東日本大震災

津波で浸水した仙台市宮城野区の沿岸部(撮影:米海軍)/wikipediaより引用

明治・大正・昭和

地震大国・日本では過去に何度の大地震が起きたか?地震の歴史まとめ

日本は地震大国です。

2011年3月11日の東日本大震災から、今日でまだ13年。

『地震大国だってことぐらい知ってるわ』と、思われるかもしれませんが、では具体的にM6.1以上の大地震が、有史以来どんな頻度で起きてきたか?と問われたら、即答できる方は少ないでしょう。

もちろん私も知りませんでした。

なので、今回、ちょいと調べてみたら、驚愕の結果に……。

本稿では日本の地震の歴史をご報告したいと思います。

 


最初の記録は『日本書紀』の416年

日本で最初の地震が記録されたのは『日本書紀』であります。

今回参考にさせていただいた『理科年表』(国立天文台編)では、その地震を「416年」としておりますが、この時代の記述は大変曖昧で、どのような規模でどんな被害だったのかという内容を含めて、真実のところは不明です。

ただ、わざわざ書かれるということは、なかなか大きな揺れだったのでしょう。

では、M6.1以上の地震は有史以来、何回起きていたかご想像つきますか?

答えは304回です。

つまり、最初の地震から数えて5年に1度は大地震に襲われている計算になりますが、これはあくまで最小数。

戦国時代以前は、記録に残されなかった地震が相当数あったと思われ、もし正確に観測できていたらヘタすりゃ数倍の1000回を超えちゃうかもしれません。

なお、理科年表には気象庁などの情報をもとに、M6.0以上の主な地震が掲載されておりますが、当記事ではあえてM6.1以上を拾っていきたいと思います。

というのも古い時代のマグニチュードは推測の部分が大きいからです。ゆえにM6.0と診断されたものについては、ギリギリで中規模地震と判断しました。

前置きが長くなって申し訳ありません。そんなわけで本編へ行きましょう。

 


飛鳥・奈良・平安時代の大地震

学校で習うこの時代の有名人と言えば、

・十七条憲法の聖徳太子
・東大寺大仏の聖武天皇
・摂関政治の頂点 藤原道長

あたりですかね。

まずは数字のマトメから見て行きましょう。

飛鳥~平安時代に起きたM6.1以上の地震は28回です。

記録をすべて計上すると、775年間で37回ですから、20年に一度って感じでしょうか。決して「異常に多い!」とは思わないかもしれません。

古墳~平安時代 28回

M6.1以上の地震 24回

M8.0-9.0クラスの超巨大地震 4回

M6.0(M5.0-6.0含む)の地震 3回

規模不明の大地震 7回

総数 38回(775年間)

1年あたりの地震回数 0.049回

しかし、こちらはあくまで『記録に残された地震』のみ。

現代の観測技術があれば軽く数倍になる気がします。

というのも、この時代は特に地震活動が沈滞していたとかではなく、超巨大地震の貞観地震が869年に三陸沖で起きているのです。

貞観地震は後に東日本大震災が千年に一度と呼ばれる由縁にもなっています。

貞観地震(869年)

1142年後

東日本大震災(2011年)

注目すべきは、貞観地震からわずか18年後には南海トラフ大地震が起き、貞観地震の5年前には富士山が歴史に残る大噴火をしていたことでしょう。

富士山の貞観大噴火(864年)

三陸沖の貞観地震(869年)

南海トラフの仁和地震(887年)

もう少し、この時代を詳しく見て参りますね。

 


古代の地震 ここに注意

今後、2040年台までに60~70%もの高確率で発生すると予測されている【南海トラフ巨大地震】も、この時代に最初の記録が残されております。

はい、【684年白凰地震】ですね。

規模はM8.25とされており、震源域は東海・東南海・南海域(いわゆる三連動地震)でした。

記録によると、山が崩れ、川が氾濫し、家や神社が倒れて、土佐(高知県)には津波も襲来。

多くの船が沈没し、約12平方kmもの田んぼが水没しております。

おそらく、高知県以外(和歌山県や大阪府、三重県、愛知県など)も襲われた可能性はあります。

この次に記録されているメガクェイクは、古代最大クラスの【869年貞観地震】 であります。

東日本大震災と同じ三陸沖で発生したものであり、地震規模はM8.3。

当時の東北政庁であった多賀城の周囲を津波が遅い、城郭や倉庫、などがことごとく崩れてしまい、溺死者は1,000名を超えました。

津波堆積物の推測から、東日本大震災と同規模だったとする研究もあります。

多賀城模型

そして、変わった記録では、夜間に昼間のように明るい光が発生したとされています。

大地震のとき発光現象が起きるのは世界中でも確認されており、ナショナルジオグラフィックでも『予知に使えるのではないか?』という観点からその記事が掲載されておりますが、

◆地震前の謎の発光現象、ついに解明か?(→link

それに類する現象だった可能性も考えられます。

科学の発達していない当時の人々には、神の怒りか、悪魔の咆哮にも見えたかもしれません。

 

古代2度目の南海トラフ大地震

地震災害で恐ろしいのは、それが単発で終わらなかったときでしょう。

大地震の後は、余震の規模も大きくなり、「プレートの動きが他の断層やプレートに影響を与えない」と考える方が難しい。

要は、何かしらの“誘発”が起きるのは自然だと思われます。

特に、古代最大クラスとされる869年の貞観地震には、その前後には度重なる災害が発生しております。

詳しくは後述しますが、とにかく大地が狂ったように揺れている。

そして白凰地震から約200年を経て、再び南海トラフ巨大地震が起きます。

【887年仁和地震】です。

南海トラフ地震震源域

東海から九州まで被害が予想される南海トラフ大地震の震源域/wikipediaより引用

南海トラフ地震は100-200年ほどの周期で【必ず発生】しており、仁和地震のときも圧死者が多数発生。

特に、大阪での津波被害が酷く、京都でも官舎や家屋が倒壊しました。

 


864年には富士山の大規模噴火も

さらに忘れてならないのが、前述の【864年富士山の貞観大噴火】 でしょう。

この噴火は、800年や802年の延暦大噴火と比べても規模が大きく、当時、大きな湖だった『剗の海(せのうみ)』の半分を埋め立て、それによって精進湖や西湖が出来たと言います。

貞観大噴火
貞観大噴火は富士の樹海を作るほど破壊的な規模だった(864年~)

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また富士の樹海も、このときの噴火によって流れ出た大量の溶岩が青木ヶ原を形成し、現在のように木々が生い茂る深い森になりました。

それだけ大きな噴火が、古代最大とされる869年貞観地震とほぼ同時期。

地下ではどう繋がっているか……途方も無い話ですが、両者の関連性を完全に無視するのもいささか危険な気がします。

なお、この時代は地下の活動が活発化する【大変動期】と呼ばれており、現代も同様の時代に突入したとする懸念が囁かれております。

上記でも触れましたが、869年貞観地震と前後して841年から890年まで幾度も大地震・火山の噴火が発生していました。

841年 信濃でM6.5
841年 伊豆でM7.0
850年 出羽でM7.0
856年 京都でM6~6.5
863年 越中越後で大規模地震
864年 富士山噴火
867年 別府鶴見岳と阿蘇山で噴火
868年 播磨山城でM7.0
869年 貞観大地震M8.3
874年 開聞岳で大規模噴火
878年 相模・武蔵でM7.4
880年 出雲でM7.0
881年 京都でM6.4
887年 仁和地震M8.0~M8.5
890年 京都でM6.0

次は鎌倉・室町時代を見ていきたいと思います。

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