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イギリス アジア・中東

イギリス領インドの飢餓地獄が凄絶の一言 飢饉は天災なのか、人災なのか?

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多くの人々が飢え苦しみ、骸骨のように痩せ衰えて、死にゆく飢饉。
江戸時代にたびたび起こったこの惨劇、人肉すら喰らうような状態だったと初めて知ったとき、恐怖を覚えました。

冷害や悪天候とは恐ろしいものだなあ、としみじみ思ったものです。

しかし、本当に飢饉とは「天災」なのでしょうか。

江戸時代の飢饉においても、藩によって対応がまるで異なりました。
米を貯蔵した蔵を開き、餓死者を一人も出さなかった藩もあるかと思えば、天下の米所と言われながらパニックに陥り、他の藩にまで救いを求めて顰蹙を買った藩もあります。

飢饉とは「人災」の要素もあるのではないでしょうか。

 

飢饉は「人災」だと民に悟らせてはならない

いくら穀物が収穫されようが、支配者がそれを取り上げてしまったらば、飢饉は発生します。

その最悪の例が、英領インドの飢饉でした。

1757年のプラッシーの戦い以来、イギリスはインドの植民地化を進めました。
その過程で干ばつが起ころうと、支配者であるイギリスはさして気にも留めず、収穫物を独占して、食料価格を吊り上げ。
この無責任さは、イギリスの植民地経営において今後二百年つきまとうものでした。

1874年、ベンガル地方で大規模な干ばつが起こりました。
この地方の役人であったリチャード・テンプルは、迅速かつ的確に行動し、ビルマ(現ミャンマー)から50万トンもの米を買い取りました。
そして飢えた人々に配り、飢饉を未然に防ぎました。

リチャード・テンプル/wikipediaより引用

なんて素晴らしい行動でしょう。
テンプルはさぞや讃えられたに違いない、と思いますよね。

しかし、イギリス政府は彼を批判しました。。

「テンプルの独断は、我々の自由放任主義(レッセフェール)経済に反している」

要するに本音は、
「愚か者めが! 政府が飢饉から人を救えるなんてことを現地民に教えるんじゃあないッ!」
ということ。そのまんまそう批判するのは流石に憚られるでしょうが。

「飢饉とは天災ではなく、人災なのだ。天候不順が起ころうとも政府が福祉体勢を整備すれば人は死なずに済む」
そのことを民に教えてはならないのです。

なぜならば、次に飢饉が起きたとき、彼らは「天災だから仕方ない」と思わずに「何故政府は我々を救わないのだ」と考えてしまうからです。
そうなれば以降の統治が面倒になるでしょう。

1877年、またも飢饉が起こった時、テンプルはもはや「人を救うために最も効率よい方法」を取りませんでした。
彼が取ったのは「人々が生き延びるための食料と予算を最低限に見積もる」という手段です。
彼は人々の命よりも、政府から批判されず、かつ失われた名誉を回復する手段を採りました。

生存のための金を削るということは、人の死につながります。
人々はぎりぎりの食料しか配給されず、まるで骸骨のようにやせ衰えました。

そして、大勢の人々が餓死したのです。

 

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ヴィクトリア女王はインドの女帝も狙っていた

テンプルのような役人が、飢饉救済費用を抑えることは政府にとってありがたいことでした。
戦争その他諸々に経費がかかるからです。

その頃、イギリスの君主であるヴィクトリア女王にはある計画がありました。
インドの女帝となることです。

格式としては「皇帝」の方が「国王」より上。
ヴィクトリアは、格下と考えている国の皇帝より、女王として下として扱われることに我慢がなりませんでした。
特に、娘のヴィッキーが嫁いだプロイセン皇帝一族より格下扱いされることは屈辱的でした。

その状況を打開するために、インド女帝の称号が何としても欲しかったのです。

周囲の政治家はこれに反対しますが、ヴィクトリア女王は頑固な性格。
臣下の反対ごときでめげるはずもありません。

そんな女王の野心に応えたのが、インド総督のリットンです。

初代リットン伯爵/Wikipediaより引用

 

 

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「愛する母と夫を失って以来、こんなに素晴らしい日を迎えたことはなかった」

