1842年の8月29日、南京条約締結によりアヘン戦争が終結しました。
日本にペリーの黒船が来る前、ちょうど天保の改革をやっていた頃ですね。
無理やり一言でいうと「イギリスがアヘンを押し付けて清にNOといわれたからブチキレた」となってしまうこの戦争、もうちょっと詳しく見ていきましょう。
いくら海賊紳士とはいえ、イギリスもいきなり戦争をおっぱじめたわけではありません。
イギリス紳士の悪徳すぎる貿易商品
当初、イギリスと清は普通に貿易をしていました。
しかし、清がイギリスへ輸出していたものはお茶・絹など大量に生産できるものばかり。
逆に、イギリスが大量に作れるものというと綿織物しかなく、清では需要がありませんでした。
こうなると、どんどん貿易赤字が広がっていってしまいます。
そこで海ぞ……紳士的に考えた結果、「インドで栽培してるアレをアレすればいいじゃないか!」ということになったのです。
そのアレこそがアヘン(言っちゃった)。
清では既に「アヘンはラリるからヤバいアル! 輸入も国産もダメアル!!」ということになっていたものの、役人のやる気がなかったため、まったく取締りの効果がありませんでした。
そこへイギリスが「インド産のアヘンですYO! こっそり売ってあげますYO!」なんて言ってきたのですから、既に吸いまくっていた人々にとっては「イギリスジンイイヒト!サンキューアル!」となるわけです。
ちなみにアヘンを吸うとどうなるかというと、吸っている間はラリってハイになるものの、効果が切れると不安・不眠・幻覚に陥るそうです。
もう少し後の時代の芸術家、ジャン・コクトーは「一度吸ったらもうアヘンなしでいられるわけないよ」なんて評価をしています。
どこでそんなの知ったんでしょうかねぇ。芸術家ってもしかしてデフォで使用しているの?
アヘンによる退廃振りに加え、もう一つ問題になったのが銀の流出。
当時は銀貨中心に経済が動いていました。
当然イギリスと清の間でも銀を使ってやりとりをしますので、イギリスが大量にアヘンを輸出すれば、清が支払う銀の量も膨大になります。
一時期は国家予算の数割が流出したとか……アヘン怖いよアヘン。
愛国者の正義の鉄槌が祖国をつぶす引き金に
しかし量が量だったので、どんなにこっそりやっていても清にバレます。
イギリスは「まあまあ、欲しがってる人もいるんだからいいじゃないですか。これで勘弁してくださいよ」と賄賂で丸め込もうとしたのですが、このときの役人・林則徐が極めて真面目な人だったため交渉決裂。
「賄賂もアヘンもいらんわ!はよ密輸やめんかい!」と怒鳴られてしまい、しぶしぶ引き下がることになりました。
このとき、売られる前のアヘンは全部消石灰を混ぜて海に捨てられたそうです。
その量何と1400トン!
粉物の1400トンって、どんだけ~?
陸上最大の生物・アフリカゾウのオスが一頭あたり6トンくらいらしいので、ざっと120頭以上になりますね。
どんだけえええええええ!?(二回目)
ですが、金儲けの手段を封じられたイギリスもこのままでは黙っていられません。
「反省の証にちょっと大人しくしますね☆」ということで、それまでいた広東を出てマカオへ引き上げました。
この間に「清をギャフンと言わせてやるぜククク」という準備をし始めていたのですが、その前にある事件が起こります。
何と、イギリス商船の船員が「アヘン取り締まられたせいで商売上がったりだチクショー!オメー責任取れ!!」と酔った勢いで中国人を殺してしまったのです。
ただでさえゴタゴタしているのに、その相手国の人を殺すとかマジKY。
当然清側は「ウチのモンに何してくれるんじゃああああ!」と怒ります。
マカオは閉鎖され、大陸側から食料が入ってこなくなってしまいました。
いよいよキナ臭い雰囲気を感じ取ったイギリス商人たちは、家族を連れて貨物船の中に避難します。
ですが食料が得られないのは同じ。
イギリスさん、海賊にへーんしん!
追い詰められたイギリス、ついに海賊スイッチが入ってしまいます。
「食料よこさないって本気なのバカなの飢え殺す気なの!?そっちがそうくるならこうじゃあああああ!!」とばかりに砲撃を開始してしまいました。
兵器技術で勝っていることを見せつけ、譲歩させようとした……というとカッコいいですが、やってることは「逆ギレの上カツアゲ」にしか見えません。
とはいえ、清もいつまでも砲撃されているわけにはいきません。
「HAHAHAごめんアルこんなにゴタつくと思ってなかったアル食料売りに行くアル!」と一度は和解します。
が、その後到着したイギリス海軍により結局戦争へなだれ込んでいくのでした……。
元々火力と戦略に長けた海賊紳士達、容赦なく清を攻めまくります。
戦力の差は「イギリス軍艦の砲撃が一発当たっただけで清の船が軒並み沈んだ」そうですから、最早戦争にもなりません。
各地の港や運河を占領され、首都北京への流通を止められた清は降伏せざるを得なくなってしまったのです。
不平等すぎる条約…
そして結ばれた南京条約の内容は実にヒドいもの。
「まずは賠償金2100万ドルと香港をよこせ! 港を5ヶ所を開放しろ!」ときています。
しかも翌年にはさらに「ウチの国民がお前んとこで犯罪やっちまっても勝手に裁くなよ!ウチをVIP扱いしろよな!」などなどの条件が追加されます。
既に負けた清が逆らえるはずもなく、この横暴な不平等条約を飲むしかありません。
しかもこれを見たアメリカとフランスも「同じ欧米人なんだから、オレたちにも同じことを認めるのが当たり前だよね☆」という滅茶苦茶な理由で同じ内容の条約を迫ってきます。
この後も度重なる反乱などにより清は弱体化し続け、他国にあちこち切り取られていってしまいます。
アヘン戦争は清がボロボロになるだけでなく、欧米列強がアジアに足がかりを作るきっかけになった戦争でもあったのでした。
日本もお隣のことを傍観してはいられませんでした。
鎖国中とはいえ、オランダや複数のルートから世界事情を聞いていたからです。
大国である清が、欧米に屈したことは江戸幕府にとって大きな衝撃でした。
なんせ日本は、遣唐使の時代からずっと大陸の書物で学んできたのですから。
「もしかすると、清ってもう時代遅れなんじゃない?」と考えた幕府は、「これからは西洋の書物や技術を積極的に学ぼう!でないとウチも占領されちまう!」という方向に切り替えます。
その後、日本では、黒船来航からの攘夷派vs開国派、徳川慶喜による大政奉還&戊辰戦争などのすったもんだの末、明治天皇を中心に新しい近代国家が作られていくのでした。
もしアヘン戦争がなかったら、江戸幕府がもう少し長く続いていたかもしれないし、近代化もずっと遅れていたかもしれません。
【アヘンそのものがどれだけヤバいか?】
という点については、以下の記事に詳しくございます。
歴女医先生の記事ですので、読み応えありますよ。
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アヘンにみる英国と薬物乱用の恐ろしさ! ケシを吸ったらサヨウナラ
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
アヘン/wikipedia
台湾阿片令/wikipedia
万国阿片条約/wikipedia
大麻/wikipedia