フェルメール

フェルメール『牛乳を注ぐ女』と『真珠の耳飾りの少女』/wikipediaより引用

画家

天才画家フェルメール~オランダの斜陽と共に散った青を崇敬したのはダリ

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オランダの経済が停滞し、家族に負債を残して死亡

そんなこんなで、フェルメールの時代には青い絵の具をためらいなく使える画家というのはそうそうおりません。

となると「青」が一角を占めるような絵は、それだけで注目を浴びるというもので。

フェルメールの絵が素晴らしいからこそですが、「青」が目を引かなければ、歴史の中に埋もれてしまった可能性もありました。

彼の努力と反比例するかのように、オランダという国の状況が厳しくなっていったのです。

この頃オランダでは経済が停滞。

皆が娯楽品にお金を使わなくなって絵も売れなくなり、最大のパトロンだった投資家も亡くなるという地獄の三連コンボを喰らいました。

フェルメールは完全に首が回らなくなってしまい、そしてその状況を改善できないまま1675年にこの世を去ってしまいます。

妻カタリーナは負債とたくさんの子供を抱えて頑張りましたが、やはりこの時代に女手一つですべてを何とかすることはできません。

破産申告をすることで管財人に債務処理を依頼し、その後のカタリーナの生活は暗澹たるものだったようです。

 

尊敬しているのかしてないのか常人には判断しがたいが

こうした世の無情により、ヨハネスの作品は長い間、世間から忘れ去られていました。

17世紀の間はまだ彼の名を記憶していた人がいたので、それなりの高値がつくこともありましたが、それを過ぎると急速に「誰それ?」といわれるようになってしまいます。

フェルメールが他の仕事もしていたために作品の数が少なく、しかも買い手が個人的なコレクションにとどめていたことが原因です。

画家本人が社交的か。

あるいは一定数の絵が世に出回らなければ知名度も上がりませんもんね。

しかし。

時が流れて一般の人々を描く画家が増え始めると、「コイツの絵もなかなかいいんじゃね?」と、ヨハネスを再評価する人々が現れ始めます。その代表が……。

サルバドール・ダリです。

彼は

「テーブルとして使われるフェルメールの亡霊」

「フェルメールの“レースを編む女”に関する偏執狂的=批判的習作」

という、尊敬しているのかしてないのか常人には判断しがたい作品を描いています。ダリだから仕方がない。

表現方法はともかく、同業者に評価されるというのはどの業界でも名誉あることですから、草葉の陰で本人も喜んでいたかもしれませんね。

長月 七紀・記

【参考】
ヨハネス・フェルメール/Wikipedia

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