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【地動説】
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宗教絶対!の中世で都合の悪い天文学
科学はなぜ、宗教の目の敵とされるのか
最もシンプルに考えると、一般人が勉強をして知恵をつけると、教会の教えの矛盾点を付かれて支配しにくくなるからでしょう。
“戦国時代の日本で宣教師がキリスト教を広めようとしたとき「庶民がアレコレ矛盾を付いてくるので布教がはかどらない。日本には最高レベルの宣教師を連れてこないといけないかもしれない」と思った”なんて話がありますしね(もっともこの話は真偽不明です……)。
イスラム圏では地動説の研究が細々と続けられていた節がありながら、やはりイスラム教義と噛み合わず、おおっぴらに主張できる学者もいなかったようです。
中世社会においての宗教は、我々の想像以上に絶対的な存在です。
ルネサンス期に再び科学が発展するまで、フィロラオスやアリスタルコスのように、ヨーロッパで地動説を主張する者は現れませんでした。
そこで改めて地動説を唱えたのがコペルニクスだった……というわけです。
ニュートンの万有引力を機に地動説も浮上し始める
「天体の回転について」はコペルニクスの最晩年……というか亡くなる直前の出版だったため、彼自身が大きく批難されることがなかったのは幸運だったでしょうね。
コペルニクスの時代になっても、天動説派の観測精度が高かったこともあり、地動説がすぐ受け入れられたわけではありませんでした。
お馴染みのガリレオ・ガリレイや、以前当コーナーでも取り上げたジョルダーノ・ブルーノが教会に逆らって割を食った(どころではない)最たる例ですね。
その後ニュートンが万有引力の法則を発見したことにより、カトリックの中でも地動説を受け入れる人が少しずつ増えていきます。
現代でも地動説を信じていない人はいるのですけれども……まあ、それで日々の生活や人命が関わるのでなければ、別にいいんじゃないですかね。考え方の押しつけイクナイ。
日本や中国では?
ちなみに、キリスト教やイスラム教が主流ではなかった中国・日本ででは?
天動説・地動説という概念が育たなかった理由はよくわかりません(´・ω・`)
日食・月食は吉兆を占うもの、天文学は暦を作るためのものであり、「どれがどのように動いているのか」といった主従関係に興味を持たなかったんですかね。
東洋社会で天体の話が出ると、だいたいそういう流れになるので。
一応中国で地動説っぽい話が出たことはありますが、中国神話の影響が伺えるようなダイナミックな話で、西洋のものとは一線を画しています。
「洋の東西によって、同じものを見ていても捉え方や意味合いが全く異なる」という例の一つかもしれません。
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長月 七紀・記
【参考】
『ラルース図説 世界史人物百科〈2〉ルネサンス‐啓蒙時代(1492‐1789)』(→amazon)
地動説/wikipedia
天文学史/wikipedia
アレクサンドリア図書館/wikipedia
ヒュパティア/wikipedia