ルシタニア/Wikipediaより引用

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ルシタニア号の沈没はタイタニック級の犠牲~わずか20分で巨船は沈んだ

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ルシタニア号をご存知でしょうか?

あのタイタニック三姉妹建造のきっかけとなった船であり、その末路は三姉妹以上の存在感を示す結果ともなります。

そう、アメリカの第一次世界大戦参戦を招いたのです。
世界史の授業でも取りあげられているぐらいですよね。

ここでは、ルシタニア号の沈没を追ってみましょう。

 

国威発揚の流れで生まれたルシタニア号

このルシタニア号、当時の国際情勢を反映して生まれた船でした。

「国同士の見栄張り」という文脈があったのです。いや、「国威発揚」と言い直すべきなのか…。

旅客機が登場する前の時代、国家間での人員の高速大量輸送手段は船でした。

そして、欧州で産業革命が起き、かつナショナリズムが各国で沸き上がると、色んな国で「ウチはこれだけ凄いんだぞ」という国威発揚モードとなっていきます。

その象徴とも言えるのが豪華客船です。
蒸気機関という当時の最新鋭テクノロジーを駆使し、山のように大きな船が高速で動く様は、建造した国の名声となりました。

そうなると、当然の事ながら「七つの海を支配している」と自負する英国が、まずこの分野で目立とうとします。

対抗馬となったのがドイツ。
こちらは「科学とテクノロジーの国」としてのプライドがあります。

かくして、客船の大きさとスピードで競い合うという展開となっていったのでした。

 

英独で競うブルーリボン賞

その目安となったのが「ブルーリボン賞」でした。

同じ名前の賞が邦画界にあってややこしいのですが、早い話が大西洋を高速で横切った客船に与えられる賞。
1位となった客船には青のリボンをトップマストに掲げて良く、これが名称の由来となります。

ちなみに、西回り航路と、東回り航路での2つの賞がありました。

主としてアメリカ・ドイツ・英国3ヶ国での競争となり、賞が設けられた1830年代は2週間だったのが次第に短期間となり、1892年には1週間を切ります。

で、この頃から英国とドイツの競争となっていきます。

そんな中で誕生したのがルシタニア号でした。

ルシタニア号の進水式/wikipediaより引用

 

ウィルヘルムを凌駕せよ

当時、意識された相手が「カイザー・ウィルヘルム2世」号です。

名前からお分かりのように、ドイツの北ドイツ・ロイド社が1903年に建造した船。
当時のドイツ皇帝だったヴィルヘルム2世から名前を借用しただけあって、総トン数1万9631トンというデカさだけでなく、1888人乗りで、23.5ノットまで出せました。

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ルシタニア号は、これら全てのスペックを上回るべく建造されました。

総トン数は3万1550トン。
2198人乗りで、最高速度は26.7ノットまで出せました。

実際、1907年9月に、就航後1ヶ月足らずで、ブルーリボンをカイザー・ウィルヘルム2世号から奪っています(速度は西回りで23.99ノット。東回りで23.61ノット)。

建造に当たっては、当時の英国政府から、戦時には軍に徴用するとの含みを持たされた資金援助があったそうです。英国政府にしたら、ドイツの皇帝の名前を付けた船に勝ちたいという見栄もあったのでしょう。

そして勝った。

一方、ドイツ側にしたら、恥をかかされたという思いもあった筈。そうこうする内に、第一次世界大戦を迎えたのでした。

 

「乗ると死にまっせ」

戦争が長期化するようだと踏んだドイツ政府は、1915年2月から、悪名高き無制限潜水艦作戦を実行します。

英国の周囲に封鎖海域を設定し、同年2月18日以降に通過を試みた船舶は無警告で沈めるとの方針を打ち出したのです。
当然、その対象には交戦国だった英国の船舶が含まれましたし、ルシタニア号とて例外ではありませんでした。

当のルシタニア号は、開戦後も英国政府に徴用される事はありませんでした。

高速が出せる特性があったものの、それだけ燃費が悪かったからというのが理由。
引き続き米英を結ぶ客船として運用され続けます。

ただし、軍需物資の運搬という密命もあったようです。船体も灰色に塗り替えられました。

ドイツ側からしたら、目の上のたんこぶなのは言うまでもありません。

ただし、行き先が当時の中立国であるアメリカである以上、アメリカ人が乗っているわけですし、そう簡単に沈める訳にもいかない。
かくして、新聞史上に残る恐怖の広告戦術に出ます。

それがコチラ。

 

日本の新聞で言う、突き出し広告です。
ざっと訳してみましょう。

「リバプール経由で欧州へ。
最速かつ最大の蒸気船が大西洋航路にて運航中。
5月1日午前10時にトランシルバニア号が、7日午後5日にオルダシア号が、18日午前10時にトスカニア号が、21日午後5時にルシタニア号が、6月4日午後5時にはトランシルバニア号が出航します。
ジブラルタル、ジェノバ、ナポリ、ピレウス(訳注:ギリシャの港)を回るカルパチア号は5月13日正午の出航予定です」

と、ここまでは時刻表とでも言うべき内容。
驚かされるのは、その下にあるドイツ政府のセット広告なのです。

警告!

