身近なモノって、意外と『どうしてそんなカタチや名前になったか?』と考える機会は少ないですよね。
1940年(昭和十五年)5月15日は、全米で初めてナイロンストッキングが発売された日です。
アメリカの化学会社・デュポン社が出しました。
戦争直前のことです。
現在こんなにも親しまれている服飾品が当時から生まれていたというのは意外というかなんというか……彼我の国力の差を感じますね。
禁酒法時代の粗悪な酒でやられたのでは?
実は、この陰には一人の化学者の【哀しいエピソード】が隠れています。
ストッキングの材料となったナイロンを発明した、ウォーレス・カロザースという人物です。
カロザースは25歳で大学教員になったほど優秀な人物だったのですが、若い頃からうつ病を患っていました。
才能を見込まれてデュポン社に招かれ、ナイロンの発明に至り。
それでも最後まで自分に自信を持てず、ナイロンの発明からストッキングとして販売されるまでの間に自殺してしまうのです。
彼は自分の機嫌を治すためにアルコールに頼っていた節があり、ここでひとつ気になります。
当時のアメリカは、禁酒法時代が終わったばかりの頃なのです。
もしかすると、カロザースは禁酒法時代に出回っていた、粗悪な酒によって心身の健康を損ねたのかもしれません。
普通の酒でも飲み過ぎれば依存症その他諸々の病気になるのですから、質の悪いものであれば言わずもがな。
だとすれば、禁酒法が一人の優秀な化学者の命を奪ったとも……まぁ、想像ですけど。
また、ストッキングが発売された時も、ナイロンの発明についてもカロザースの名は表に出されませんでした。
ナイロンの製法はデュポン社の企業秘密とされたため、カロザースは長い間無名のままだったのです。
現在はカロザースの発明したものだけでなく、似たような繊維の総称が「ナイロン」とされているので、身近なものになっていますね。
2000年になってやっとアメリカ科学振興協会から表彰され、少しずつカロザースの名が取り沙汰されることも出てきました。
彼の生涯については、考えれば考えるほど切なくなるのでこの辺にしておきましょう。
中世ヨーロッパで男性が履いていた白いタイツのようなもの
生みの親の最期とは対照的に、ナイロンとストッキングは爆発的に世界中へ広がっていきます。
軽くて細くて丈夫な繊維は、どんな用途でも役に立ちますものね。
「ストッキング」というものは昔から存在していたのですが、現在のように女性の履くものとなったのは、ナイロンが発明されてからのことです。
よく中世ヨーロッパの絵画に描かれている男性が白いタイツのようなものを履いていますよね。
昔はあれがストッキングとみなされていました。
英語では「ホース」といい、このことから現在でも英語でパンティストッキングのことを「パンティホース」というのだそうで。
現在イメージするような女性用のストッキングが好まれるようになったのは、ナイロンが発明されたのはもちろん、女性が活動するようになって、脚を出すような軽快な服装が好まれるようになったからです。
当初は太ももまである長い靴下のような形で、ガーターベルトを使って留めるタイプが主流でした。
今は「セパレートストッキング」とも呼ばれていますね。
ガーターベルトがなくても固定できるタイプも作られましたが、それはごく最近の話です。
ガーターベルトを使うタイプは動きづらい・下着が見えそうになるなどの問題があったため、ウエストまである形のパンティストッキングが生まれました。
パンティストッキングの登場により、膝丈よりもさらに短いミニスカートも流行し、現在に至ります。
「何も履いていないように見えてはしたない」
日本には戦後の1952年に入ってきました。
当時は「何も履いていないように見えてはしたない」という理由で、あまり人気が出ておりません。
縫い目が出ないことがナイロン製ストッキングの売りだったのですけれども、「履いている」ことを示すため、わざと縫い目を作った製品もあったようです。
現代ではあまり見ませんね。
ちなみに、ストッキングに縫い目がないのは、布を縫いあわせて作られているからではなく、糸を編んでいるからです。
ストッキングの表面をよく見ると、編み目が見えます。
これはストッキングだけでなく、靴下も同じです。
やはりよく見ると、細かい編み目が見えますよ。
カロザースは1896年生まれでしたから、自殺しなかったとしても、世界中にナイロン製品が広まるまでの間に亡くなっていた可能性は高いですが……。
「自分が発明したものが多くの人の役に立った」事がわかれば、少しでも慰めになるかもしれませんね。
長月 七紀・記
【参考】
ストッキング/wikipedia
ウォーレス・カロザース/wikipedia
ナイロン/wikipedia
靴下/wikipedia