メアリー・ウォーカー

メアリー・ウォーカー/wikipediaより引用

アメリカ

米国初の女性軍医メアリー・ウォーカー 日本じゃ江戸時代に活躍す

新しいものが認められるまでには、多くの時間やらお金やら人望やらが必要となります。

どんなに素晴らしいものでも、偏見や習慣によって長く受け入れられなかったなんてこともありますしね。諸々の差別も、ゆえに解決が難しいのでしょう。

本日は近年にようやく認められた、とある女性の活躍です。

1832年(日本では江戸時代・天保三年)11月26日は、アメリカ初の女性軍医となるメアリー・エドワーズ・ウォーカー(メアリー・ウォーカー)の誕生日です。

とかく女性といえば社会的に不利な立場だった時代のこと。

彼女も並々ならぬ苦労を重ねていました。

 

当初は看護師として戦地で働いていた

メアリーはまず教師として働き、途中、医学を志して当時珍しかった女性の医師となりました。

夫と一緒に開業したものの、その珍しさから信用もされず、あまり患者は来なかったようです。

そんなこんなのうちに、南北戦争が起こります。

メアリーは北軍に参加、そして従軍しようとしました。

しかし、そもそも女性の医師が世間的に認められていなかったため看護師として働き、前線に近い場所で無償で働く姿が認められ、南北戦争の後半にようやく正式に軍医と認められます。

アメリカ陸軍で初となる女性医師の登場でした。

前線を超えて敵地に入り、南軍側にいた民間人の治療も行ったため、南軍にスパイとして捕らえられたこともあります。

運良く数ヶ月後の捕虜交換の際、北軍に戻ることができ、その後は女性捕虜収容所の監督や、孤児院の院長など後方支援に回りました。

 

南北戦争後に名誉勲章 理不尽な要求に「返さんYO」

そんな感じであっちこっちで働いていたので、南北戦争後に名誉勲章を受けています。

現在に至るまで、唯一の女性受勲者でもあります。

もうちょっとそれっぽく言うと「軍人ではないが、医療者としての功績と捕虜生活の苦難に耐えたことを賞する」という経緯でした。

この時代に女性の功績を認めたというのはなかなかスゴイ話ですよね。

南北戦争が終わってから、メアリーは女性の権利や健康といった現代にも通じる分野で講師やライターとして活動し、亡くなる直前にまた一悶着ありました。

議会が「名誉勲章は直接関わった者のみ」と規定を改め、メアリーにも返還を求めてきたのです。なんだそれ、ケチすぎ。

当然のことながら彼女は拒否し、死ぬまで勲章を身に着けていました。

つまり、しばらくの間、違法に勲章を持っていて、そのまま亡くなったことになるのですが、1977年にメアリーの名誉は回復されてお咎め無しになりました。えがったえがった。

軍の間では、彼女の功績を認めていたのか。

第二次世界大戦中の輸送船にメアリーの名を冠したものがあります。輸送船というあたりがニクイですね。

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