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ハロルド2世/wikipediaより引用

イギリス フランス

ノルマン・コンクエストの影響と裏話 ハロルド2世はこうしてウィリアム1世にやられました

更新日:

現在のイギリス王室の祖は、ウィリアム1世こと征服王です。

世界史の時間に
『あれ、イギリスの王様ってフランスから渡ってきた人なんだ?』
と疑問を感じたことはありませんかね。

これはその通りでして。
イギリスにいた王を倒して「俺がイングランド王だぞ!」とやってしまったのが1066年の「ノルマン・コンクエスト」(ノルマン人の征服)でした。

これが背景を知ると、なかなかドロドロしたお話でして。

今回はそんなイギリスの王座をめぐるハロルド2世ウィリアム1世のお話です。

 

エドワード懺悔王、真面目なのはよいことですが……

ことの起こりは、ウェセックス王国のエドワード懺悔王が子のないまま崩御したことでした。

かのアルフレッド王の血を引くエドワードは、大変信心深い人物。
生まれ順も下の方で、一生を修道士として暮らすものだと、周囲も本人も考えていました。

しかし、運命のいたずらか。王として即位してしまいます。

エドワード懺悔王/wikipediaより引用

ここで問題が起こりました。
「私は信仰に深く帰依している。淫行は好まぬ」
と、清廉過ぎるがゆえに、妃を娶っても子作りをまったくしなかったのです。

さしずめイギリス版上杉謙信といったところ。ご本人は、真面目な名君なんですけれどもね。
しかれども王としては、問題があるわけでして。

謙信の死後、上杉家では上杉景勝と上杉景虎が跡継ぎを巡って「御館の乱」というお家騒動を起こしました。

同じようにイングランドでも、王座をめぐって一悶着が起こります。

エドワード懺悔王には、謙信にとっての景勝のような、後継者であり親類の少年エドガー・アシリングがおりました。
彼が幼すぎるため、指名が無効となってしまいます。

一方、エドガー・アシリングにかわって王位継承者として指名されたのは、名門貴族のハロルド・ゴドヴィンソンでした。
長身で力に満ちあふれ、端正な顔立ち。さらには雄弁で、戦場では勇敢という、チート的名将の器です。
更には、この時点で5人の男子に恵まれ、次世代の跡継ぎ問題もありません。

「こりゃもう、ハロルド王で決定ですね」

絶え間ないヴァイキングの侵入に悩んでいるイングランド人にとって、ハロルドは理想の王でした。
ただ、一人、とある男を除いては。

「ハロルド・ゴドヴィンソンなぞ俺は認めんぞ!」

男の正体は、ノルマンディー公ウィリアム(フランス語読みはギヨームですが、本稿ではウィリアムで統一します)でした。

 

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謀将・ノルマンディー公ウィリアム

15世紀の薔薇戦争まで、イングランドはしばしば王位をめぐる争いが起こりました。

「お前はそもそも請求権ないだろ!」
と突っ込みどころ満載なのに、謀略にやたら長けている者が勝ってしまう、そんなパターンが多かったのです。

ウィリアムもまたそうでした。
彼は先王・エドワード懺悔王のいとこの庶子という、遠い親戚に過ぎません。
当初は、もしかしたら『俺も、ひょっとしたら王になれるかも……』ぐらいのユル~い考えだったかもしれません。

しかし、そこへビッグニュースが飛び込んで来ます。

1064年(65年説あり)ハロルドを乗せた船が難破し、ポンテュー伯ギに捕らわれたというのです。

さあここで、あなたがウィリアムだとしたら、どうしますか――。

ハロルドを殺して王としてイングランドに乗り込む?
そう考えてもおかしくないところですが、謀略に長けたウィリアムは奸計を弄します。

「なんということだ! 今すぐハロルド公をお助けせねばなるまい!」
ウィリアムはそう言い出すと、ポンテュー伯の元からハロルドを救出したのです。

 

