ディアーヌ・ド・ポワチエ

ディアーヌ・ド・ポワチエ/wikipediaより引用

世界史

中世フランスの美魔女ディアーヌ・ド・ポワチエ~19歳若い王を魅了す

2017年5月、フランスで第25代大統領選が行われ、エマニュエル・マクロン氏が就任。

39歳という最年少での当選もさることながら、話題となったのがブリジット夫人でした。

年齢差は24歳。

しかも、マクロンが恋に落ちたのは15歳の時というのだから、どうしたって目立ちます。

歴史を探究すると、このような年の差カップルは多いとは言えないものの、存在します。

若い王を魅了した美魔女ディアーヌ・ド・ポワチエ――。

1566年の4月22日に亡くなりますが、マクロン夫妻と同じフランス、15世紀に花開いたロマンスは、歴史に残るものでした。

 


月の女神ディアーヌ 伯爵家に生まれる

1499年、ヴァレンティノ伯爵家に女児が誕生しました。

生まれたばかりの赤ちゃんが眠る部屋には、美しい月光が差し込み、この女児はローマ神話における月の女神・ディアーナにちなんでディアーヌと命名されました。

ディアーヌは6歳でブルボン公爵夫人に預けられ、礼儀作法を学びます。

幼いながらも聡明さを発揮した彼女は、成長するごとに美貌に磨きがかかり、16歳の時、その美少女ぶりをみそめたルイ・ド・プレゼと結婚。

しかし、40歳も年上となる夫との結婚は、彼女にとっては苦痛でしかありませんでした。

1518年、19歳のディアーヌは二人目の女児を出産。その翌年、フランソワ一世の王妃であるクロード・ド・フランスの侍女として、王妃の出産に付き添います。

王妃は第二王子にあたるアンリを産みました。

この赤子が彼女の運命を変えるとは、まさかこの時は思いもしなかったことでしょう。

それから間もなくフランソワ一世は、イタリア戦争の「パヴィアの戦い(1525年)」で大敗を喫し、捕虜としてマドリードに幽閉されてしまいます。

翌年、講和条件として「マドリード条約」が締結されると、同条約にはフランソワ一世の二人の王子を人質としてスペインに差しだすことが定められておりました。

このころディアーヌは王子の世話係を担当していました。

彼女は、王子たちが引き渡されるスペインのアンダイエ付近まで付き添い、優しく世話をします。

そして人質交換の時、アンリ王子はディアーヌに抱きつきました。

「いやだ、ディアーヌと離れたくないよ! スペインにはいつまでいればいいの? フランスに残りたいよ!」

ディアーヌは王子をなだめつつ「すぐお戻りになれますよ」と言いきかせ、優しくキスをしたのでした。

 


美しすぎる喪服姿はたちまち評判となり大流行

その後三年間、1529年に解放されるまで、二人の王子は異国の地の牢獄で暮らします。

環境は劣悪、母国語を忘れかけるような過酷な日々でした。

1531年、ディアーヌの夫・アンリが71歳で死去。ディアーヌにとって不幸な結婚がようやく終わりを迎え、彼女は32歳になりました。

寡婦として喪服に身を包んだ彼女を見て人々は息を呑みます。

優美なレース、銀糸のリボン、銀色のベルト、肘に入ったスリットからのぞくブラウスの袖。黒と白の喪服とはいえ、そのいでたちは豪華で華麗なものでした。

金髪を飾る頭飾りの先は地面につくほど長く垂れ下がっています。

黒と白、そして銀色で彩られた喪服は、夜空に浮かぶ月の色。まさに月の女神と呼ばれる美女にふさわしい装いでした。

ディアーヌ流の喪服はたちまち評判となり、大流行したのでした。

美しき寡婦として、亡父の領地経営に手腕を発揮するディアーヌ。そんな彼女のもとに、フランソワ一世から相談が持ち込まれます。

「アンリ王子のことだが……あれはまったく女に興味を見せようとしない。あいつの精神は死んでいるのだ」

「死んではおりませぬ、お眠りになられているだけかと」

こう答えたディアーヌに対し、王は命じます。

「ならばその眠った精神に、そなたが血を通わせてみるがいい」

幼いアンリを優しく気遣った美女ならば、その欲望に火をつけられるかもしれない。王はこう考えたのでした。

 


メディチ家出身のカトリーヌは一途すぎた!?

当時、アンリ王子には既に妻がいました。

1533年、14歳でイタリアの名家・メディチ家から迎えたカトリーヌという、同い年の花嫁を巨額の持参金とともに迎えていたのです。

カトリーヌは美人ではなかったものの、知的で所作が美しい少女でした。また彼女は文化の担い手でもありました。

アイスクリーム、化粧品、食事のマナー、料理まで、フランスにはカトリーヌが伝えたとされるものが数多く伝わっています。

そして彼女はアンリに対して熱烈な愛情を抱きますが、一方の王子は持て余し気味。二人の間には子ができず、カトリーヌはあやしげな占い師や精力剤にはまるようになります。

一途過ぎた彼女の性格は、かえってアンリをうんざりさせてしまったのです。夫婦の営みはカトリーヌの熱意と反比例するように減っていきました。

カトリーヌ・ド・メディシス/wikipediaより引用

二人の結婚から二年後、皇太子フランソワが急死すると、アンリが王位継承者となりました。

父王フランソワは彼を大事にするどころか、ますます厳しく教育するようになり、ただでさえ繊細なアンリは自分の殻にこもるようになってしまいます。

ディアーヌに相談が持ち込まれた背景には、このような事情があったのです。

このとき彼女は既に四十歳手前。当時としては老婆と呼ばれてもおかしくはない年頃です。

夫の死後、うわついた宮中の中で、貞操を守ってきた彼女。そんなディアーヌが王の命に従い、アンリ王子の寵愛を受けたのでした。

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