大西洋の航海をなさる渡航者の皆様は、ドイツ帝国とその同盟国、及び英国とその同盟国との間に戦争状態がある事をご認識なさって下さい。
つまり、戦場はブリテン島の周辺海域も含まれます。

ドイツ帝国政府からの公式通達によれば、英国とそのあらゆる同盟国の国旗を掲げた大型船は、これらの海域では攻撃の対象となります。

英国とその同盟国の船に乗って戦場である海域に航海なさる渡航者の皆様についても同様であり、危険は自らでご承知下さいませ。

ドイツ帝国大使館, ワシントンD.C. 1915年 4月22日

丁寧な文章ですが、こう言ってるに等しい。

WARNING

「乗ったらどうなっても知らんぞぉ!」

しかも、訃報広告でよく使われる、喪罫と呼ばれるラインで囲んでいます。
「乗ったら死にますよ」とも言っている訳ですね。

通常、どこの国でも、新聞社が広告を掲載するに当たっては、考査という手順を踏みます。

まず、広告主の素性をチェック。
相手が犯罪組織で、詐欺などを意図している場合があるからです。

次に、掲載内容が社会通念的に妥当かどうかを勘案します。

この際に良くないと判断したら、相手に修正を要求したり、場合によっては載せなかったりします。今日でも、週刊誌の新聞広告などで女性のヌード写真の乳首部分に★印を入れるのは、そういう流れなのです。

で、この場合はドイツ政府ですので、素性はパス。
問題は中身ですが、恐ろしい内容ではあるものの、戦争状態であるからには、危険性を認識して貰うというのは大事という判断になった模様。かくして掲載となった訳です。

もっとも、この広告を読んだ乗客の大半は馬鹿げた脅迫だと見なしていたそうですが。

 

高速船だが敵の魚雷も同じく速い

firstworldwar.comというサイトの記事によると、ルシタニア号にも慢心がありました。

25缶あったボイラーの内、6缶を使わなかったのです。

燃料を食いすぎるからと言うのが理由。
これにより、速度は21ノットに低下していました。

もっとも、これでも当時のドイツのUボートの最大船速である13ノットに比べれば高速でしたので「大丈夫」と踏んだのです。

ところが、これには見落としが。
そうです、魚雷は21ノット以上出ますので、狙われるとチョー危険。
実際、その悪夢が現実となります。

アイルランド海峡で、U-20に発見されてしまうのです。

それは5月7日の事でした。
1257人の乗客と、707人のクルーを乗せ、ウィリアム・ターナー船長の指揮の下、リバプールに向かっていた所を、ワルター・シュヴィーゲル艦長が率いるU-20の潜望鏡が、ルシタニア号を捕らえたのです。

 

魚雷の航跡に気づきメガホンで絶叫するも

ヴィーゲル艦長は攻撃スキルの高い人でした。

前々日の5日にもスクーナー船であるアール・オブ・ルサム号を撃沈。
この時は浮上して、警告した上で砲撃して沈めていました。

翌日には同じくアイルランド海峡でキャンディデート号という貨物船を霧にまぎれて近づき砲撃と魚雷で撃沈させせ、更にセンチュリオン号という客船を沈めています。

そして、7日午後1時40分、両者が遭遇したのでした。

この時も霧が立ちこめており、アイルランドの沖合に近づいていた事もあって、ターナー船長は減速を命じます。15ノットだったそうです。

英国側は、この3日間で3隻の船が沈められている事をルシタニア号に無線で警告しておらず、船長は予定通りの航路をとっていました。

一方、U-20は9ノットで前方から近づき、700メートルになった所で魚雷を発射――。
ルシタニア側でも、乗組員が魚雷の航跡に気づいてメガホンで絶叫したのですが、操舵室の方で聞き取れないという不運もあって、回避出来ずに命中してしまいます。

 

電力が落ち、隔壁トビラが閉まらない!

見る見るうちに船は傾いていきました。

ターナー船長は陸地に乗り上げる事で船を救おうとしますが、不運が重なります。
船底で2度の大爆発を起こし、電力周りが駄目になってしまい、隔壁の扉が閉められなくなってしまったのです。

沈みゆくルシタニア号の復元イラスト/wikipediaより引用

午後2時、船は海面に姿を消してしまいます。

そう、たった20分で沈んでしまったのです。

海に投げ出された犠牲者たち/wikipediaより引用

余りの早さのせいか、人数分が乗れる救命艇を積んでいたにもかかわらず、殆どが助かりませんでした。

かくして死者数1198人という、タイタニック号とほぼ同じ規模の大惨事となってしまうのです。
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