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【コンスタンティノープル】
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中世から近代までオスマン帝国の首都となった
それから200年ほど経った14世紀。
今度は勢力を広げつつあったオスマン帝国に攻略され、東ローマ帝国は終焉を迎えました。
以後、20世紀初頭までコンスタンティノープルはオスマン帝国の首都となります。
現在も使われている「イスタンブール」という名前は、オスマン帝国の頃から使われていたようです。といっても当初は固有名詞ではなく、「都心」という意味で使われていた一般名詞だったのだとか。
周辺にイスタンブールに匹敵する都市がなかったからでしょうね。
オスマン帝国皇帝である代々のスルタンは、東ローマ帝国の作った水道施設など、既にあるものの補修を行いながら、自分達の王宮や屋根付きのバザール、モスクや学校・病院・共同浴場といった新しいものも作っていきました。
ムスリムの富裕層を強制的に移住させたり、ヨーロッパ各国から商人などを招き入れたこともあり、東ローマ帝国時代に一度減ってしまった人口が回復し、どんどん大きな都市として進化していきます。
18世紀には57万もの人が暮らしていたといいます。
これは現代の日本の法律で政令指定都市になれるほどの人口ですから、当時としてはかなり大きな歳だったことがうかがえます。
破壊と再生を繰り返しながら2000年以上も存続
19世紀になるとオスマン帝国自体はどんどん弱体化していきます。
が、ヨーロッパと鉄道で繋がったことで、イスタンブールの繁栄は続きました。アガサ・クリスティーの小説で有名なオリエント急行も、イスタンブールに乗り入れています。
オスマン帝国が滅亡し、トルコ共和国ができてからは旧時代の影響を避けるため、首都ではなく一都市となりました。
とはいえ、歴代の帝国が遺した数々の文化や建築物により、今もトルコ随一の都市として賑わっています。
また、20世紀中頃からは道路が整備されたり、郊外に工場ができたりして人口が増え、さらに発展することとなりました。破壊と再生を繰り返しながら、2000年以上も存続しているわけです。
これではまだ100年くらいしか経っていないトルコの首都・アンカラの影が薄くなってしまうのも無理のない話ですね。
まあ、歴史はこれからも作られていくものですし、優劣を競うものでもないですが。
長月 七紀・記
【参考】
コンスタンティノープル/wikipedia
イスタンブル/wikipedia
ビュザンティオン/wikipedia