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【タイタニック号その後の実話】
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もう1人の生き残りも…映画では分からぬ結末
他の生き残り2人はジャック・セイヤーⅢ世と、お母様のマリアンさんという方です。
家族3人で乗船しました。
Ⅲ世君の父親であるジョン・B・ジャックセ イヤーだけが帰らぬ人となっています(享年49)。
この父親、レキシントンでは中々の有力者で、ペンシルバニア鉄道の副社長を務め、「社交界やサッカーのサークル」で人気のある方だったそうです。
今回、リーダー 紙が再調査したところ、実際にはクリケットの方に熱を上げていた人だったようですが。
息子さんのジャック君は事件当時17歳で、後にこう振り返っています。
「私の心は1912年4月15日に覚醒した」
また、事故の語り部として、【船体の衝突と折れる様子】を生々しく描写して有名になり、この人もまた悲劇的な最期を遂げます。
自殺したのです。
1945年、息子のエドワードさんが第二次世界大戦で戦死し、その悲しみに耐えきれず、狂乱状態になった末に命を絶ったと記事にはあります。
よくよく家族運の薄い人だったのでしょう。それにしても、余りにも残酷な話ですね。
なお、子孫のジョン「ジャック」セイヤーⅤ世という方が、アルバカーキの自宅近くでのタイタニック追悼展に最近出席し、話題を集めたそうです。
何と言いましょうか。
簡単に断ずる事は出来ないにせよ、生き残って幸せだったんだろうかと思わされてしまいました。
他の人は一体どうだったのでしょうね。
ちなみに事故後、最も長く生きたアメリカ人乗客のリリアン・アスプルンドさん(→link)という方(2006年5月7日死去・享年99)は、日常に戻ってからは生命保険会社に勤務したそうです。
これもまた、色々と考えさせられますね。
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南如水・記