不審死した欧州の王様

不審死した欧州の王様リスト/wikipediaより引用

欧州

不審死したヨーロッパの王様リスト「鴨居に頭を打ちつけ即死」って!

世の中は小説より奇なり――。

特に歴史には濃ゆい話が残っており、時折「イミフ!」としか言いようがない出来事が頻発します。

本日は「???だけが脳裏に浮かぶ」ような出来事をまとめて見てみましょう。

1430年(日本では室町時代・永享二年)10月16日は、スコットランド王ジェームズ2世が事故死した日です。

スコットランドというと、最近では「イギリスから独立するかしないか」でたびたび話題になる国であり、当時はもっとギスギスした状況でした。

ジェームズ2世が亡くなったのは、イングランドとの戦争中のことです。

「王様が戦死」というだけで充分大事件ですが、ジェームズ2世の場合はまた一味違いました。

なんと戦争の真っ最中に

【自軍の大砲が暴発】

して亡くなってしまったのです。

「後方で指揮をとるべき王様が、なぜ暴発に巻き込まれるような至近距離かつ前線にいたのか?」

といった問題を筆頭に、ツッコむべき点が多すぎて困ります。

しかし、妙な最期を迎えた君主というのは、彼に限りません。

他にも「何がどうしてそうなった」としかいえない死因の王様達をまとめてみました。

 

狩猟中の事故……ルイ5世とカルロマン2世

フランスがまだ「西フランク王国」という国だったときの王朝「カロリング朝」で最後の王様です。

その最後になった理由が「跡継ぎのないまま狩猟中の事故で亡くなったから」でした。

当時は政敵であり、この次の王朝の初代となるユーグ・カペーと争っている最中。

つまりどう見ても暗殺でしょう。

後世によるルイ5世の肖像/wikipediaより引用

ちなみに、西フランク王国では、ルイ5世より100年ほど前――カルロマン2世という王様も「狩猟中の事故」で亡くなっています。

ここまで来ると(王様を)狩猟という意味になりそうですね。

カルロマン2世(右)とルイ3世(左)/wikipediaより引用

 

自分で自分に毒矢……ヨハネス2世コムネノス

東西に分かれてからのローマ帝国で、かなりの名君とされる人物です。

シリアでの狩猟中に何故か「自分で自分に毒矢を刺す」という奇怪すぎる事故で命を落としました。

手元が狂ったってことなんですかね……。

ヨハネス2世コムネノス/wikipediaより引用

今際の際に皇位継承者を指名できたのが不幸中の幸いではありました。

 

・ジャン2世 (ブルターニュ公)

不幸の連鎖で亡くなった王様です。

ローマ教皇クレメンス5世の戴冠式に出席し、教皇が乗っているラバの手綱を引いていたとき、観衆が多すぎて建物の壁が耐えきれずに崩落。

クレメンス5世はラバから落ちただけで済みましたが、ジャン2世は壁の下敷きになるという大惨事になりました。

即死はせず、4日後に亡くなったそうです。運がいいのか悪いのかわかりません。

この時代のことですし、もしかしたら救出に時間がかかって、クラッシュ症候群のような状態になったのかもしれませんね。

ジャン2世/wikipediaより引用

ちなみに、このとき助かったクレメンス5世は、その後、自身が亡くなった後に

「遺体が安置された教会に雷が落ち、それによる火災で遺体が激しく損傷する」

というこれまた悲惨な目に遭っています。

死者に鞭打つとは意味が違いますが、状況的にはそうとも言えましょうか。

 

欠陥工事で……ローマ教皇ヨハネス21世

今のところ、唯一のポルトガル出身の教皇です。

別荘で寝ている間に屋根が崩れてきて下敷きになり、それから8日後に亡くなるという非業の死を迎えています。

原因は欠陥工事だったとか……。

ヨハネス21世 (ローマ教皇)/wikipediaより引用

ちなみに、教皇になって8ヶ月しか経っていなかったそうです。つ、辛い……。

 

・シャルル8世 (フランス王)

ブルボン朝の前のフランス王家・ヴァロア朝の王様。

イタリアを巡ってハプスブルク家とドンパチをおっぱじめた人です。

この書き方だと「また戦死か」という気もしますが、実際は違いました。

なんと28歳といういい年で「“うっかり”鴨居に頭を打ちつけてほぼ即死」という、他に類のない死に方をしているのです。

シャルル8世/wikipediaより引用

誰かが背後から頭を掴んで叩きつけでもしない限り、そんなことは起きないと思うのですが……。

どんだけ強打したんでしょうね。

 

日本では四条天皇が「皆を転ばせてやろう!」としたところで……

この他に、ノストラダムスの予言の的中例(?)として有名なアンリ2世など、馬上槍試合で亡くなった王様も何人かいます。

馬上槍試合とは、平時に騎士の技量を磨くための協議会として行われたもの。

ただし、槍に限らずあらゆる武器が使われたため、事故が起きることもよくありました。

なぜそれで対策を講じようとしないのか、不思議で仕方がないですね。

まぁそんなわけで「事実は小説より奇なり」としか言えないわけですが、日本にも当てはまりそうな方がいらっしゃいました。

鎌倉時代に位についていた、四条天皇です。

四条天皇/wikipediaより引用

この方は2歳で天皇になり、11歳のときに「皆を転ばせてやろう」と年相応の少年らしいイタズラを仕掛けたところ、自分で引っかかって頭を打ち、亡くなったといわれています。

幼君が立つといろいろと弊害が生まれやすいものですけれども……。

本人というより周囲が悪かった気もしますね……(´・ω・`)

長月 七紀・記

【参考】
ジェームズ2世_(スコットランド王)/Wikipedia
シャルル8世 (フランス王)/Wikipedia
ルロマン2世_(西フランク王)/Wikipedia
ジャン2世 (ブルターニュ公)/Wikipedia
ヨハネス2世コムネノス/Wikipedia
ルイ5世_(西フランク王)/Wikipedia
ジョフロワ2世 (ブルターニュ公)/Wikipedia
フロリス4世_(ホラント伯)/Wikipedia
馬上槍試合/Wikipedia
ヨハネス21世 (ローマ教皇)/Wikipedia
四条天皇/Wikipedia

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