ギロチン処刑の様子/wikipediaより引用

フランス

処刑人失格――あのサンソンの孫アンリ=クレマン・サンソン 罷免される

処刑人の家系に生まれたため、人類史上二番目に多く斬首する羽目になったシャルル=アンリ・サンソン
主君のルイ16世、元恋人のデュ・バリー夫人まで斬首しなければならなかった彼は、ストレスに悩まされ苦しみました。

人類史で2番目に多くの首を斬り落としたアンリ・サンソン 処刑人の苦悩

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アンリ・サンソンの願いは、フランスが処刑制度を廃止すること。
しかし生きているうちに、その日を見ることはありませんでした。

そんな苦悩を抱きつつ亡くなった四代目サンソンの孫、六代目サンソンことアンリ=クレマン・サンソン
彼の代でも、まだまだギロチンは現役でした。

それはアンリ=クレマンにとって、極めて不幸なことでした。

 

15才で知った家の秘密「お前のパパは処刑人だ」

アンリ=クレマンは、恵まれた家庭に育ちました。

祖父母からも両親からも可愛がられる一人っ子で、広い庭に立派な屋敷。
屋敷には、彼の両親を頼りに暮らす親戚や使用人があふれ、アンリ=クレマンはそうした人々から可愛がられて育ったのです。

成長するにつれ、アンリ=クレマンは優雅、儚げ、無邪気、そして優しげな少年になりました。

アンリ=クレマンが他の子と違う点は、学校へ通学せず、家庭教師に勉強を習うところでしょうか。
その家庭教師であった神父が亡くなったため、彼は「クレヴァン」という名で、学校に通うようになります。

学校では親友ができました。
そしてある日、彼は自宅に親友を連れて来ました。

しかし、いざ親友が家に来ても、家の者達は皆ぎこちない態度を取るばかり。親友もそれを境に、よそよそしい態度を取るようになりました。

「どうしたんだろう。何か嫌われるようなことを僕はしたのだろうか?」

アンリ=クレマンがそう尋ねると、親友はギロチンの絵を描いて渡してきました。
裏返すとこう欠いてありました。

「お前のパパは処刑人だ」

当然すぎるほどにアンリ=クレマンはショックを受けました。
どこか違う家庭環境のことを思い出すほどに、自分の家が処刑人であれば辻褄が合うとわかってしまう。
それはまさに、楽しい少年時代の終わり。
アンリ=クレマンは最悪のかたちで、現実を突きつけられたのでした。

彼は引きこもり、学校には二度と通いませんでした。

 

祖母と父が教える悲しい歴史とは……

ショックを受けたアンリ=クレマンに、処刑人という職業の意義について語り聞かせたのは、祖母のマリー=アンヌでした。

マリー=アンヌは、あの四代目サンソンの妻です。
彼がどれほどの苦労をしたか、苦しめられてきたか。
それを孫に語り聞かせました。
そして、処刑人という職業が、必要悪であることも。

父のアンリは、無理して家業を継がなくてもいいんだよ、と優しく語りかけてきました。
彼は息子に軽蔑されることを恐れ、今まで処刑人であることを隠し通して来たのです。

「お前が他の仕事に就くというのならば、それも構わない。一生食べて行けるだけの財産はあるからね」

アンリ=クレマンは、祖母と父の言葉の間で迷います。
しかし彼には、父が『本当は家業を継いで欲しい』と思っていることもわかっていました。

処刑人にはなりたくない。
でも、家族の思いも大切だ。
彼は迷い続けますが、いつまでもそうしているわけにもいきません。

父は年老い、いずれ処刑が続けられなくなるのです。

 

前代未聞! 処刑場から逃走する

1819年、父アンリが病気で寝込んでしまいます。
ついに20才のアンリ=クレマンに、処刑人として初仕事に挑む日が来たのでした。

死刑囚は、彼と同じ歳の青年でした。
女性二人を殺し、金品を奪った男。とはいえ、まだ若く生命力に満ちあふれた者の首を切り落とすということは、大変なことです。
胸がしめつけられるようでした。

まともに動けないアンリ=クレマンにかわって、助手が独断でギロチンの刃を落とします。
処刑後は後片付けをして埋葬まで見届けねばならないのですが、アンリ=クレマンはただただ呆然自失。ついにはその場から逃げ出してしまいました。

サンソン一族の者とはいえ、人の子です。
代々の処刑人たちも、初めての処刑では動転してミスを犯すことはありました。

しかし、職務放棄して逃げ出したのは、前代未聞です。

アンリ=クレマンはふらふらと歩き回り、自分が犯した罪の重さに打ちのめされていたのでした。
命令されて従ったまでとはいえ、自分の手は血に汚れてしまった、もう後戻りできないと思い詰めていたのでした。

 

国家は死刑を恥だと感じている

現在、死刑が存続している国は徐々に少なくなっています。

死刑廃止論の目覚めは、人権の概念と同じ時期に生まれました。
フランス革命期には、ロベスピールが死刑廃止論を主張。しかし、反対多数で否決されます。

皮肉なことに、こののちロベスピエールが恐怖政治を行い、政敵を次から次へとギロチン送りを敢行。
彼は四代目サンソンの仕事を増やし、そして彼自身もまたギロチンで処刑されるのですから、どうしようもありません。

この死刑廃止論が再燃したのが、1830年の七月革命。廃止には至りませんでしたが、前進はありました。

死刑判決は以前より少なくなり、処刑場もパリの中心部にあるグレーヴ広場から町外れに移されたのです。
執行の時間帯も、街が賑わう昼間から早朝に変更されました。

実は死刑は、娯楽でもありました。
人々は処刑場に集まり、時には喝采を送っていたのです。
それが、人の目に触れないようになる――よい兆候でした。

処刑人の数も減り、サンソン家でも人手を減らしました。
四代目の時は16人もの助手がいましたが、五代目では二人にまで減り、サンソン家はそれまでより手狭な家に引っ越すことにしたのです。

それでもなお死刑の完全廃絶までには、ほど遠いのですが……。

 

ギロチンを質入れする

1836年、70歳を超えた五代目アンリは、高齢のため処刑に立ち会うのを辞めました。
アンリ=クレマンは、父の目という重圧がなくなると、仕事に身が入らなくなりました。

二十年で百人以上処刑してきましたが、仕事に慣れる――ということはついになかったのです。
父の思いのために仕事を続けていたものの、その目がなくなれば、もはや続ける理由はありません。

アンリ=クレマンはストレスから逃避するように、娼館と賭博場に入り浸るようになります。そして……。
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