芸術家や作家というと一つのことに邁進していたイメージが強いですが、中には多才な人もいます。
日本でいえば、作家も軍医もこなしていた森鴎外ですかね。
実は、同時代の違う国にも、鴎外と同じように文理両面で活躍した人がいました。
1859年(日本では江戸時代末期・安政六年)5月22日に生まれた、アーサー・コナン・ドイルです。
シャーロック・ホームズの生みの親ですね。
ホームズがあまりにも有名なので、スゴイ小説家ということしか知られていませんが、実は結構いろいろやっていた人でもあります。
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小説家なのに183cm・108kgの巨漢って!?
アーサーは、スコットランドの首都・エディンバラで測量技師の息子として生まれました。
が、父親がアルコールに溺れて入院してしまい、若い頃は苦労に苦労を重ねました。
ご本人は昔から本が好きで、小説やエッセイをよく読んでいたそうです。
スポーツも好きで、ボクシングやラグビーもやっていたとか。作家さんというとインドアなイメージがありますが、アーサーは体格も良く運動も得意。
いつ計測したものなのかがはっきりしないのですが、183cm・108kgあったそうなので、ヨーロッパ基準で見てもかなり大柄だったようです(特に横幅が)。
体格のことはさておき、伯父達の協力や本人の努力が実り、アーサーはオーストリアへ留学してドイツ語を学んだり、エディンバラ大学医学部を卒業するなどして、医師になることができました。
が、後に大学での勉強をボロクソに罵っているくらいなので、あまり身は入っていなかったようです。
それは診察や評判にも影響したようで、医師として成功を収めることはありませんでした。
同級生と共同で診療所を開いても、自分で医院を開いてもダメで、一時はお先真っ暗に近い状態に陥ります。
「短編はアカン!」でホームズの第一作が生まれた
患者が来ないということは時間に余裕ができたということ。このヒm……余裕を生かして、アーサーは小説を書き始めます。
一体、何がどうしてそうなったのでしょうか。
凡人には測りかねるところですが、雑誌社にかなりの数の短編を投稿し、買い取ってもらえたのはごく一部。
あくまでお小遣い稼ぎにしかならなかったとか。
アーサーはここで「短編だからダメなのかもしれない。一つの作品で単行本になるような長さの小説なら、もっと買い取ってもらえるかも」と考え直し、ホームズシリーズの第一作である「緋色の研究」が生まれます。
これも当初は大ヒットとはいえなかったようです。
が、その後「マイカ・クラーク」という17世紀の反乱事件を題材とした歴史小説で一年の間に三回重版されるほどの人気を博し、小説家として大きな一歩を踏み出します。
その後、ホームズシリーズの第二段「四つの署名」を出版し、これはそれまでよりもかなり高い原稿料をもらうことができました。
歴史小説の執筆も続けており、少しずつ作家としての人気も上がっていきます。
彼の歴史小説の中には、歴史の教科書に使われたものもあるそうで、なかなかの地位にまで到達しておりました。
「ホームズ1000ポンドな!」「ハイッ!」「えっ(´・ω・`)」
医師としての道も諦めたわけではなく、一度診療所を閉めて眼科を開いたこともあります。
結局失敗したのですが、この何にでも挑戦するバイタリティは見習いたいところですね。
その後は作家として生きていくことを決め、医師としての活動をしばらく停止させると、1891年からホームズの短編小説の連載を開始。ここから本格的な人気作家になっていきます。
一方、ホームズの人気があまりにも高くなりすぎて、困ったことも起きるようになりました。
ファンレターの宛先がアーサーではなくホームズになっていたり、サインを求められても「ホームズの名前でお願いします!」と言われたりと、生みの親よりも架空の人物の人気が上回り、存在感が大きくなるという現象が起きてしまったのです。
当然アーサーとしては全く面白くなく、わが子に等しいホームズのことを毛嫌いするようになってしまいました。
「最後の事件」はそういった経緯があったのでああいう話になったわけですね。
また、アーサーはどちらかというと推理小説より歴史小説を書くほうが好きだったので、どうにかして歴史作家として名を残したいと考えていました。
が、ホームズの人気が確立してしまった後ではそれも難しく、ホームズシリーズを連載していた雑誌からも「歴史よりホームズを書いてくださいよ」と言われていたようです。
これまた当たり前ながら、やはりアーサーにとっては気分の良いものではありません。
そこで「1,000ポンドくれればホームズを書いてもいい」とふっかけたところ、出版社があっさり「おk」と言ってきたため、アーサーはまたホームズを書かざるを得ませんでした。
ハッタリって使いどころが難しいですよね(´・ω・`)
まるで米ドラマ『24』のキーファー・サザーランド
その後もホームズシリーズを求める声は強く、何度歴史小説を書いても「これもいいけど、やっぱりホームズを読みたい!」と言われることが多々ありました。
あまりにもハマリ役を演じた俳優さんがそのイメージで固定化されてしまったり、大ヒットしたマンガの作者さんが何を描いても「ああ、○○の人ね」と言われてしまったり。
似たようなケースは現代でもよくありますよね(米ドラマ『24』のキーファー・サザーランドとか)。
そんな折、イギリスは大きな戦争に入ろうとしていました。
ボーア戦争という、南アフリカを巡って起きたイギリスvs現地のオランダ系住民の戦争です。
愛国心が強かったアーサーは兵士に志願しましたが、年齢ではねられてしまい、軍医として現地に赴任。
傷病者を救うべく献身的に働き、イギリス軍の司令官と直接会見して報告を行うなど、責任ある立場になっていたようです。
が、戦争の終結を見届ける前に、彼はなんと政界に進出するため帰国してしまうのです。
以前から考えていたそうなのですが、既に大人気作家になっており、医師としても戦地で役に立てていたにもかかわらず、何を求めて出馬する気になったのでしょうねえ。
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