ロベルト・シューマン

ロベルト・シューマン/wikipediaより引用

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作曲家ロベルト・シューマン 妻へ残した言葉「僕は知っているよ」って???

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シューマン
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ブラームスとの出会いに衝撃

腰を落ち着けようと思って来たはずなのですが、この頃ドレスデンで政治的な暴動が起きます。

シューマンは乱暴なことが嫌いだったので、きなくさい雰囲気の町に留まることを良しとせず、他へ移ることを決めました。

ちなみに、このときの暴動にはワーグナーも一枚噛んでいます。

ホントに気が合わなかったんですね。

運良く、デュッセルドルフで指揮者の仕事が見つかり、またしてもシューマン一家は引っ越すことになりました。

しかし、シューマンは作曲の才能はあっても指揮の才能がなく、そういった教育を受けたこともなかったため、楽団のメンバーが戸惑ってしまって演奏がうまくいきません。

そのために人望が落ちてしまいますが、シューマン本人もクララも原因に気付いておらず、ストレスを溜めてしまいます。

そんな中、まだ成功し始めたばかりのブラームスがシューマン家を訪れました。

一曲弾かせてみたところ、シューマンは最初の数小節で大いに気に入り、クララへ「おいで! 君が今まで聞いたことがないような曲が聞けるよ!」と興奮気味に呼びに来たそうです。そ

ればかりか、ブラームスを応援するための評論を書いてもいます。

ブラームスはこれに大いに感謝し、その後もシューマンの元をたびたび訪れるようになりました。

 

「お前、僕は知っているよ……」 意味深な最期の言葉

悲しいかな、穏やかな生活はほんの束の間のことでした。

ブラームスの初来訪の翌年、シューマンの幻聴が悪化し、入水自殺を図るまでになってしまったのです。

幸い未遂に終わりましたが、その後エンデニッヒという町の精神病院に入院し、亡くなるまで病状が良くなることはありませんでした。

そしてそのまま、入院してから二年後、妻クララに看取られて亡くなりました。

最期の言葉は「お前、僕は知っているよ……」だったといわれています。

シューマン/ wikipediaより引用

この言葉から連想されるのは、クララとブラームスがデキていた説ですが、それはどうでしょうかね。

クララはピアニストとしての名声の他に、8人の子の母親でもありました。

そんな人が夫の存命中から不倫をして、人目に立たないのはかなり難しいのではないでしょうか。

シューマンの死因は長らく謎とされましたが、現在ではカルテなどから「梅毒だった」ということになっています。

言うまでもなく、梅毒は性感染症です。

シューマンが若いころに感染していて、40代になってから発病したとしても、クララに梅毒の症状が全くないのはおかしいような気がします。

上記の通り、この夫婦には8人も子供が要る=夫婦生活もそれなりにあったはずですし、シューマンが精神病院に移ったころ、クララは妊娠中でした。

それなのに、クララに全くうつらないというのは不自然ではないでしょうか。

ちなみに、クララはシューマンの死から40年後、1896年に77歳で没しています。

死因は脳出血だったそうです。

専門家の先生が結論づけたことにケチをつけるのもビミョーですが、何とも釈然としない話ではあります。

個人的には、似たような精神的症状と平静を繰り返していたゴッホの死因として挙げられている病気の中に、シューマンの死因にも該当するものがあるのでは……と思います。

ゴッホも梅毒と診断されたことがありますしね。

現在、シューマンとクララはベートーヴェンの故郷として知られる町・ボンで一緒に眠っています。

シューマンが何に対して「知っている」と言ったのか、二人の間だけでも疑念が解けているといいのですが。

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【参考】
『シューマン (大作曲家シリーズ (1))』(→amazon
『大作曲家たちの履歴書(上) (中公文庫)』(→amazon
『大作曲家たちの履歴書(下) (中公文庫)』(→amazon
ロベルト・シューマン/wikipedia

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