彼としては、女王の歓心を買う好機でした。

1877年、ヴィクトリア女王のインド皇帝即位に伴う「大謁見式」が開催。
かつてのムガル帝国皇帝の儀式にならったこの行事には、インド各地から王侯が集います。

祝宴に集まった参加者は総勢6万8千人に及び、一週間にもわたる宴会では、大量の金と食料が費やされました。

ヴィクトリア女王は現地に赴きませんでしたが、遠いロンドンでこの式典について聞いて大満足でした。

「愛する母と夫を失って以来、こんなに素晴らしい日を迎えたことはなかった」
女帝となったヴィクトリアは、日記にこう記しました。

ヴィクトリア女王/Wikipediaより引用

イギリス人にとっての優先順位は、第一位がアフガニスタンでの戦争。
そして第二位が女王の即位行事でした。
飢えた現地民の優先順位は……何位かはわかりませんが、ずっと下でしょう。

「貧乏人を助けたら自立する気がなくなる」という詭弁
実はインド人にもともといた支配者たちは、備蓄食料を蓄えていました。
経験的に干ばつが起こると危険であることを知り備えていたわけです。

しかし、支配者であるイギリス側はこうした食料を売り払い、換金してしまいます。
彼らに言わせれば金を儲けるために植民地を経営しているのですから、それが当然なのでしょう。
飢えた人々に食料を配っても儲けにはなりません。

さらに彼らは、イギリス流儀の「貧民の救済」理論を植民地にも適用しました。

「貧乏人が貧しいのは、怠惰ゆえの自己責任!」

人がゴミのよう!に扱われた英国ブラック労働の過酷すぎる歴史 これぞ大英帝国の陰なり

飢えて死ぬのが嫌ならば働け、というわけです。
彼らは食料を求める人々に対して、「食べ物が欲しいなら働きなさい」と言いました。
そして厳しい労働の待ち受ける労働キャンプに送り込みました。

この労働キャンプで働くことができるのは、身体の頑健な人々に限られます。
健康を害した弱い人が飢えていたならば、結果は言うまでもないでしょう。
食糧配給のある労働キャンプへ向かう人には、たどり着けずに亡くなった人々の屍がいくつも転がっていました。

彼らはこうした残酷な仕打ちをこう正統化しました。

「貧乏人を救うと彼らは怠惰になる。助けてもらって当然だと思うようになる」
「飢えた人々を救えば,彼らは子供を産みさらに増える。そうなったら飢える人々も結果的に増えるのだ」

そう考えた彼らの配給食料はどんどん減っていきました。
ナチスの強制収容所よりもカロリーが少なかったとする説もあるほどです。

 

 

植民地主義の罪

イギリスがインドを植民地にしていた二世紀の間で、2600万人もの人々が餓死したという説があります。
こうした統計は取るのが難しいものです。武器を取って虐殺したような事例とは異なり、見えにくくもあります。
また、飢饉は「天災」だから不可抗力であるという見方も根強くあります。

これはイギリス領インドに限ったことではありません。

1845年から1852年にかけて、アイルランドではジャガイモが病害により壊滅的な被害を受け、飢饉となりました。
にも関わらず、イギリス政府はアイルランドからイングランドへ食料を輸出し続けました。

インドもアイルランドも、植民地経営において現地人の生活よりも、支配国の経済を優先させたことが根底にあります。

ジャガイモ飢饉で描かれた母娘/Wikipediaより引用

「植民地支配は何も悪いことばかりじゃない。インフラだって整備した」

このようなロジックはしばしば口にされる話ではありますが、植民地主義には現地から搾り取って支配国を豊かにするという構造がありました。
支配される側からすれば「結局搾り取って利益を得たいというのが本音だろう」と不満が出るのは当然です。

植民地主義というのは結局のところ「貧しい国を整備してあげましょう」という慈善行為ではないのですから。

植民地が消滅した21世紀においても、多国籍企業が現地民の生活インフラを破壊しながら利益を追求するような搾取構造はまだ残存しています。
イギリス領インドの飢饉は過去のものではなく、経済的利益の過度な追及は人々の命すら奪いかねない――そんな教訓として、今日でも有効なのです。

※飢餓の恐ろしい惨状を表す画像がウィキペディアに掲載されております。凄絶ですので自己責任でご確認ください→コチラ

文:小檜山青

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