いま最も熱い漫画の一つ『キングダム』。
もはや説明不要なほどの人気作であり、マンガシーンのみならずアニメ、映画など各エンタメ業界から引っ張りだこですが、作り手の苦悩を考えるとこれは中々厳しいものがあると想像します。
なんせキングダムの舞台となった始皇帝の頃は極めて時代が古く、資料も多いとは言えない。
そうかと思っていたら中国史の研究も日進月歩で、どんどん歴史的価値観が変わっていく。
本稿では、その辺の事情を見て参りたいと思います。
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『三国志』以外の中国史でヒットを飛ばす偉業
『キングダム』の何が凄いか?
って、一番は『三国志』以外の題材を扱ったところでしょう。
かつて日本のエンタメ界では定番でもあった『水滸伝』の関連作品も最近ではとんと見かけなくなりました。
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背景にあるのが中国史への興味関心の低下です。
『キングダム』の舞台は、取り扱いの難しい環境にあります。
なんせ紀元前の話だけに時代がかなり古く、作画をするだけでも厳しい。フィクションですからもちろんアレンジは可能ですが、軍事的な技術もまだまだ発展途上で、派手な格好ではありません。
何より辛いのが「中国史のアップデート」です。
中国では【文化大革命】の傷痕が癒え、近年、発掘調査がグイグイ進み、歴史に関する価値観や思想も急激に変わりつつあります。
歴史ファンとしてはたまらないですが、当然ながら日本では本国の更新スピードには追いつけません。
それは始皇帝の時代も同様で、『史記』成立以前の史料発掘と研究が進み、例えば、始皇帝の諱からして「政」ではなく「正」とされるようになりました。
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過去の事績だからこそ「歴史は不変」というのは、あくまで結果だけの話。そこに至る過程、ディテールは常に変化し続けます。日本における作品が、追いついていくのは非常な困難を伴います。
もちろんキングダムはフィクションです。
そのまんま史実を描くのが目的ではなく、現代日本人の琴線に触れるよう作品を仕上げなければなりません。
その点、本作は、超絶技巧を駆使していて、しかも爆発的大ヒットなのですから、ともかくスゴイ。
と同時に考えてみたいこともあります。
そもそも始皇帝はどうしてマイナス評価なのか?
一般的に、フィクションにおける始皇帝は悪役扱いされがちです。
それはナゼか?
やはり悪名高い【焚書坑儒(ふんしょこうじゅ・書物教典を焼き払い、儒家を穴埋めの刑にしたこと)】が背景にありましょう。
逆に、作品の中で、始皇帝というキャラクターが「戦を終わらせたい、正義感のあるアツい青年像」であることを示せば、「この始皇帝は何だか好感持てるな♪」という“ギャップ萌え”にも繋がります。
しかし、です。
悪評の根底となる焚書坑儒への見方が最近は微妙になってきています。
悪辣だと批判している『史記』の正確性には疑念もあり、後世強調されたという見解も……。
フィクションでギャップを演出しようにも、実は典拠としている史実への評価が変わってきているのです。
例えば日本における織田信長も、江戸時代まではそこまで評価は高くありません。
何か悪いことをしたからこそ明智光秀に討たれたのではないか? そんな因果応報論がありました。
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もっと厳しい評価をされてきたのが松永久秀でしょう。
彼が行ったとされる【下剋上】は儒教規範の真逆をいくものです。ゆえに江戸時代どころか現在まで「戦国一の奸雄」扱いをされてきました。
しかし、その松永久秀すらも、最近は見方が変わりつつある。
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茶釜を抱いて自爆――みたいな色眼鏡で見るのではなく、史実に寄り添った評価が進んでいるのですね。
そんな信長、久秀、そして明智光秀が、新たな描かれ方をしているのが2020年大河ドラマ『麒麟がくる』というのも興味深い。歴史が、常に変化する可能性を秘めていることがご理解いただけるでしょう。
話がいささか脱線しました。キングダムと始皇帝へ話を戻しますと……。
安定より変革思考を持つ秦だから
仮に「焚書坑儒が悪評の理由ではなくなる」としましょう。
それでもやはり始皇帝や秦が嫌われるならば、その理由は理解できます。
彼らは安定よりも変革思考を持っていて、感情論を排除してでも大目標を達成しよう――そんな気概がありました。
集大成が法家です。
『キングダム』でもテキパキ官僚・李斯(りし)がおりますね。
彼こそブレーンとして大活躍をするのですが、最期は政治闘争に敗れ「腰斬(ようざん)」による死を遂げます。
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それが長いこと、こういうことを言われてきました。
「おわかりいただけたであろうか……法家のような厳罰主義者は、自らが定めた酷刑で死ぬのである」
ドオオオオン!
こじつけでしょ……と言いたくもなりますが、こうした因果応報論は長いことありました。
国家を築くために儒教は欠かせない
秦を滅ぼした漢を見てみますと……。
思想としてはワン・オブ・ゼムであった儒教を理想として国造りを進めます。
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「儒教なんか役に立たねえよ、バーカ!」
とは漢の建国者・劉邦すら言っていたことなのですが、実際のところ目上の人を敬う儒教は、国家としての基礎を築くための思想としてよいものでした。
それだけに儒教は中国大陸から東アジア全体に広がり、根付いてゆきます。
これはキリスト教とヨーロッパの関係にも似ていて、それまでオラついていた暴れん坊でも、宗教を学ぶとキレイな君主になるわけです。
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そうした儒教思想からすれば、始皇帝やそのブレーンたちは「極悪非道でどうしようもない連中」になってしまう。
これと同じ構造で悪党扱いされたのは『三国志』の曹操です。
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儒教に支配された漢が滅びる中で、曹操は新たな価値観を模索していました。
それゆえ「中国大陸の空気=儒教を読めない悪い奴」という奸雄論が定着したのです。
始皇帝の秦にせよ、曹操の魏にせよ。
なまじ滅亡が早かっただけに「悪辣さゆえの因果応報」が根付いてしまいます。そういう要素だけで滅びたわけでもないんですけどね。
★
ともかく歴史は変わるものです。
中国舞台の漫画が前提としている中国史が変化していくことも避けられません。
『キングダム』の作者・スタッフさんたちも、その点の葛藤がおありではないでしょうか。
むろん、そうした要素を抜いても、漫画として読者を熱くするパワーに溢れ、面白いことは確かです。
キャラ立ちした人物。
迫力のある絵。
熱い友情。
大軍がぶつかり合う迫力。
頭脳戦の緻密さ、
あっけなく死を迎え、退場してゆく人物たち。
怒涛のごとく展開する迫力には、心躍るばかりです。
しかも、後世に植え付けられたマイナス評価や奸雄論を覆していて、漫画としてはとにかく面白い!
今後もどう描かれていくのか、期待しております。
文:小檜山青

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