1918年(大正七年)5月15日、フィンランド内戦が終結しました。
フィンランドという国の名前をご存知の方は多分たくさんいらっしゃるかと思いますが、その歴史となるとなかなか馴染みがないですよね。
フィンランドの歴史をざっくり見つつ、内戦や近現代を見ていきましょう。
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スウェーデンとロシアの狭間で翻弄された歴史
フィンランドというと北欧の一国でもあり、気候的にはなかなか厳しいところです。
しかし旧石器時代から人間が住んでいたそうで、人々は農業・漁業・狩猟をして暮らしていました。
12世紀には北方十字軍によりカトリック化し、14世紀からはしばらくスウェーデンの支配を受けることになります。
宗教面でも大きく影響を受け続け、16世紀にスウェーデンがプロテスタントになったことでフィンランドもプロテスタント化しました。
その後、属国扱いでフィンランド公国という国が作られたのですが、フィンランド人に自治が認められたわけではなく、スウェーデン人が中心だったので長続きしませんでした。
近代からは、他の多くの国と同様、戦争に巻き込まれていきます。
18世紀の大北方戦争で領土の一部をロシアへ割譲することになり、スウェーデンがナポレオンに負けた後は、ロシアの属国に。
ロシアはフィンランド人にロシア語を強制するなどして、自ら不満の種を蒔いていたため後でしっぺ返しをくらうことになります。
19世紀末に、最後のロシア皇帝・ニコライ2世がフィンランドの自治権を廃止しようとしたのですが、暴動やロシア人総督の暗殺という頑強な抵抗を受けました。
そして20世紀に入り、ロシア革命でロマノフ家が倒れると、フィンランドは独立を宣言します。
意外なことに、ソ連はこれを認めました。
富裕層の白軍と労動者層の赤軍で国が真っ二つ
しかし肝心のフィンランド人たちは、社会主義国を成立させたものの一年足らずで内戦により廃止となりました。
この内戦が「フィンランド内戦」です。
内戦自体は4ヶ月程度だったのですけども、それで国の制度がまるっと変わってしまうというのもなかなかダイナミックな話ですよね。
内戦は国内の二つの派閥により行われました。
一つは自作農・資産家を中心とした白軍(白衛軍)。
ドイツとスウェーデンが支援をしております。
もう一つは小作農や労働者などの赤軍(赤衛軍)で、まぁ大方の予想通りソ連がバックについています。
「雇い主」が白
「勤め人」が赤
そう考えてもいいかもしれませんね。
社会主義の基本は「皆で助け合って平等に」というものですから、資産の偏りに不満を抱きやすい小作農や労働者がその考えに賛同したのもうなずける話ではあります。
その舵取りがうまくできるようになったら、たぶん世界平和が実現するのでしょうけども……残念ながら20世紀ではまだ早すぎました。
現在に入ってもそうですし、この先も見えてきませんが。
最初は赤軍優勢だが、司令官クラスは白軍が有能で……
当初優勢だったのは赤軍でした。
同年1月に首都ヘルシンキを制圧し、3月中旬までにフィンランド南部を手中に収めます。
ただし中の人がほとんど民間人のため、初動が早くても統制が取れておらず、決定打に欠けていました。
ソ連は赤軍についたものの、自国の軍を動かすというような積極な支援はしていません。
レーニンにはその気がなくもなかったようですが、そもそもソ連自体ができたばかりで他所のことなんて構ってられない時期でしたしね。
一方、白軍は同年2月にドイツへ救援を依頼し、ドイツ海軍の援護を受けて3月後半に反撃を開始します。
白軍の方も民間人が大多数ということは赤軍と同じでしたが、司令官とその側近が第一次大戦(東部戦線)の経験者だったため、兵卒はともかく上の方は赤軍よりも戦争に慣れていたようです。
これが彼我の差を明らかにしました。
4月には工業都市・タンペレで両軍がぶつかり合い、併せて1,500~3,000人の死者と1万人超の捕虜が出ます。
一週間後には、白軍がヘルシンキをはじめとした都市や赤軍の拠点を奪い、赤軍はソ連へ逃亡。
白軍の勝利が決まりました。
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