「次のイングランド王はこのウィリアムだ」

放っておけばおそらく、エドワード懺悔王と貴族たちが身代金と引き換えに奪還したはずです。
しかしウィリアムとしては、そうするわけにはいきませんでした。

ウィリアムはハロルドとともにブルターニュに遠征し、軍事力を見せ付けました。
さらには賓客として遇し、ハロルドを油断させます。

「ウィリアム殿、すっかり世話になった。かたじけない」
「いやなんの。ところで貴公に、聖人の遺物の前で誓って戴きたいことがあってな。もし誓約したら金銀財宝を貴公にさしあげよう」
「ほほう?」
「次のイングランド王はこのウィリアムだ。そう誓約していただこう」
「なッ……!」

ハロルドは動揺しました。
ウィリアムの顔には「断ればどうなるかわかるな? 牢屋にぶち込むぞ」と書いてあるようなものです。

これは、依頼というよりも脅迫。
ハロルドはやむなく、聖人の遺物に手を置いて誓うしかありません。

まぁ、あれは「脅迫されたのだ」と後で言えばよい。
イングランドに戻って武力を手にすれば、こんな狡猾なノルマン人なぞ一ひねり!
そう考えたのでした。

一方、ウィリアムとしても、そんな考えお見通しでした。
そして、こうも考えていたのです。

『どうせこいつは、後でこんな誓約は反故にするだろう。そうしたら、聖遺物に誓っておいて破る男と、イングランドに攻め込んでやるまでよ』

ウィリアムにとって相手が誓約を破ることは、相手の領地に攻め入るための理由となるわけです。
そこまで考えて、彼はこんな卑劣なことをしたのでした。
なかなかの謀将ですね。

 

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トラブルメーカーの弟が事態を悪化させ

申し分のない王の器であったハロルドにも、泣き所はありました。
粗暴なトラブルメーカーの弟トスティです。

トスティは問題を起こしてばかりで、ついには宮廷、そしてイングランドから追い出されてしまいます。
「ちくしょう、今に見てやがれ!」

トスティはよりにもよって、ノルウェーのハーラル3世苛烈王に「あんたこそ次のイングランド王になるべきだ!」と焚きつけたのです。

ハーラル3世はウィリアムより、はるかに王位請求権の遠い存在でした。
ところが、です。これを「面白そうな話だな!」と乗り気になたハーラル3世まで、イングランド王位争いに一枚噛むことになるのです。

彼らの軍勢はイングランド貴族たちを打ち破り、ついにヨークまで進軍してきました。

 

ヴァイキングを駆逐せよ!

ウィリアムの元からイングランドに戻ったハロルドは、苦悩していました。

「ノルマンディーからは絶対に落とし子(庶子)のウィリアムがやってくる。備えねばなるまい。しかし、トスティとヴァイキングも問題だ」

ハロルドは素早く軍勢を整え、ロンドンからヨークまでの370キロを、たった4日間で行軍。このころは歩兵中心ですが、流石に今回は騎兵が多く含まれていました。

その日、1066年9月25日は快晴で暑いくらいでした。
「ふぅ〜、暑い、暑い」

北欧出身のヴァイキングたちは暑さに弱く、日光浴を好みます。

油断しきったヴァイキングたちは、服を脱いで近くの川に飛び込み泳ぎ出しました。半裸で寝転び、日光浴を楽しむ者もいました。

「あち〜、あちぃ〜、日射しがまぶしいぜ」

太陽の光がまぶしいなあ、と目を細める戦士たち。
いったい眩しさの正体は何なんだ?

敵軍です。
光にあたって反射していた敵軍の剣や甲冑でした。

 

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スタンフォード・ブリッジの死闘で大勝利

日光浴を楽しんでいたヴァイキングは恐慌状態になりました。
ろくに武器も持たないまま、彼らは敵の一方的な攻撃を受け続けます。

「トスティ! 我が弟よ。まだ間に合う、降伏せよ」
ハロルドは弟トスティに向けて呼びかけました。

「今ならまだ間に合うぞ。降伏したら領地も財産もお前に返してやる」
トスティは返答しました。

「ハーラルにはくれてやるものがあるのか?」
「ああ、あるとも。イングランドの土地を180センチくれてやる。おっと、あいつは大男だな。足りなければ210センチにしてやってもいいぞ」

