アーサー・コナン・ドイル12

アーサー・コナン・ドイルの肖像画(シドニー・パジェット作)/wikipediaより引用

作家

『シャーロック・ホームズ』生みの親アーサー・コナン・ドイルの素顔

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ボーア戦争で英軍の行った非人道行為を養護

他の政治家からはどう見られていたかというと、案外好意的でした。

ただし、「人気作家を自分の党から出馬させれば、全体的な得票数も上がるだろう」というゲスい理由です。

どこの国の政治家も、考えることは同じようですね。

アーサーは最終的に与党から出馬し、残念ながら落選。

しかし票数としては悪いものではなかったため、党からの印象が下がることもありませんでした。

その後も彼はボーア戦争におけるイギリス軍の非人道的行為について擁護を続けたため、戦争賛成派と政府・国王からは熱狂的な支持を取り付けました。

あまりにも悲惨なのでここでは詳細を割愛しますが、イギリス軍はボーア戦争で「ゲリラに対抗するため」として焦土作戦を決行しており、その地域に住んでいた人々を劣悪な環境の収容所に押し込めていたのです。

名目としては「婦女子の保護」ということになっていました。

が、食料が満足に与えられず、病気が蔓延し、2万人以上の死者が出たといわれています。

これに対し彼は「イギリス軍でも病死者はいるんだから、収容所の環境がおかしいわけではない」(意訳)と言い、また、現地で起きた性犯罪事件についても「そんなのどこの戦争でもある話じゃん」(超訳)とまるで取り合わなかったとか。

それもそうですが、だからといってやっていいことにはなりませんよね……。

驚くべきことに、この擁護ぶりはときの国王・エドワード7世(現女王・エリザベス2世のひいお爺さん)にも認められ、「サー」の称号をもらっています。

サーはファーストネームの前もしくはフルネームの頭につけるものなので、「サー・アーサー」とか「サー・アーサー・コナン・ドイル」になるわけですが、すごく……言いづらいです……。

クイーンズイングリッシュだとそうでもないんでしょうか。

 

戦争による身内の死を契機に、心霊主義へ傾いていく

その後はホームズの復活編を書いたり、冤罪事件の解決に動いたり。

タイタニック号沈没に関する論争をジョージ・バーナード・ショーと繰り広げたり、第一次世界大戦でも「イギリス軍サイコー!」(※イメージです)という主旨の文章を書いたり、あらゆる意味で積極的に活動しました。

が、この戦争中に身内が戦病死することも多く、次第に心霊主義に傾いていきます。

心霊主義とは、ものすごく簡単に言うと「幽霊は本当にいるんだよ!」と信じる考え方のことです。

学説として存在を主張する人もいますし、「いるんだから会話もできるに違いない!」ということで交霊会などを開く人達もいます。

日本で昔流行った「こっくりさん」なども、心霊主義の一端といえるかもしれませんね。

アーサーいわく「戦争で肉親や多くの人の死に直面し、死後も彼らが存在しているはずだと確信した」そうで。

遅すぎる厨二病に目覚めてしまったわけではないんですね。

彼はこの考えを広めることが自身に課せられた使命だと感じ、イギリスだけでなくヨーロッパ全土、そしてオーストラリア・アメリカ・アフリカなどさまざまな国で心霊主義の講演会を行っています。

どっちかというとイギリスがケンカ売って悲劇を生み出した場所の方が多いのような……ゲフンゲフン。

 

死の直前「これから私は最も偉大な冒険に出るのだ」

そんな感じであらゆる面で現役だったアーサー。

60代に入るとさすがに体調不良を訴えることが多くなりました。

度々心臓発作を起こしていたそうで、医師が療養するように言っても聞き入れようとしなかったとか。

自分にも医学の心得があったため、「まだ大丈夫」と思い込んでいたのかもしれません。

亡くなったのは1930年7月7日の朝。

自宅の窓際で風景を眺めながら、静かに息を引き取ったそうです。

しかし、心霊主義者であったため自らの死には前向きで、「これから私は最も偉大な冒険に出るのだ」(意訳)とも言っていたとか。

そう考えられるのであれば、幽霊の存在も悪いものではないのかもしれませんね。

ホームズ作品に心霊主義や幽霊を反映させたとしたらいろいろスゴイことになりそうですが。

被害者が「犯人はアイツなんです!」って言っておしまいですから、そもそも推理小説として成り立たなくなっちゃいますかね。

長月 七紀・記

【参考】
アーサー・コナン・ドイル/Wikipedia

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