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ニュートン苦難の生涯~リンゴがなくても万有引力の法則を発見していた?

頭がいい人や、歴史的に何らかの功績を残した人って、何となく人格的にも優れていそうな感じがしますよね。
戦国武将や軍人には気性が荒そうなイメージもありますけれども。

そぁそ、実際にはいかにも天才・秀才な人が、割とめちゃくちゃな性格だったこともあるわけで……本日はそのうちの一人、誰もが知っているあの人のお話です。

1642年(日本では江戸時代・明正十九年)12月25日は、物理その他の学者として有名なアイザック・ニュートンが誕生した日です。

 

未熟児で産まれたニュートン 胎内にいるときに父が……

西洋でクリスマス生まれだなんて縁起がいい感じがしますが、そうとも限りません。

母・ハナの妊娠中に父親が亡くなっていた上、ニュートン本人も未熟児で生まれるというのっけからハードモード。
産婆にも「長生きしないだろう」といわれるほどだったそうですから、相当だったのかもしれません。

ウールスソープの生家/wikipediaより引用

実際、ニュートンは84歳まで長生きしているんですけどね。

日本で言えば、三代家光の後半~八代吉宗の治世前半までにあたります。
いや、日本の将軍が変わり過ぎなんですかね。途中に病弱な人がいたから仕方ない話ではありますが。

まあそれはともかく、母親はニュートンの養育費を得るため、近所の牧師さんと再婚しました。

ニュートンは祖母のもとに預けられましたが、事前にあまり母親が説明していなかったらしく、「家ごと焼き殺すぞ!」という現代の基準でも過激すぎる暴言を吐いたとか。

母親の方も再婚相手と三人の子供を作っているので、息子としては「僕を捨てて新しい男と幸せになりたかったんだ」と思っても仕方のない事です。
でも脅迫はダメゼッタイ。

 

遠回りをしながらなんとかケンブリッジ大学へ進学

そんな感じで物騒な発想を持っていたニュートン少年は、実際に行動に移すことはなく、無事に進学。
13歳で遠くの学校に入ることになったため、母親の知り合いの家に下宿しています。

当時はまだ成長期も終わっておらず、内向的だったためか、いじめられることもあったそうで。

ところがあるとき、いじめっ子とケンカをして勝ったことから、自信を持てるようになったといわれています。

ニュートン14歳のとき、義父にあたる牧師が亡くなり、ハナは別の方法で生活費を得なくてはいけなくなりました。
そこでニュートン父が残した農園を営むため、ニュートンを学校から退学させ、農業に励むよう言いつけます。

しかし、既に勉学の虜になっていたニュートンは、畑を放り出して勉強に勤しんでおりました。

普通の親であれば、力ずくででも畑仕事をさせようとしたでしょう。
ハナは、「この子は畑よりも他のことをやらせたほうがいいのかもしれない」と考え、周囲に相談し、大学へ行かせることにするのです。

2年という遠回りはしながら、ニュートンは無事に復学、受験勉強をした上でケンブリッジ大学へ入ることができました。

トリニティ・カレッジ/photo by Andrew Dunn wikipediaより引用

 

バロー教授に出会って人生が好転す

残念なことに、ニュートンは元々が豊かではないため、学費が払えません。
そこで講師の小間使いをする「サイザー」という身分で入学することになります。

悪い言い方をすれば「お情け」で入学させてもらえているような状態だったため、他の学費を払っている生徒たちとはあまり仲良くなれなかったとか。
ニュートンは精神的に攻撃的な面があったので、どちらにせよ変わらな……ゲフンゲフン。

しかし、悪いことばかりでもありません。
ここで同じファーストネームのアイザック・バローという数学教授に出会い、ニュートンに多大な支援を与えてくれるようになったのです。

恩師のアイザック・バロー教授/wikipediaより引用

まず奨学金がもらえる身分になり、学問の上でもバローに教わるようになってから、次々と新しい定理や法則を発表していきます。
有名な「万有引力の法則」も、バローに師事した後に見つけたものです。

 

りんごは木から落ちたの?→その頃、実家におりまして

万有引力の法則については「りんごが木から落ちるのを見てひらめいた」という話が有名ですよね。

これがどうにもアヤシイようで……。
当時ロンドンではペストが大流行していたために大学が閉鎖され、ニュートンは一時実家に帰っていたのです。

「上げ膳据え膳」とは行かなくても、大学にいるときより自由な時間が増えたおかげで、それまでに考えていたことを理論的にまとめる時間ができたのでした。
つまり、パッと思いついたのではなくて、頭の中を整理した結果、万有引力の法則その他を発表したというわけです。

一方、ニュートンが発表した微分積分法については、別の学者がほぼ同時期に発見しており、法廷で25年(!)も争うことになりました。

その他にも、ニュートンは「自分が正しい!!」と信じたことは天地がひっくり返ろうとも曲げないという質だったらしく、他にもいろいろと論争を繰り広げたという逸話があります。

もしも当時、日英間に何らかの交流があったとしたら、関孝和とも大論争をしていたかもしれません。

80

ちなみにこの二人、同い年です。事実は小説よりも奇なり、ですね。

 

どぎつい逸話は当初伏せられていたのだが……

上記の“母親に暴言を吐いた”など、ニュートンのどぎつい逸話に関してあまり知られていないのは、後世の学者がニュートンのイメージを綺麗にするために“あえて隠した結果”だそうで。

こういうことが一般に知られるようになったのは、経済学者として有名なジョン・ケインズが大枚はたいてニュートンの自筆原稿を購入し、それを広めてからです。

ニュートン自身が所有していた『自然哲学の数学的諸原理』初版/photo by Daniele Pugliesi wikipediaより引用

日本で言えば、織田信長のイメージが「第六天魔王」一色から、いろいろ優しい話が知られるようになって変わってきたようなものでしょうか。

分野も時代も違いますけれども、日本の武将でもままある話ですね。
楠木正成とか石田三成あたりが代表的な気もします。

性格がどうであろうと、功績が変化したり失われたりすることはないのですから、そのまま語り伝えてほしいものですね。

あ、ちなみに母親のことは大きくなってからは大事にしていたそうです。
よかったよかった。

長月 七紀・記

【参考】
アイザック・ニュートン/wikipedia

 



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