埋めるための【墓穴】をくれてやる、という挑発でした。

それからハロルドは、全軍に攻撃指令を出しました。
ハーラル3世は乱戦の最中に死亡し、トスティも殺されます。

まさに圧倒的な大勝利。イングランドを長いこと苦しめてきたヴァイキングは、この戦いのあと姿を消しました。

スタンフォード・ブリッジの戦い/wikipediaより引用

 

ヘイスティングスの敗戦

しかし、ハロルドには勝利の美酒に浸っているヒマなどありません。

2週間後、上陸したウィリアムを迎撃すべく、ハロルドは二人の弟とともにヘイスティングスに向かいました。

1066年10月14日。
この日は、イングランドの王位継承権を決める、天下分け目の戦いでした。
ヴァイキングとの戦いに疲弊していたにも関わらず、ハロルドは勇猛果敢に善戦したのです。

ウィリアムは焦りました。
「疲弊したところを狙いうちしたのに、奴らは強いではないか!」

ウィリアムの軍勢は石弓と長弓で武装していました。
一方、ハロルドの軍勢は、斧を持った重装歩兵で、密集戦法を取っています。

奸計を駆使し、ここまで攻め込んだのに、敗北を味わうのか――。

ウィリアムが悔しがっているその時、矢がハロルドの目を射貫きました。
「ぐおっ!」
目だけではなく、脳をも射貫くような一撃であったのでしょう。

ハロルドは戦死してしまうのです。

戦死するハロルド/wikipediaより引用

それまでよく戦っていたハロルドの軍勢は総崩れ。
ハロルドの弟二人も戦死してしまいます。
嗚呼、あれほどの接戦を繰り広げておりながら、崩れてしまえばこうもあっけないのでしょうか。

ヴァイキングを駆逐し、戦場では無双の武勇を誇ったハロルド。
庶子として生まれ、謀略の限りを尽くし、こじつけで王冠を要求してきたウィリアム。
王座を手にしたのは、後者なのでした。

 

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イングランド王の厚かましいジャイアニズムはここから

このウィリアムの勝利最大の被害者は誰でしょうか。

ハロルドか、この後も反抗することになる民衆と貴族たちか?

意外にもフランス王とその民かもしれません。

元をたどれば、フランスのノルマンディーの貴族であったという意識のあるイングランドの王たちは、ことあるごとに厚かましくフランス王の座を狙い続けました。
どう考えてもお前はお呼びじゃないという王位争いに首を突っ込むのは、ウィリアム以来の血統ゆえのことかもしれません。

フィリップ2世がリチャード1世とジョン王を追い払い。
ジャンヌ・ダルク率いるフランス軍が、イギリス軍を追い払い。
北米大陸の植民地をめぐっては、英仏で対立しあい……。

こうした戦争は、
「お前のモノ(フランス王位継承権)は俺のモノ、俺のモノ(イングランド王位継承権)は俺のモノ!」
という、厚かましいジャイアニズムの産物と言えましょう。

イングランド王は、紋章にフランス王位継承権を意味する百合をちゃっかりと入れ続けました。

「流石にこれは、昨今の情勢を考えると、ヤバイんじゃないですかね……」
そう考えて百合の紋章をはずしたのは、なんとフランス革命後、ナポレオンが猛威をふるい出した19世紀はじめのことなのです。

ヘイスティングスの戦いから、およそ8世紀を経てのこと。
なんとも迷惑で、しつこい執念ではないでしょうか。

◆ビフォー:ジョージ3世の紋章、1760−1801
四分割された盾の右上、青地に金の百合はフランス王位継承権もあるんやで、という意味

ビフォー:ジョージ3世の紋章/photo by Sodacan wikipediaより引用

 

◆アフター:ジョージ3世の紋章、1801−1816
しれっと青地に金の百合が、獅子に変更されました

アフター:ジョージ3世の紋章/photo by Sodacan wikipediaより引用

文:小檜山青




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【参考文献】
トマス・クローウェル『図説 蛮族の歴史

 





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