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海もないのに『塩尻』 その地名の由来をご存知ですか?【昇流は歩いてく】

更新日:

 

以前、長野県を訪れた時、「塩尻」という地名を見かけました。

長野県で「塩尻」と聞くと塩尻市を思い出すのですが、この「塩尻」という地名は、小さな地区の名前など割とあるんだそうです。

ただ、「海のない長野県で、塩に尻なんて不思議な名前だなぁ。」と思っていて、どうしても気になったのでそのことを上田市にある図書館で調べてみました。

塩交易の終着点が産業発展の源に

実際、上田市にも「上塩尻」なる地名が存在します。

ずっと、調べていくとその理由がわかってきました。
信濃国と呼ばれていた長野県。今でもそうですが、海に面していません。

[map addr="長野県上田市塩尻" zoom="7"]

 

そこで、越後や越中、そして尾張や遠江などの日本海や太平洋に面したところから手に入れておりました。

塩を運ぶ道は「塩街道」と呼ばれ、様々な交易が行われたり宿場町が出来たり、物流と産業発展の源となりました。この塩街道の終着点にあたる地域を「塩尻」と呼んだわけです。

おそらく、塩尻市も上田市にある「塩尻」も、その終着点だったのでしょう。

上田駅

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日本海側の北塩に太平洋側の南塩 

実際、上田市のその地は、越後から運ばれる塩街道の終着点だったと言われています。

この街道、信濃の人々に塩だけでなく多くの海産物などを運ぶ役割を果たしていました。

上田市にある温泉の番頭さんと、こうした塩街道の話をしていたら、面白いことを言われました。

 

「運ばれる塩は、日本海側で作られたものが”北塩”と呼ばれ、太平洋側から運ばれて来た塩は”南塩”と言われていた」

 

この「北塩」と「南塩」の「塩尻」はちょうど、分水嶺あたりで分かれています。

やはり関連があったのですね。

塩屋

北の地域では鮭 南の地域では鰤

分水嶺と海産物との繋がりをもう一つご紹介しましょう。

長野県には、古くからお正月に「歳取り魚」を食べる風習があります(今では、かなり少なくなったそうですが・・・)。
この「歳取り魚」は、分水嶺より北の地域では「鮭」を、南の地域では「鰤(ぶり)」が食べられていました。一種のおせち料理のように食べられていたそうです。

塩と魚

魚などのたんぱく質が貴重だった江戸時代。当時の人々からすると、これらの魚はごちそうだったに違いありません。

しかも、これらの魚は塩漬けにしてあったり、干物にしてあったりと生で食べることができなかったと言います。

上田城跡公園

長野県の方と話をしたことがありますが、海への気持ちは誰よりも強い気がします。夏になると必ず海水浴に出かけるというその方は、「新潟や愛知、静岡などいろんな海水浴場に行ってるぜ」とドヤ顔で語ってくれました。

実際、新潟県の寺泊海岸に出かけた時も、長野や松本ナンバーを付けた車を多く見かけました。

 

交通網が発達したおかげで、今では、長野から海に出掛けたり、長野のスーパーでも刺身が食べられる時代になりましたが、塩街道の時代から、長野県の方の海への憧れは変わらずにあるのかもしれません。

上田市街地

 

 

文/昇流

 

 




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