タイタニック生存者の「その後」

沈没するタイタニックを描いたWillyStöwerの絵/wikipediaより引用

イギリス

タイタニック号実話~ある生存者たち三名の悲劇的な「その後」とは?

悲劇の豪華客船、タイタニック号-――。

事故発生から100年を過ぎた今もなお、多くの人を惹きつけるのは、そこに様々なドラマがあったからでしょうし、ディカプリオ主演の映画も今なお鮮烈な記憶を残しております。

そんなワケで、

・出発地の英国
・目的地のアメリカ

両国メディアにとっても貴重なネタ箱となっているようで、最も気になる項目の一つ

【生存者のその後】

が取り上げられておりました。

ケンタッキーで展開するニュースサイト「kentucky.com」が興味深い記事を載せていたので紹介してみます。

 


生き残り「771人」それぞれの人生

タイタニック号の死者数には諸説あります。

当然そうなると生存者数も複数になるのですが、ここでは時事通信社の記事(2006年5月7日配信)に依拠し、711人とさせて頂きます。

予期せぬ大事故で あるゆえ、世間(特にマスコミ)の関心は高かった。

豪華客船ですので、各界の名士も乗船していた関係もあります。

また、今日のように心のケアが充実していな かった時代ですので、その後の人生に色々と影を落としたようです。

何しろ、生存者の中には恐怖の余り発狂した人もいたぐらい。

さて、事故当時の ケンタッキーではレキシントン・リーダーという地方紙が発行されていました。

事故当時に発行された地方紙レキシントン・リーダー/kentucky.comより引用

今日の日本の新聞でもそうですが、この手の大事故が起きた場合、全国紙なら【事故と原因の解説記事】を載せる一方、県版(ローカルニュースを載せる紙面)には、

「本県××市の○○さんが乗船。安否不明に気を揉む家族ら」

といった記事が載 ります。

地方紙の場合、一報は1面、解説記事は中面、そして上記のような「地元のご家族」記事は【社会面の トップ】として扱われます。

このリーダー紙でも、それを踏襲しています。

事故について報じたのは1912年4月16日。

レキシントンゆかりの人が3人乗っていたのです。

 


新婚旅行の最後を豪華に飾るはずが

1人はエロイズ・ヒューズという女性でした。

ケンタッキー州の上院議員を務めた後、ウェスト・バージニア州から下院議員として出馬&当選したジェームズ・A・ヒューズ議員の娘でした。

地元住民ではなかったものの「レキシントンを良く訪れる女性」という事で、注目されたようです。

このエロイズさんがルシアン・スミスさんという人と結婚したのが1912年2月のこと。ほどなく、身ごもっている事に気づかされます。

そして、運命の1912年4月15日、御夫婦は新婚旅行の最期を飾るべく、タイタニック号で幸せな一時を楽しんでいたのでした。

そんな状況でしたので、レキシントンに住む双方の友人らは大騒ぎです。

うち1人は花嫁の介添人を務めていた事 もあり、安否を凄く心配していたそうです。

レキシントン・リーダー紙では「日曜学校で土産話をたっぷり聴かせたい」と書いてあったエロイズさんの自宅に宛 てた手紙を入手し、掲載したそうで。

そんな夫婦は、どのような運命を辿ったのか。

お互いがデッキに出たまでは良かったのですが、エロイズさんは救命艇に乗れたものの、スミス氏の方はそういかなかった……。

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