1771年(明和八年)5月16日、マリー・アントワネットがフランスのルイ16世に嫁ぎました。
マリー・アントワネットと言えば、こんな印象をお持ちの方もおられるかもしれません。
【庶民をバカにして、贅沢をしすぎたせいでギロチン送りになった】
実はこうした指摘は、現在では間違いだとされているのですが、そもそも、なぜ彼女にそんな“誤解"が付き纏うのか?
原因は大きく分けて三点あると思われます。
フランス財政悪化の原因は太陽王だった
一つは、フランスの財政悪化は彼女のせいだけではないということ。
ルイ16世との夫婦が生まれるはるか以前からフランスの財政は火の車でした。
真の元凶はルイ14世です。
元々何もなかった場所に地形を改造してまでヴェルサイユ宮殿を建て、さらにあっちこっちの戦争で金を使いまくったのは他ならぬ”太陽王”なのです。
フランスのお財布的には、太陽として温めるどころか大穴を開けて北風を呼び込んだようなものです。

太陽王ことルイ14世/wikipediaより引用
しかも王位についていた時間が長かった割には全く返済を考えておらず、その後即位したルイ15世は財政どころかそもそも政治に興味がないというダメっぷり。
しかし、この状況でも「王家が安泰である」ことを示すためには、服装その他で体面を繕うことが欠かせません。
微妙に違いますが「武士は食わねど高楊枝」というやつです。
ですので、マリー・アントワネットがドレスその他服飾品にお金をかけたのは、本人が贅沢をしたかったからだけではなく、立場上不可欠なことでもありました。
ただし、彼女が賭博を好んで大枚をはたいたのも事実。
全く責任がないというわけでもありませんが、少なくとも100%の過失ではないといっていいのではないでしょうか。
仮に比率で表すとすれば、90%はルイ14世、8%はルイ15世、その他の原因とマリー・アントワネットを合わせて2%くらいのものではないかと。ちょっと贔屓しすぎですかね。
子を産んでからは良妻賢母
二つめは、夫ルイ16世をバカにしていた=悪女であったという話についての誤解です。
確かに結婚当初から子供が生まれるまでは、夫婦仲があまりよくありませんでした。
子供ができなかったというのもありますし、夫の人格や趣味を見下していた節もあります。

王妃となったマリー・アントワネット/Wikipediaより引用
しかし、子供ができてからのマリー・アントワネットは、見違えるほどの母性を発揮しているのです。
上記の賭博もぴったりやめ、良き母として子供達に接していました。
もし本当に心の底から夫をバカにしていたら、その間に生まれた子供を愛せるでしょうか?
当時のエラい人は自分で子育てをしませんから、愛情が希薄になりがちなのが常。
その時代に「実子を可愛がった」という記録が残っているということは、彼女がきちんと母親をやっていた証拠です。
また、最初の印象は悪くても、子供ができたことで夫と本当の家族になれたと思えたのではないでしょうか。
ルイ16世は愛人を持ちませんでしたし、そこで初めて「この人もしかしてイイ旦那なのかも」と気付いたのかもしれません。
「子はかすがい」という言葉もありますしね。
ケーキ食べれば発言の真実
最後は、最も印象のデカそうな例の発言について。
「パンがないならケーキを食べればいいじゃない」
ウィキペディアに単独項目があるくらい有名な話ですので、既に事実をご存知の方も多いかもしれませんが、やはり彼女を語る上で欠かせない話題ですよね。
そもそもこの発言は、ルソーの著述の中に形容として出てくるもので、「誰が」「いつ」「どこで」発言したという詳細は全くわかっていません。
「さる高貴な女性がこんなことを言っていた」
というだけの話です。
当時の貴族はまさに特権階級。
税金を納めないどころか庶民から搾取する一方でしたから、マリー・アントワネット以外にもこういう考えを持っていた女性は大勢いたでしょう。
マリー・アントワネットの評判がフランス革命の前後には既にどうにもならないところまで悪化していたため、「こんなことを言いそうなイヤな女はアイツに違いない!」ということで、いつの間にか彼女と結びついてしまったのではないか?というのが最近の説です。
ちなみに原文では「お菓子」ではなく「ブリオッシュ」となっています。
今は菓子パンの一種ですが、当時はフランスパンと比べてバターや卵を多く使うのでお菓子扱いでした。
当然高級品なので、食べるのにも困っている庶民にはそうそう手の出るものでなかったのは事実です。
ここで合わせて考えてみたいのは、マリー・アントワネットが貧しい人々のために宮廷で募金を募ったり、自分の子供には贅沢を戒めていた点です。
そんな人が「庶民がお菓子を買えないほど困っている」ことが理解できないほどのおバカキャラとは考えにくいですよね。
時代が違えば「慈悲深い王妃様」だったかもしれない
というわけで、特に子供が生まれてからの彼女については良き母、良き王妃だったのではないかと思うのです。
若き日の過ちなんて誰にでもいくらでもあることですし、某マンガで有名なフェルセン公爵とのアレコレにしても、当時の貴族世界では「愛人を持って当たり前、人前で夫婦揃っているのはみっともない」という価値観です。
別に彼女だけが悪かったわけではないのです。
フランス革命についてはまた取り上げますので今回は詳述しませんが、最期の態度も王妃としてとても立派でした。
もしもっと良い時代に生まれていたら……。
「慈悲深い王妃様」として語り継がれ、ブリオッシュには「王妃様が庶民に与えてくださった食べ物」として彼女由来の名前がついていたかもしれません。
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長月 七紀・記
【参考】
マリー・アントワネット/wikipedia