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【ラムセス2世】
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アブ・シンベル神殿を守るために世界遺産が始まった
ラムセス2世は建築にも熱心で、テーベからベル・ラメセスへの遷都や、数多くの神殿を建てています。
中でもアブ・シンベル神殿は世界遺産の第一号として著名ですね。
そもそも、1960年代にこの周辺にダムを建設するための移転工事が行われた際、「優れた文化的遺産を残そう」ということで世界遺産という概念が生まれたのでした。
アブ・シンベル神殿には大神殿と小神殿があり、前者はエジプトの太陽神ラー、後者は豊穣・幸運・愛・美を司る女神ハトホルを祀ったものです。
また、小神殿は王妃ネフェルタリのために建てられたとされているので、ラムセス2世にとってネフェルタリはハトホルのような存在だったということを表しているのかもしれません。
ネフェルタリは比較的早いうちに亡くなっているのですが、ラムセス2世は彼女の墓の玄室(棺を安置する部屋)でべた褒めし、「かの人は死によって、余の魂をはるか遠くに奪い去った」とまで評しています。
ラムセス2世はかなり長命だったこと、多くの子供をもうけたことから、寵愛を受けた女性は他にもいたでしょう。
けれども、それでもネフェルタリが一番だったということですね。
他のファラオの妃と違い、ネフェルタリは壁画でラムセス2世と同等の大きさに描かれているなど、その立場の強さがうかがえます。
タージ・マハルといい、王様の愛は物理的にもビッグになるようです。
大神殿には、ラムセス2世自身の像が四体並んでいます。
青年~壮年期の時系列順になっているそうだが、現在は左から二番目の像が地震で損壊したままになっているとか。
修繕の費用や技術者が用立てられないんですかね……?
小神殿にもラムセス2世の像とネフェルタリの像、他に王子・王女の像があります。
ネフェルタリは少なくとも三人の息子と二人の娘を産んだとされているので、この王子・王女の像は彼女の子供たちを模したものでしょうか。
こうしてみると、大神殿がファラオとしてのラムセス2世、小神殿が理想的な神の家族としての王家をアピールするようにも思えますね。
ちなみに統治期間は諸説ありますが、大体60年以上は王の座にいたようです。
まぁ、その点は、日本でも負けてない方がおります。
加賀藩の前田綱紀で、80年間の藩主生活を送りました。規模が小さいとか言わない。
渡航目的は?「ミイラ処理」 職業は?「ファラオ」
強くて背が高くて愛情深い。
ラムセス2世は「ぼくのかんがえたさいこうのおうさま」みたいなファラオなわけですが、現代においても特別扱いされたことがあります。
ミイラが1881年に発見され、20世紀後半、劣化防止処理のためフランスへ運ばれたときのことです。
生きているエジプト人同様にパスポートが発行されたのだとか。
職業は「ファラオ」だったそうです。
シュールだけど本当だから仕方がない( ・ิω・ิ)
フランスへ到着したときも、儀仗兵によって各国の王と同等の儀礼で迎えられました。
後にアメリカでラムセス2世のジーちゃんであるラムセス1世のミイラが見つかったときも、孫と同様にパスポートが発行され、エジプトに戻されたそうです。
今後どこかで研究や修繕がされるときは、常にパスポート付きなんですかね。
ほかエジプト陸軍の戦車にもラムセス2世の名を冠したものがあります。
ファラオが量産されて戦場で砲撃するのか……と思うとビミョーな気がしなくもありませんが、ラムセス2世は他の誰も引けないような強弓を一人で扱えたそうなので、そのイメージからかもしれません。
日本でいうと、承久の乱で知られる後鳥羽上皇も実は武の御仁で凄まじい怪力だったという話があります。それに似てますかね……。
長月 七紀・記
【参考】
『図説 ラルース世界史人物百科〈1〉古代‐中世―アブラハムからロレンツォ・ディ・メディチまで』(→amazon)
ラムセス2世/wikipedia
セティ1世/wikipedia
ネフェルタリ/wikipedia
アブ・シンベル神殿/wikipedia
カルナック神殿/wikipedia