ルイ16世/wikipediaより引用

フランス

ルイ16世って素敵な人じゃん!無実の罪で処刑されてなお平和を願った王だった

即位後には、拷問や農奴制度を廃止。
人道的な政治を目指しました。
様々な障害に阻まれ政治改革は頓挫してしまったものの、責任感を持ち世界をよりよくしたいという善意を常に持ち合わせていました。

前述の通り、革命勃発の夜、日記に「何もなし」と記載したことが彼の愚鈍さ、民衆への無関心さとして取り上げられることがあります。

これには注意しなくてはいけません。
ルイ16世は就寝前に日記を書きました。革命が起こったのは、王の就寝後でした。
つまり、その日に何かあっても書きようがなかっただけに過ぎません。

バスティーユ襲撃/wikipediaより引用

前述の通りルイ16世は、アメリカ独立戦争に協力を惜しみませんでした。
これにはもちろん、宿敵イギリスから植民地アメリカを独立させ、打撃を与えるという外交的な意味もありました。それだけではなく、ルイ16世は民主政治を求めるジョージ・ワシントンらの理想に共感し、憧れる気持ちもあったのでしょう。

崇高な精神とはいえ、これは危険なことでした。
フランス革命後、周辺諸国の君主は革命が伝播することを恐れ、民主主義に嫌悪感を示しました。ルイ16世も彼らのように、民主主義がいつか自らの玉座をもおびやかしかねないと、毛嫌いしてもおかしくはなかったはずです。

彼は国王でありながら、理想の政治、民のための政治に憧れていたのです。
このことこそが彼の究極の優しさであり、命取りにもなる部分でした。

 

フランス国民は王を憎んでいたのか?

ルイ16世を語る上で解かねばならない最大の誤解は、民から嫌われていた暗君であった、ということです。

庶民の家を散歩するのが日課で、民主主義にあこがれを抱き、政策においても民のために譲歩した国王を、民衆も慕いました。

贅沢三昧にふけったルイ14世、政治にも民の生活にもまったく関心を抱かなかったルイ15世とは違ったのです。浪費癖で嫌われたマリー・アントワネットとは異なり、ルイ16自身はヴァレンヌ事件(1791年)で逃亡未遂が発覚するまで、民衆に嫌われていたわけではありませんでした。

しかし、ルイ16世の民衆への寛大さが、皮肉にもそれが革命の勃発や進行の一因ともなりました。

彼は民衆の要望に応じて高等法院を復活させ、三部会を開き、その声を聞こうとしました。そんなことをせず、権力で民の声を握りつぶしていたならば、革命の芽を詰むことに成功したかもしれません。
フランス国旗のトリコロールは、「自由・平等・博愛」という革命の精神をあらわしているとも言われていますが、正しくはありません。
パリ市民軍の色青と赤で、王家の白を挟んでいるのです。パリ市民と国王の協調が本来の意味でした。

 

罪を犯したから処刑されたのか?

1792年、王権が停止され、ルイ16世は王ではなく「市民ルイ・カペー」となりました。

革命家たちは国王をどうするかで激論を戦わせました。
もしもルイ16世が暴君であれば、結論はもっと簡単に出たことでしょう。

しかし、彼自身に罪がない。

そこで処刑の理由は、王制そのものに向けられました。
「ルイ・カペー本人に罪はないが、国王という存在は民主主義の敵である」

それでもなお、穏健なジロンド派はじめ、多くの革命家たちは国王の処刑に反対しました。
国王を処刑するかどうかの決戦投票でも、結果は賛成361票に対して反対は360票。処刑が決まったのはごくごく僅差だったのです。

1793年1月21日。処刑人サンソンは前夜一睡もできませんでした。
が、処刑される国王自身はたっぷりと眠った、と周囲に言いました。

そして処刑台にあげられる前、彼はこう言いました。

ギロチンで処刑されるルイ16世/wikipediaより引用

「私は無実の罪で死にます」
続けまして……。
「私は、私の命を奪う者たちを許します。あなた方が今こうして流そうとしている血が、フランスに注がれぬよう、私は祈りを捧げます」

処刑を見るために押し寄せた群衆の騒ぎにかき消され、その声を聞いた者は少なかったことでしょう。

しかしこの短い最期の演説は歴史に残ります。

 

革命後もフランスで流れ続けた血

ルイ16世の処刑のあと、その敵意は彼の妻、子、妹らにも向けられました。
流血がなければ革命は成し遂げられないとでも言うように、容赦なく血は流れ続けました。

民衆に追い詰められながらも、最期までルイ16世は彼らを気遣いました。
しかし彼の祈りは届かず、恐怖政治、ヴァンデの反乱、フランス革命戦争、ナポレオン戦争と、フランスはこのあとおよそ30年血を流し続けることになります。

民衆にさらされるルイ16世の首/wikipediaより引用

君主としては民衆を愛し、夫としては妻を愛し、慈悲深く聡明でもあったルイ16世。
その国王と王妃を処刑し、王子を無残な幽閉死に追いやったことは、フランスの歴史上の汚点かもしれません。

国王としてイメージされる偉大さに欠けたためか、現在においても彼の評価は「イマイチ冴えない気の毒な王」として記憶されています。
あまりに雄々しく描いてもそれはそれで彼の実像とはかけ離れてしまいますが、愚鈍なぽっちゃり王というイメージからの脱却をそろそろはかるべきではないでしょうか。

文:小檜山青

【参考文献】
『ルイ十六世 上」』(→amazon
『ルイ十六世 下』(→amazon
『ルイ16世(ガリマール新評伝シリーズ 世界の傑物 3) 』(→amazon

 



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