モーツァルト/wikipediaより引用

音楽家

謎多きモーツァルトの死因は何だ?最期の『鎮魂歌』は誰のためなのか

クラッシックを聴くと眠くなる歴女医の馬渕まりです。

今回の『歴史診察室』の患者さんは、今から230年前、1791年12月5日に亡くなったモーツァルト

音楽に興味が無くとも、その名を知らぬ方はいないでしょう。

数々の名曲を世に残した彼ですが、まだ若い35才で命を落とした、その死因は未だ謎に包まれています。

果たして真相は?

 


5歳で作曲とはまさに神童の極み

モーツァルトは1751年、ザルツブルクで宮廷作曲家の元に生まれます。

父は息子が天才であると見抜き早期から音楽教育を実施。

その結果、3歳でチェンバロを弾き、5歳で作曲、6歳でマリー・アントワネットにプロポーズをするという神童に育ちます。ああ、最後のやつは違うか。

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幼い頃の彼は父と共にヨーロッパ各地を演奏旅行で周り、最終的にはウィーンで亡くなります。

古典派音楽の巨匠ということですが、私はこの辺の事情については薄暗いのでソーッと病気の話にうつりましょう。

 


死の直前に舞い込んだ『鎮魂歌』の依頼……

晩年のモーツァルトは貧乏でした。

ウィーンではピアニストとして人気のあった彼ですが、言動が下品だったため良い仕事が来なかったご様子。

そんな彼の元に『レクイエム(鎮魂歌)』の依頼が舞い込みます。

依頼主の名前は秘密ながら、報酬は破格でした。

金に困っていたモーツァルトはこの仕事を受け、曲の作製途中に亡くなります。まるで死神からの依頼……。

出来過ぎた話に思えますがコレは本当のお話、タネ明かしは後にして、亡くなる前の彼の様子を見てみましょう。

1791年9月、オペラ『魔笛』の作曲を終えた頃からモーツァルトは体調を崩します。

11月に入り体調は更に悪化。

発熱と浮腫が顕著になり、発疹が出現します。

同月下旬よりベッドに臥せると、その後、約2週間で亡くなってしまいました。

享年35。

当時としてもまだかなり若いモーツァルトの命を奪ったものは何だったのでしょうか。

 


推定死因がありすぎて

モーツァルトに限らず、歴史上の人物は死因が特定できないことがままあります。

しかし、彼の場合、35歳という若さや、豊かな才能もあいまって、様々な憶測を呼びます。

ざっと挙げますと……。

・ライバルによる暗殺

・妻による殺人

・水銀中毒

・生やけの豚肉にいた寄生虫

・梅毒

・連鎖球菌感染

挙げるときりがありませんので、現実的な死因にスポットを当ててみましょう。

感染症を中心に疑わしき病気を解説しました。

 

粟粒熱(ぞくりゅうねつ)

ウィーン市の公式記録によるとモーツァルトの死因は『粟粒熱』となっています。

15-16世紀にかけて5回の大流行。

強い疲労感と発熱などの症状を呈すし、しばしば死に至るのです。

ハンターウイルスが原因といわれていますが1578年を最後に発生しておらず詳細は不明。

しかし、モーツァルトが呈した発疹は粟粒熱の症状として記載されていません。

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