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そして鎌倉大仏も豊臣秀吉も恐怖に怯えた 【M7級地震まとめ 鎌倉~戦国時代編】

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2011年3月11日に東日本大震災が発生し、取り返しの付かない被害に日本人が涙したとき、私達はある一つのコトに気付かされました。

我々は地震の歴史を軽視してきたのではなかろうか?

 

東日本大震災震度分布450

東日本大震災の震度分布図/気象庁HPより引用

『日本書紀』に、日本初の地震(416年)が記載されてからというもの、これまで数多の歴史書には、東日本大震災と同じ三陸沖での大地震や関東での大震災、南海トラフ巨大地震などが記載されてきました。

後世のことを思って先人たちが記してくれたその記録は、果たして我々の眼や耳には届いているでしょうか。

当サイトではそんな疑問を抱き、次のような特別連載を昨日から始めました。

 

M7クラスの大地震は過去に何回発生したか?

第一回の詳細はコチラに譲りますが、古墳~平安時代の約770年間ではM7クラスの大地震を20回記録。

地震測定器もなく、地方の記録もままならない時代でこれだけの地震が判明しております。

今回は、鎌倉・室町・戦国時代を見ていきましょう。

Contents

第一章 古墳・飛鳥・奈良・平安
第二章 鎌倉・室町・戦国(本記事)
第三章 江戸
第四章 明治・大正
第五章 昭和・平成

※過去の地震記録は、内閣府の地震調査研究推進本部の資料や『理科年表』(国立天文台編)を元に進めて参ります。

 

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第二章 鎌倉・室町・戦国(3/12掲載)

M7規模の大地震・・・16回(1192-1602年)→平安時代までは20回

約770年間で20回発生した古代(平安時代まで)に対し、鎌倉・室町では約400年間で16回です。

計算すると25年に一度。

38.5年に一度の割合だった古代と比べて、俄然、頻度が高まっております。

これは鎌倉・室町時代の地殻が特別不安定な時期だったからと考えるより、時代が進むにつれて記録が残りやすくなったと考えるほうが自然かと思われます。

源頼朝

鎌倉時代と言えば源頼朝さん。現在、この方は別人だったと考えられております/wikipediaより引用

ゆえに江戸時代から明治・大正・昭和へ入ると一気に数が増えて空恐ろしくなってきますが、まずは鎌倉・室町時代に発生したメガクェイクの特徴を見てみましょう。

 

鎌倉時代に最も注目すべき大地震はM7の【1293年永仁地震】でしょう。

関東南部で発生した揺れで、当時から著名な建長寺が炎上して、そのほとんどが焼失。他にも多数の寺に被害があり、死者は数千から最大で23,000人強にまで達したといいます。

また同日、越後魚沼郡(新潟県)でも激しい揺れに見まわれ、山の崩壊や多数の死者という被害が出ました。

これが関東の永仁地震との関連性を示す証拠はありませんが、もしかしたら何らかの影響はあったでしょう。

建長寺

現代の建長寺は鎌倉有数の観光スポットにもなっている

1213年から数えて1293年まで合計8回。鎌倉時代は、実に10年に一度の頻度で【鎌倉】での激しい揺れを記録しております。

これは鎌倉という場所に武家政権が移動して、記録体制が充実したせいでしょう。

都内での被害はなかったの?

と一瞬思われるかもしれませんが、この頃の東京はまだまだ一地方に過ぎず、江戸城や城下町が登場するのは約400年後のこととなります。

一方、西に目を向けると、京都では【1317年文保地震】の記録が残されております。

M6.5~M7の揺れだったと想定されており、こちらでは清水寺が出火。特に、白河近辺での被害がひどかったそうですが、被害者は5名程度で済んでおります(あくまで記録の上で実際はもっと多い可能性もあります)。

 

南海トラフ地震では道後温泉の湯が止まる

古墳~平安時代の回でも登場した【南海トラフ巨大地震】は、室町時代にも発生しております。

ここで南海トラフ巨大地震のことを簡単に説明しておきましょう。

南海トラフ巨大地震とは、静岡県や愛知県の沖にある【東海エリア】、和歌山県沖にある【東南海エリア】、高知県沖にある【南海エリア】に区切られた3つの巨大な震源域が2つ以上連動して揺れるメガクェイクで、その揺れの規模は最大でM9クラスになると予想されております。

東日本大震災並というワケです。

そして、それは恐ろしいほど規則的に100~150年周期で発生しており、直近では、1944年と1946年の戦中・戦後の混乱期に起きています。

つまり、そこから数えて2040年頃までには非常に高い確率で地震が発生すると予測されており、これは政府の地震調査研究推進本部も「2040年台までに60~70%の確率で発生する」との見解を示しております。

 

