こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【中国史のBLブロマンス】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
道教――後漢末からの新潮流
いや、それはそういう意味じゃないから。そんな強引なことを言われても困る……そういう困惑も想像はつきます。
そこでここはもう一度『三国志』の時代背景を冷静に考えてみましょう。
『三国志』もののオープニングを飾るビッグイベントといえば【黄巾の乱】です。
張角・張宝・張梁の三兄弟は、なんだか怪しげな黄色い頭巾をつけた人になっていて、フィクションではどうしたって、オカルトじみています。
ただ……彼らの掲げた老荘思想、そして道教とは、別にそこまで邪悪極まりないものでもない。ここがややこしい点なのです。
黄巾の乱は、後漢に反抗を見せたため、曹操、孫堅、劉備らが討伐をはかりながら根絶はされておりません。
曹操は青州黄巾党を配下に加えております。教えそのものは、必ずしも危険とはされなかったのです。
黄巾の乱を率いた張角は、道教の祖とされます。
儒教に対するカウンターでもある老荘思想を元とした道教は、中国において根付きました。
時代による盛衰はあるものの、時代が下ると神秘的なものとして尊重されます。『三国志演義』において東南の風を呼ぶ諸葛亮は、道士のポーズを取るようになっています。
-
三国志フィクション作品による「諸葛亮 被害者の会」最も可哀相なのは陳寿
続きを見る
フィクションでも道士、道姑(女性の道士)はおなじみ。
日本でも、キョンシー退治する霊幻道士はよく知られていますね。
では道教の中身とは?
あまり言及されないものの、見逃せない動きもあります。
黄巾の乱は、後漢の政治腐敗、寒冷化する気候に対応できないことへの不満がありました。
彼らは批判の矛先を、儒教思想にも向けます。
-
極寒の三国志~あまりの寒さに曹操が詠んだ詩が凍えるほどに面白い
続きを見る
-
日本史には欠かせない「儒教」って一体何? 誰が考えどのように広まった?
続きを見る
祖先を崇拝し、家の維持を第一に考える――そんな儒教に対してカウンターを考えてゆきたい。それは房中術にも及びました。
子孫の繁栄も大事とはいえ、それよりも自分らしい生き方をしたい。ありのままを探し求めたい!……ゆえに、子孫繁栄とは関係ない房中術を模索する。そんな考えがあったのです。
道教と房中術の関係は、なまじ話題が話題だけに語られにくい。『三国志』解説サイトだろうと、書籍だろうと、そこはあまり深くは触れませんね。
レイティングがあるため本稿でも省略させていただきますので、興味のある方は、各自探ってみてください。
読みやすい小説としては、山田風太郎『妖異金瓶梅』には中国伝統の房中術が登場しています。忍法帖にも出てきます。
-
『金瓶梅』は中国一の奇書?400年前の『水滸伝』エロパロが今なお人気♪
続きを見る
魏晋南北朝――それはブロマンス模索時代
愛を、子孫繁栄以外にも求めたっていい。
友情に、特別な何かがあってもいい。
なんだそのBL愛好家のような発想は……という考え方が魏晋南北朝にはありました。実はこの時代、歴史上屈指のBL愛好家女性が登場しているのです。
『世説新語』にはこんな逸話があります。
この時代、ディベートである「清談」が流行し、儒教ではなく老荘思想を掲げるロックな男たちがいました。
【竹林の七賢】です。
竹林で琴を弾いて優雅にトークをしている枯れたおじさんたち……ではありません。
政治的に処断をされた者もいれば、吐血するほど激しい情熱の持ち主もいる。脱法ドラッグじみたものをキメて、なかなか無茶もやらかしております。
乱世で自分らしく生きることを追い求めた、ソウルフルな人々でした。実際には七人でグループ活動していたわけではなく、後世セットにされたようです。
-
竹林の七賢も何晏もロックだぜ! 三国志時代のサブカルは痛快無比
続きを見る
そんな七人で、最も人気のあるコンビが
・阮籍(げんせき)
・嵆康(けいこう)
でした。
二人の友情に感激した七賢の一人・山濤(さんとう)は妻の韓氏に「あいつらの友情はともかくすごいんだ」と語りました。
そして韓氏は何かを悟ります。彼らの友情は、普通とは違うらしい。
「いやあ、そうだね、あの二人こそ、友とすべき人だと思うんだ!」
「そう言われても、私は確認しないと納得できない……」
韓氏は教養を見せます。
かつて僖負羈(きふき)の妻は、曹に亡命し、後に晋文公となる重耳の入浴をのぞきました。
なぜそんなことをしたのか?
重耳の肋骨がおもしろい形をしていると知った曹の君子が確かめたかったんですね。おおっぴらにのぞくわけにもいかないので、家臣の妻がチェックした。
私もそのチェック方法を見習いたいと訴えたのです。
何が言いたいのか?
要するに、脱衣した二人を見なければ、“特別な友情”が確認できないという意味です。BL愛好家として半端ないものがあります。
そこで山夫妻は二人を自宅に泊らせ、酒とごちそうでおもてなし。阮籍と嵆康の部屋を覗いた韓夫人は、夜明けまでじっくりチェックしました。
山濤は妻に感想を聞きます。
「どうだった、あの二人?」
「あの二人はマジで尊い、推せる。あなたの才能より上だわ……あなたの友になったのは、あなたをもっと鍛えるためだと思う!」
「やっぱりわかる? 俺もそう思うんだ。あの二人は尊い、俺なんか及ばないよ!」
かくして韓氏は大満足しました。
この逸話は『世説新語』でも「賢媛」(=賢い女性)に収録されています。韓氏こそ、レジェンド級のBL愛好者でしょう。
さてこの阮籍と嵆康について考えてみますと……。
なぜ彼らは“特別な友情”を結ばねばならないのか? そして周囲は、なぜそんな二人を絶賛するのか?
ただの趣味ではありません。前述の通り、後漢が傾いたあと、人々は儒教以外の価値観を模索し始めたことは前述の通りです。
儒教では、性愛とはあくまで男女間のもの。そのことで子孫を繋ぎ、先祖の祭祀を絶やさないことが重視されました。
男性は陽、女性な陰。陰陽が互いを補うことこそ、健康にもよいとされていたのです。
この理でいくと、男性同士の同性愛は儒教的に正しくありません。
だからこそ、ポスト後漢の時代には「それって最高にクールじゃないか!」となってゆく。竹林の七賢のように、老荘思想を愛する時代の反逆者たちは、敢えてクールな性愛を求めました。
彼らなりの新世界と価値観を模索していたのです。
だからこそ、BLを求める男性同士が「すごく特別で素晴らしい!」とされ、その確認をした女性は「賢媛」と称賛されたということになります。
つまり、乱世に突入してゆく後漢の人物が、こう思ってもおかしくはないのです。
「俺はありのままに生きたいんだ……」
「もう、今までの価値観だけではよくない。俺たち二人で、新しい世を見つけよう!」
「……あの二人の友情は尊い。マジ推せる!」
いかがでしょうか。時代考証的に正しい、それが当時ににおけるBL、ブロマンスの世界です。
※続きは【次のページへ】をclick!