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不老不死を望んでガクブルの始皇帝(;゚Д゚)「焚書坑儒」は詐欺師への報復だった!?

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人気漫画『キングダム』では、カリスマ性あふれるイケメン。
兵馬俑や万里の長城など、大陸史に残る業績・遺構は世界レベルで見ても圧倒的。

改めて言うまでもなく始皇帝は偉大です。

しかしその晩年、よりによってオカルト趣味にハマってしまい、残念なコトになっていたのをご存知でしょうか。

始皇帝/wikipediaより引用

不老不死を望み、大金を惜しみなく使った――そんな話を皆さんも映画か物語でご覧になられたことがあるかもしれません。
いかに偉大な始皇帝すら、死を前に右往左往してしまうんだなぁ、と、そんなことを感じられる一件ですね。

実は、死を前にした一連の騒動が、有名な「焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)」に繋がったという話もございまして。
今回は、晩年に始皇帝を襲ったオカルトの苦しみを少し詳しく掘り下げてみたいと思います。

日本とも大いに関係がございまして……。

 

全土を統一した! 次は天地を統一だ!

前221年、始皇帝(本稿では始皇帝で統一)39才。
長いこと分裂し、争っていた中国大陸の国がひとつになりました。

前代未聞のことであり、この偉業を成し遂げた始皇帝は「俺……もとい朕に不可能はないッ!」という全能感に酔いしれてしまったのかもしれません。

始皇帝は己の偉業にあわせて、広大な宮殿も必要だと考えるようになりました。
酒池肉林のどんちゃん騒ぎをする暴君とはひと味違います。まあ、民にとってはどのみち迷惑ではあるのですが。

こうした大建築の集大成が、伝説の「阿房宮」です。

清代に描かれた阿房宮の図/wikipediaより引用

現在の広さに換算すると、東西600-800m、南北113-150m。一万人が座れるというのですから、桁外れの建築物です。

始皇帝という人は、スケールがどでかく、天才肌であることは確かです。
贅沢ぶりにしても、美女を侍らせてウハウハするとか、酒やグルメにハマるとか、そういうレベルでは済まないのです。

この阿房宮を、天宮のすみかとされる「紫微宮」の構造と対比させたんですね。
天にある最高神の宮殿と、地上に存在する最高の存在である自分の宮殿を、ペアにしたわけです。

 

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あの世でも元通りに暮らしたい

現世で頂点に立った始皇帝は、死後もてっぺんのままでいたい、という野望を燃やし始めました。

一体何を考えているの?
と思うかも知れませんが……皇帝だろうと、なんだろうと、死後の世界は気になるものだったんでしょう。

生前から作られた巨大な墓石の中には、宮殿の模型、金銀財宝が並べられます。

死後も強力な軍隊に守られていたい。
その願いは、兵馬俑に託されておりました。
中には、役人や馬等を象ったものも入れられました。

兵馬俑/wikipediaより引用

さらには人工の河川や海も設置。機械仕掛けで、常に水銀が注がれていたと言います。
常に消えない人魚の膏を用いた灯りが、その壮観を明るく照らしていました。

合計70万人もの人々を動員したという、この墓の規模は、阿房宮と同程度にまで巨大化。
現在では世界遺産にも登録されたこの巨大な墓。水銀を流したというのは伝説だと思われていましたが、痕跡が発掘されているため、実在していたようなのです。

なんとも壮大な話ですね。

兵馬俑/wikipediaより引用

 

不老不死詐欺に騙されて

されど、できることならば墓になんざ入りたくないのが始皇帝も本音。
そんな心につけこんで、詐欺師たちが彼の周りをうろつき始めます。

中でも有名なのが、徐福です。

徐福/wikipediaより引用

「東にある蓬莱・方丈・瀛州には、不老不死の霊薬がございます。3千人の若い男女とともに、是非派遣してください」
そう言葉巧みに言いつのり、金をせしめたというのです。

実際に旅立ったか、それとも金をせしめて行方をくらましたか、両方の説があります。

そして、この東の島とは日本であり、徐福は3千人の男女とともに日本に住み着いたのだ、という伝承が日本各地に残されているんですな。

三重県には、徐福の上陸地とされる場所に「徐福ノ宮」があります

 

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「焚書坑儒」は詐欺への復讐だった

不老不死というのは、言うまでもなく、もちろん詐欺でして。

真相に気づいた始皇帝は激怒し、スグに動きます。
盧生や侯生といった方士(占い師)を取り締まると、彼らを生き埋めにしました。

儒家を言論弾圧のために生き埋めにした、ともされるこの残酷な事件(焚書坑儒・ふんしょこうじゅ)。
その根底にあったのは「詐欺師撲滅!」という意識だとされています。

巻き添えになった罪のない思想家もいたことでしょう。

焚書坑儒の描かれた様子/wikipediaより引用

ちなみに坑儒とセットになる焚書は、実用書以外を燃やしてしまった行為です。

これも、
「いらん思想があると、世の中害悪になるかもしれん」
という動機です。

必ずしも儒教だけを狙ったわけではありません。
それでも荒っぽいですし、いくら何でもやり過ぎではあるのですが。

 

漢の劉邦は学んでおりました

全国を統一したまではよかったものの、オカルト趣味や無駄に壮大な建築物、焚書坑儒のせいで王朝の寿命を縮めてしまった始皇帝。
なんとも虚しいものがあります。

彼のあと漢を興した劉邦は、統一だけではなく、その後、どうすれば王朝を存続できるか。
試行錯誤します。

劉邦も、始皇帝のように兵馬俑を墓に入れました。
しかし、そのサイズは50センチ程度で、ちんまりした人形のようなもの。
リアルな始皇帝のものとは比になりません。

劉邦は予算を削減したのです。
効果があるかどうかわからない兵馬俑よりも、子孫の治める漢王朝のため、金を残す方が大事だと考えていたのでした。

劉邦の墓・長陵/wikipediaより引用

文:小檜山青

秦の始皇帝、その激動すぎる人生マトメ! 呂不韋を退け、不老不死に走り、死後にあっさり国滅ぶ




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【参考文献】

 



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