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政宗に格も力も匹敵していた最上よしあっきーの城・山形城跡の復元をめぐって

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山形を代表する史跡といえば、まずは「山形城」であろう。山形駅から徒歩15分程度の距離に「山形城址」はある。市民の間では「霞城公園」と呼ばれることのほうが多い。
かつて最上57万石にふさわしい日本屈指の敷地面積を誇った山形城は、相次ぐ領主交替により城の規模が維持できなくなり、縮小をくりかえしてきた。

明治になって破却されると戦前は軍事施設、戦後はスポーツ公園として整備され、市民憩いの場となった反面、史跡とはむしろ破壊される傾向にあった。しかし、このままでは国指定史跡としての認定を取り消される可能性もあるとして、山形市は城の復元および発掘調査に取り組み始めた。

 

難航する復元

この復元がなかなか難しいらしい。まず、スポーツ施設として定着したためか反対意見も根強く、なかなかまとまらない。また、山形城はあくまで「国指定史跡」だ。同じ山形県の上山城のように、史実を無視した建物にしてしまうと観光施設としてはにぎわうかもしれないが、史跡としての指定は取り消されてしまう。

では歴史的根拠に基づいて整備しようとすると、決定的な史料が乏しいのだ。山形市では図面や古写真を募集しているが、なかなか見つからないようである。そんな中でも「二の丸東大手高麗門」等は順調に復元されており、映画のロケにも使用されているそうだ。

山形城跡二の丸東大手門

山形大学による発掘調査では、備前焼・信楽焼・黒織部沓茶碗・瀬戸美濃焼・肥前系陶器・輸入磁器等が見つかった。こうしたものには茶道具が含まれており、山形城下での茶道文化もいずれわかってくるかもしれない。

さらに文書に記載のあった幾度かの大火災も見つかった。山形市の植木市は最上義光(よしあき)が大火で木々を失った城下に、緑を取り戻そうと呼びかけたそうだが、火災が存在したと確かに確認できたのである。

植木市

本丸堀・土塁からは六道銭や人骨の入った中世期の土壙墓、さらには五輪塔や板碑も発見されており、城の敷地に寺社や供養塔があったのではないかと推察されている。中で最上時代の金箔瓦は、当時の山形城の姿を伝えるものだ。織豊政権でも限られた城にしか許されなかったこうした豪華な瓦は、義光時代の栄華を伝えるものと言えるのだ。

「日本百名城」の名に恥じない山形城。歴史好きなら外せないスポットだ。今度の休日は山形で史跡めぐりもよいのではなかろうか。

ではそんな山形城とはどのようなところなのだろうか。
みどころとしては、まずは大手門があげられる。駅から来ると城へはここから入ることになるだろう。映画等のロケにも使われることがあるという。門前の堀は釣りスポットでもあるらしく、休日は釣り人の姿も見られる。

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銅像よしあっきーは直江兼続の本陣をにらむ

どっしりとした大手門をくぐると、最上義光の騎馬像が見えてくる。この像最大の特徴は、馬が補強なしの二本脚のみで立ち上がっていることだ。そのポーズはダヴィッドの『サン・ベルナール峠を越えるナポレオン像』を思わせる。かなりバランスが難しいものらしく、試行錯誤を重ね、山形鋳物の技術を結集して作ったそうだ。

ナポレオンの場合は顔を鑑賞者に向け右手を軽くあげているが、この像の義光は右手で鉄の指揮棒を掲げ前をしっかりと見据えている。この方角は長谷堂合戦における直江兼続の本陣を向いているそうで、山形城防衛に立ち上がり勇戦する義光をかたどったものなのだ。ちなみに兜や甲冑は戦国時代よりも前の時代のものに近い。時代考証よりも外見重視でそうしたそうだ。
こうした個性的なポーズ、考証より外見重視といった工夫もあってか、義光像は実に見栄えがする。
義光像のそばには斯波兼頼のレリーフがある。羽州探題最上家の祖とされる人物で、義光の先祖にあたる。ちなみに斯波兼頼像は駅前のすずらん通りにもあり、この通りの街灯には最上家の家紋である丸二引両があしらわれているのでご注目。

「ぶらり重兵衛の歴史探訪2」より

城の敷地内にはさまざまな施設があるが、山形市郷土館もそのひとつだ。明治初期に建てられた病院を移築したもので、今は医療関係のものをはじめとしてさまざまな山形の近代資料を展示している。この建物のそばには義光の時代から立つイチイがある。霞城公園にはエドヒガンはじめ、さまざまな樹木がある。樹齢四百年を越えるこのイチイなどは見応えがある。自然観察にもおすすめのスポットだ。

イチイと同じ郷土館の敷地内に「白鳥十郎首洗い石」という石が、ぽつんと立っている。最上義光が敵の白鳥十郎を暗殺した際に、首をのせた石という伝説がある。ちなみにかつては山形城内に、白鳥十郎を惨殺した際に血が飛び散った「血染めの桜」なる木があった。この木は大正時代初期からそう呼ばれるようになったものらしい。

山形城にはかつて歩兵第三十二連隊が駐屯していた。この「血染めの桜」が連隊のシンボルとされこの前に連隊旗が置かれており、また連隊歌の歌詞にも登場したという。
そのためか「血染めの桜」伝説は一般市民の間にまで広まったが、この血染めの桜伝説は後世の捏造だというのが、最近の見方だ。

確かに義光が白鳥十郎を殺害したらしいが、その状況はわかっていない。ちなみに事件当時は、暗殺も珍しくない時代であるから、白鳥家臣はともかく周辺大名からは非難されていなかったらしい。
このとき伊達政宗は宿敵が滅びた伯父に、祝いの書状を送っている。

NHK大河での印象が極悪非道のレッテル張りか




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大名自ら刀をふるい、宿敵を斬る。その劇的な効果なためか、ドラマや小説でも白鳥十郎暗殺は大きく取り上げられることが多い。中でも『独眼竜政宗』での場面は、原田芳雄の名演もあってかかなりのインパクトがあった。

マイナーな大名であった義光に極悪非道なイメージがついたのは、この場面の効果が大だろう。義光こそが地元の名君とした山形市にとっては、とんだ迷惑な話である。そのためかどうかはわからないが、かつてあった「首荒い石」の看板はなくなったようだ。それにしても「首洗い石」と洋館という組み合わせは、どこか不思議でオカルトチックな雰囲気もただよわせているのであった。
山形城は復元された門といった建物に目がいきがちだが、実は意外なところに古く由緒あるものが残っている。天守閣がないこともあり物足りないかもしれないが、石垣も堀も当時のものだ。最上時代から残る雰囲気を味わえるのである。





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