ビスマルク/wikipediaより引用

ドイツ

ビスマルクはなぜ「鉄血宰相」と呼ばれた?ドイツ最強の軍人ではなく文官です

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1871年(日本では明治三年)3月21日、オットー・フォン・ビスマルクがドイツ帝国宰相に就任しました。

日本史・世界史問わず「暗記第一!」の歴史教育の中でも、この人の名前はなぜだか今も忘れていない――という方は結構多いのではないでしょうか。

なんせ「鉄血宰相」というゴッツイ二つ名がついてますしね。
実際、彼の功績も、その言葉通り骨太なものが多く、後にドイツの戦艦には「ビスマルク」と名付けられたものが複数あったりします。

では何をやった方なのか?
一言でいうと
「バラバラで絶対にまとまりそうになかったドイツ一帯を一つにした」
というところですね。

おまけに戦争がめっちゃ得意。
国内がまとまる前から対外戦争をおっ始め、勝利してしまうほどの指導力を発揮しております。

となると、さぞかし本人も堅物なんだろうなぁ……と思いきや人間臭い話も残っていたりして。
本日は、その辺も含めて鉄血宰相・ビスマルクを振り返ってみましょう。

 

ガタイも鉄血!

ビスマルクは190cm・120kgもの巨漢でした。

そして、実は軍人ではなく【文官】です。
元々がユンカー(地方貴族)の出身で比較的裕福だったのと、ドイツ全体が民族的に体格が良くなりやすいというのが相乗されてこのガタイになったのでしょうね。

これは周囲からもツッコミどころに移ったようで、国王・ヴィルヘルム1世から「君はなぜその恵まれた体を持っていながら、軍人にならないのかね」と聞かれたことがあったそうです。
これに対しビスマルクは「私は軍で昇進する見込みがありませんので」と答えたとか。

本当にそう思っていたのか、文官の方が出世しやすいと考えたのか、戦争はイヤだったのか、真意はわかりませんが全部だったりして。

体格のとおり、大食漢としても有名だったそうです。

「一度の食事で卵を15個食べた」
「(同様に)牡蠣を175個食べた」
などなど、今だったら確実にギネスに乗るレベルの食欲+酒豪という、体に悪い食生活をしていたとか。

その割に83歳まで長生きしてますので、エネルギーやらコレステロールやらはキッチリ代謝できていたんでしょうね。
ますます軍人にならなかったのが不思議でなりません。
戦争だ……と言われた敵軍に同情します。

この他にも逸話に事欠かない人ですが、そろそろ宰相としての話をしましょう。

ビスマルク300

友人によって描かれたという学生時代のビスマルク/wikipediaより引用

 

統一問題は【鉄と血】によってのみ解決される!

ビスマルクは青年時代から、徹頭徹尾、合理主義かつ現実主義でした。

民族的にはドイツ人だけど、地理的には北ポーランドだったプロイセン出身だったので、他の地方を極めて客観的に見ていたものと思われます。
「神聖ローマ帝国の轍は踏むまい」
という思いがあったことでしょう。

有名な鉄血演説は、ものすごく端折って言うとこうなります。

「ドイツがまとまるためには、我がプロイセンが先頭に立ち武力を持って統一を図るべきだ!」

末尾が「ドイツ統一問題は、演説や多数決などの話し合いではなく、鉄と血によってのみ解決される」だったことから”鉄血宰相”及び”鉄血演説”の名がつきました。

これだけ聞くと「言うこと聞かないヤツは殴って従わせようぜ!」とも思われますが、それではあのややこしいにも程がある【三十年戦争】の二の舞です。
フランス革命の余波が(フランス以外は)ようやく収まり始めたこの時期のヨーロッパでそんなことをしていれば、統一するどころか四方八方の隣国に分割されてしまうでしょう。

ですから、ビスマルクの本意は別のところにありました。

どこに武力を向けたかというと、他国との領土問題です。

しかも、ビスマルクはケンカの売り方と終わらせ方が非常に上手でした。
この類の戦争を違う相手と計3回やっているのですが、3回とも全てに勝利を収め、狙った通りの成果を上げています。

文字で言うと簡単ですけども、これは並大抵の手腕でできることではありません。
正義より実利を掲げたほうが戦争はうまく行くんでしょうね。

 

ドイツとは切っても切れないオーストリア

この時期(というか今も)のドイツ諸国とプロイセンにとって切っても切れないのがオーストリアとの関係です。

かつては神聖ローマ皇帝を出していた国ですし、民族的にも近く、プロイセンよりずっと歴史が長いので、オーストリア側からすれば「ウチが中心になって新しいドイツを作るべきなのに、あの新参者何してくれちゃってんの?」ってな状態でした。

