鎖国前の戦国時代。
諸外国からやってきた宣教師たちが、日本を見て「オーーーーー!」と感嘆する。
「武士も庶民もみんなアタマがよくて、この国での布教は難しいネー!でも、やり甲斐あるネー!」という定番のシーン。
あれってどこまで本当なのか?
むろん――書いた人次第――としか言いようがないですが、それでも敢えて結論出すならこうです。
【彼らは日本が凄いだなんて思っちゃいない】
ザビエルやフロイスのように褒め称える人がいれば、ヴァリニャーノのように冷静に記述する人もいる。
そうかと思えば、罵詈雑言や差別バリバリに酷い言葉を書き連ねる人もおりました。
大切なことは
「彼らの立場や背景を考慮して発言を吟味しなければならない」
ということでしょう。
そこで本稿では戦国~江戸初期にやってきた宣教師や商人などの日本見聞記録を振り返ってみます。
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ザビエルとフロイスはどう言ってた?
フランシスコ・ザビエル――。
日本に訪れた宣教師でも、おそらく最も知名度が高い人物でしょう。
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ここで、ちょっと冷静に考えたいところがあります。
彼はなぜ有名なのでしょう?
歴史的に重要だから有名なのか。
日本人にとって心地よい存在だからなのか。
あるいは髪型が小学生にウケるから?
これは他の宣教師と比較すると見えてきます。
実は彼以外の宣教師は、日本を露骨に罵倒あるいは差別している記録も残しているのです。
そう言うと「フロイスはどうなんだ!」って反論されるかもしれません。
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確かに彼の語る日本像は、心地よいものです。しかも記録量もハンパじゃないから、重要視されるのもその通りでしょう。
しかし、です。
時代の影響が大きいのは見逃せません。
フロイスが来日した当初、織田信長はキリスト教布教を認め、寛容でした。
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布教活動がうまくいってるところで罵詈雑言を書き連ねる必要性はないでしょう。
宗教改革という危機感
ここで考えておきたいことがあります。
宣教師がはるばる来日した背景には【宗教改革】という、とてつもない危機感がありました。
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要は、彼らの足元もヤバイから、わざわざ信者を求めてやってきたのです。
そこですぐに布教できそうな人々を見つけたらどうなるか?
ビッグチャンス!
ブルーオーシャン発見だ!
そんな風に喜び、ハイテンションで記録しても不思議はないでしょう。
フロイスの褒め言葉の背景に、そんな事情があったことは意識せねばなりません。
同時にこんなことも考慮しておかねばなりません。
当時、どんな種類の西洋人が、宣教師になっていたのか?
条件をザッと並べてみますと。
・カトリック教国出身
・貴族出身だけど爵位を継承できない二男以下
これは軍人にも言えることで、本人の適性や才能以外に、身の振り方としての宣教師という道もあるのです。
例えばザビエルは、イベリア半島北部の出身。ナバラ王国ザビエル城主の宰相三男として生まれました。
が、程なくしてカスティリーャ王国の支配を受け、貴族たちも没落します。そんな没落貴族三男の進路として、イエズス会に入ったのです。
もともと優秀だったザビエルは、19歳でパリ大学へ。24歳で修士号を取得しました。
没落貴族の子から、聖職者としてのエリート街道へ踏み出したのですね。
そんなザビエルと意気投合したのが、イグナティウス・ロヨラです。
かつて熱血猛将型軍人だったロヨラは、負傷により武器を捨て、宗教へと歩み出しておりました。
情熱的と評価されるナバラ王国出身である二人は、パリ大学で意気投合を果たします。
ここで注目したい点があります。
二人とも、没落した王国出身であり、かつ名誉欲がギラギラ――そんな情熱家タイプです。
「カトリックは今、宗教改革でピンチにある。こんな時こそ、危険を冒してでも布教して、宣教師として“てっぺん”とったるで!」
そんな名誉欲や探究心がなかったと、どうして言えましょうか。
野心マンマンで布教に挑む
確かに日本から見ますと、信心深くて穏やかな宣教師がやってきたように思えるかもしれません。
しかし、そうではありません。
当時は没落貴族や二男坊以下が、人生逆転ホームランを狙って野心マンマンで布教に挑んでいた側面もあるのです。
そんな野心に満ちた宣教師が、布教できそうな土地を見つけたらどう思うか?
テンション上がりまくりますよね。
要は、魚の群れを見つけたようなもんで、喜びに湧く漁師と同じ思考で、ザビエルは語りました。
・もしも日本人がアンジロウ(弥次郎・日本人初のキリスト教徒)のようであれば、新しく発見された諸地域の中で、もっとも知識欲旺盛な民族のいる地域であると思います!
・日本人は中背、容姿端麗。誇り高くてすぐ怒り、武器を大切にしています
・好奇心旺盛で、盗みを嫌います
ザビエルのこうした言葉は、ハイテンションな部分を差し引いた方がよいのではないでしょうか。
もうひとつ、見逃せない要素があります。
情熱的なナバラ人でも、寄る年波には勝てぬもの――ということです。
当時46歳という、初老に達していたザビエルは、日本が最後の土地になるという覚悟がありました。
アジア布教における勢力争い。
叶わぬ明布教という悲願。
南国育ちのザビエルには辛い日本の寒い気候。
慣れぬ生活習慣や言語。
ザビエルは、疲れ切っていました。
これ以上旅をして、新たな環境に馴染むことは無理なのです。そうなれば、ここでじっとして死を待つ方が現実的というものです。
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ではフロイスが、日本のことをともかく好きでたまらなかったと、単純に言い切ることができるのでしょうか。
彼にはもっと悲しい事情がありました。
日本から動けない以上は、ここはよいところだと自己暗示をかけつつ、生きるしかない。そんな悲しい姿も見えてくるのです。
それに大きな幻滅も味わっております。
・日本では男色が盛んです。豚よりも下劣、犬よりも恥知らず、そんな禽獣以下の行為が横行しているのです
・日本の都で布教はできない。足を踏み入れたところ、戦乱のために破壊され尽くしている
フロイスの落胆も仕方ないものがあります。
日本全土で男色の禁忌意識が高まるのは、実に明治時代以降です。
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それでも布教を許された織田信長の時代はよいものでした。
問題は、本能寺の変後です。
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フロイスは色々と理解を深めてゆきました。
ただ日本を褒めただけの人であるはずがないのです。
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