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【バーボンの歴史】
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焦がしてみたら
どのウイスキーでも基本的な製法の流れは同じです。
原料の糖化・発酵→蒸留→アルコール度数調整→樽で熟成という工程なのですが、バーボンではこの熟成に使う樽に大きな特徴があります。
内側を焼いて焦がした樽を使うのです。
これによってバーボンには独特の香りが生まれます。
好きな人にはたまらないのですが、なかなか馴染めない人もいますね。
この焦がす工程を「チャー」というのですけれども、これを始めたのがグレイグだといわれています。
「不注意で焦がしてしまった」とか「古い樽の匂いを消そうとして焼いた」とか由来は諸説ありまして、ほとんど偶然の産物であることは共通しているようです。
発酵とか熟成させる食べ物・飲み物ってだいたいそうですけどね。
というかどの理由にしろあんまり胸張って言える経緯じゃないような……。
というわけでエライジャ・クレイグが「バーボンの父」と言われているのですが、実はもう一人その名に相応しい人物がいます。
同じくケンタッキー州にいたエヴァン・ウィリアムズという人です。
彼はルイヴィルというところでウイスキー作りに欠かせない上質な水を見つけ、ウイスキーを作ったといわれています。
クレイグよりも6年前のことなので、厳密に言えば彼のほうが始祖ということになるのかもしれませんが、クレイグの作ったもののほうが現在のバーボンに近いので、「父」はクレイグとされているようです。
二人ともバーボンの一ブランドとして名を残しているので、どっちがエライとかいう論争はさほどないようですけどね。水も樽も大事ですから。
バーボンはブルボン朝が語源だった
「バーボン」という名前は、実はフランス・ブルボン朝由来です。
独立戦争のとき「フランスがアメリカ側についてくれたから、感謝を忘れないように」ということでまずケンタッキー州に”バーボン郡”という地名がつき、お酒も同じ名前になったのでした。
つづり(Bourbon)をよーく見ると、確かにブルボンともバーボンとも読めそうですね。
ルイ16世が長生きしていたら、ケンタッキー市民からバーボンが献上されるなんてこともあったのかもしれません。
こうしてアメリカで確固たる地位を築いたバーボンでしたが、歴史の流れの中では不遇な目に遭ったこともあります。
独立戦争が終わった頃には一度高額な税金をかけられ、怒った市民達が暴動を起こしたという「な、何を言っているのか(ry」な事件が起きたことがあります。
このときの市民軍の数は独立戦争のときと同規模だったそうですから、怒りのほどが窺えます。
悪名高き禁酒法時代には廃業に追い込まれる業者が出るわ、密造酒が出回るわ、密輸されてきたカナディアンウイスキーに人気が移るわで誰得な状態になりました。
法律そのものがその後ポシャってますから、本当に誰も得をしないばかりか経済的にはドマイナスです。
禁酒法には宗教的な意味合いも大きいため、お上ばかりがアホというわけでもないんですけどね。
こうした事象から明らかなのは「国より嗜好品のためなら命賭けられる人が多い」ということでしょう。
現在でも、日本含めてあっちこっちの規制が絶えていないところを見ると、エライ人たちにはこういう感覚がわからないようですね。
そりゃあ公共の福祉も大事ですけど、単純に規制すればいいってもんじゃないでしょうに。
長月七紀・記
【参考】
『ウイスキー&シングルモルト完全ガイド』(→amazon)
バーボンウイスキー/wikipedia
クレイグ/wikipedia
ウイスキー税反乱/wikipedia
禁酒法/wikipedia