室町時代にも2度の南海トラフ巨大地震がありました。

最初は【1361年正平地震】です。

このときは津波堆積物から【東海・東南海・南海】の三連動地震だったと推測されており、

大阪にある四天王寺の金堂が倒れたり、畿内を中心にお寺での被害が数多く残されております。当然ながら庶民の家屋の被害も甚大なものだったでしょう。

摂津(大阪)・阿波(徳島)・土佐(高知)では津波も発生しており、阿波では1700軒が波にのまれて60人余りが亡くなられました。

また湯の峰温泉のお湯が止まったとする報告もあります。

不思議なもので南海トラフ巨大地震には「温泉のお湯が止まる」という記録がたびたび残されております。

その一例が全国的に有名な愛媛県の【道後温泉】でしょう。

道後温泉

夏目漱石『坊っちゃん』で知られただけでなく、聖徳太子がわざわざやってきて道後の湯につかったとする記録もあるほど、古き時代より愛されていた温泉ですが、【684年白凰地震】ではお湯が止まってしまいました。

1946年昭和南海地震でも道後温泉では同じ現象が見られますので、万が一、そういう事態となったら普段より一層警戒心を強めた方がよいかもしれません。

防災・減災対策というのは「ハズレで当たり前」という発想でやっておくのが大切でしょう。

 

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鎌倉の大仏様 もともとは建物の中に入っていた!?

詳細な記録に乏しく、なんとも悩ましい鎌倉・室町時代ではありますが、おそらくや最も被害が大きかったのは【1498明応地震】だと思われます。

M8.2-8.4と推測され、その恐ろしい規模を示す事例は2つあります。

①浜名湖を汽水湖に変えてしまった

昔、浜名湖は陸地の中にある【完全な淡水湖】でした。

海と湖は陸で隔たれており、海岸から浜名湖までは約3キロの距離があったのです。

それだけの幅があれば当然ながら人々の集落があり、道も通っておりました。

それが明応地震による津波によって、すべて流され、浜名湖は海と淡水が交じり合う汽水湖となったのです。

 

②鎌倉の大仏様が吹きさらしにされた

今では当たり前のように青空の下で座っている鎌倉の大仏様。

その正体は、高徳院というお寺の阿弥陀如来様であります。

吹きさらしの鎌倉大仏

なぜ、そんな偉い仏様が吹きさらし状態でさらされているのか?奈良の大仏様のように、立派な大仏殿を建てないの?

と不思議に思われるかもしれませんが、もともとは大仏殿もあり、建物の中に鎮座しておりました。

が、明応地震で発生した津波によりすべて流されてしまったのです。※再建しなかった理由は不明です。

南海トラフ巨大地震は四国や近畿、中部日本に大きな影響を与える--。そんなイメージをお持ちの方もおられるかもしれませんが、神奈川県(ひいては東京都)にも影響を及ぼすリスクは高いのです。

実際、明応地震と同規模の津波が発生すれば8~9メートルクラスの津波が鎌倉地方を襲う可能性があると、県のHPにも示されております。

 

豊臣秀吉「地震の原因は琵琶湖のナマズじゃ!」

皆さん、子供の頃に「地震はナマズの仕業」というような伝説を聞いたことがありませんでしょうか?

実はコレ、豊臣秀吉さんが言い出しっぺだとする説があります。

ご存知のように、豊臣秀吉さんは織田信長の事業を引き継ぎ、農民から関白まで上り詰めた天下人として、その権勢たるや、誰も逆らえませんでしたが、彼にも勝てないものがありました。

そう、地震です。

彼が1582年に明智光秀を倒してから4年後に【1586年天正地震】が起きます。

近畿を中心にM7.8もの揺れとなった天正地震は、愛知や岐阜、三重、滋賀などから四国は徳島まで大きな被害をもたらし、余震は翌年まで続くほどの規模でした。

このとき豊臣秀吉さんは近江坂本城におりましたが、彼は琵琶湖対岸の長浜にいた山内一豊の娘(6才)や、加賀にいた前田利家の弟など、親しい武将の家族が命を失うほどの揺れでした。

詳細は、当サイトでも執筆されている恵美嘉樹さんの記事でも記されておりますが、琵琶湖付近の集落が一気に崩落し、数百戸の家が瞬時に消えたという話もあります。

いずれにせよ、この地震で心底恐怖を味わった天下人の秀吉さんは、琵琶湖に棲むという大ナマズを【地震の原因】と認定し、後年、京都に伏見城を建築するときは、部下の前田玄以に「ナマズ対策をせよ!」とまで命令を出したそうです。

ところが、です!

天正地震から10年後、まるでその伏見城を狙ったかのように、【1596年伏見地震】(推定M7.25)が発生してしまうのです。

伏見地震は1995年阪神淡路大震災と同じように活断層型の地震で、多大なる被害を与えたとされます。

伏見城の天守は大破し、石垣も崩れて城内の死者も多数。また、大阪や堺、神戸などでも家屋の倒壊や死者が確認されております。

晩年に近づくと、愚行を繰り返したとされる豊臣秀吉に天罰がくだったのでしょうか。

明日は江戸時代の【地震歴史】について見ていきたいと思います。

*より規模の小さいM6以上のまとめ記事はこちら

 

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第一章 古墳・飛鳥・奈良・平安
第二章 鎌倉・室町・戦国(本記事)
第三章 江戸
第四章 明治・大正
第五章 昭和・平成

 

 



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