18世紀には2回ドンパチもやってましたので、元々友好関係とは言いがたかったのもありますが。
ビスマルクは戦争ついでに対オーストリア関係も片付けてしまおうと画策しています。

それでは、3回の戦争をざっくり見ていきましょう。

 

その1:デンマーク戦争(1864年)

デンマークとの国境でややこしいことになっていた、シュレースヴィヒ公国とホルシュタイン公国というところを分捕るためにケンカを売りました。

かつて「フリードリヒ2世(18世紀のプロイセン王)が好きなので戦争やめます!!」とほざいて自滅したロシア皇帝・ピョートル3世の出身地ですね。

元々プロイセンのほうが戦争には強いのであっさり勝利しています。

 

その2:普墺戦争(1866年 ※同時進行:イタリア独立戦争)

デンマーク戦争後のアレコレを巡ってオーストリアと対立が深まり、これをきっかけに開戦。

イタリア統一運動でプロイセン・イタリアが同盟を結んだのもこのときです。

2ヶ月もかからずに終わってしまったため、「7週間戦争」とも呼ばれます。
もちろん勝ったのはプロイセンでした。

ビスマルク風刺画

ライオンをナポレオン三世、ビスマルクを羊飼いに喩えた普墺戦争後の風刺画/wikipediaより引用

この二国で戦争すると必ずプロイセンが勝ってたというのが何ともいえません。ほぼ同じ民族なのに何でこんなに連勝と連敗がはっきり分かれるんですかねえ。

中国みたいに別の民族ならわかるんですけども(漢民族vsモンゴル民族とかvs女真族とか)。

これによって、上記のシュレースヴィヒ公国とホルシュタイン公国はもちろん、ドイツの中でもオーストリアについた国(ハノーファーとかヘッセンとか)がプロイセンに併合されることになりました。

後者はそれまで独立した国で、独自の王様もいたのですが、この併合によって廃止されています。

 

その3:普仏戦争(1870年)

最後はナポレオン率いるフランス帝国との戦争です。
といっても「余の辞書に不可能の文字はない」でお馴染みとなっているほうではなくて、甥っ子のナポレオン3世ですね。

ナポレオン3世/wikipediaより引用

フランスは長らくヨーロッパの大国でしたし、ドイツにとってはフランク王国時代(この時点から約1000年前)から領地を取り合っていた相手ですから、ビスマルクがカタをつけたかったのは当然といえましょう。

しかし、潜在的な遺恨はあってもこの時点でフランスとの間に直接いざこざはなかったので、ビスマルクはその火種から作ることにしました。
これだけ立て続けに戦争やっててよくそんなに頭が回るものです。

ビスマルクは当時内紛で空位になってしまったスペイン王の座に目をつけ、あからさまに挑発をしました。

「ウチの王族様がスペインに行って、王様になっていただけばいいですよね!皆さんそう思いますよね!ね!?(チラッチラッ」

日本人からすると「何でよその王様のことを勝手に決めようとするの?」と不思議に思えますが、これはヨーロッパの王族同士があっちこっちで血が繋がっていることによる日常茶飯事ですので、あまり深い意味はありません。

今でもイギリスの王位継承権をデンマークとかスウェーデンの王様が持ってたりします。順位は百位以下なのでまずありえないですけどね。

しかしスペインとプロイセンの王様が同じ家の人になってしまうと、フランスはサンドイッチされてしまうことになるので笑うに笑えません。
実は同じことを一回ハプスブルク家にやられてますので、「二度とあんな目にあってたまるか!」というわけです。

そのため、ナポレオン3世は見え透いた挑発に乗らざるを得ませんでした。
いくら1世より見劣りするからって全くわかってなかったってことはないでしょう……多分。

結果は例によってプロイセンの勝利……どころか、ナポレオン3世(※皇帝)が捕虜にされたうえ、パリの陥落というフランスにとっては悪夢以外の何物でもない結末になりました。あーあ。

ヴェルサイユに置かれたドイツ軍司令部を描いた絵画/wikipediaより引用

もちろんビスマルクがそれだけで勘弁するわけありません。

フランク王国分割以来の係争地だったエルザス=ロートリンゲン(現フランス領・アルザスとロレーヌ)+50億フランという多額の賠償金(ケタが大きすぎて換算する気にもならない)もガッツリ奪い取りました。

こうしてビスマルクは着々とドイツ統一への道筋をつけていったのです。

いよいよ盛り上がってきたところですが、この先の統一と首相就任の話は
ヴィルへルム1世
と共にマトメたいと思います。以下の記事です、よろしくお願いします。

ドイツ統一の皇帝ヴィルへルム1世 ビスマルクと共に国をマトメた功績とは?

有 ...

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長月 七紀・記

【参考】

『とびきり陽気なヨーロッパ史 (ちくま文庫)』(→amazon link

 



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