からシュリーマンの実像を踏査する』(→amazon link
シュリーマン/wikipedia
イリオス/wikipedia

 



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