こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【メアリー・ウォーカー】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
軍事と医療は密接に関わっており
さて、軍事と医療は相反するようでいて非常に関わりが深いものでもあります。
まぁ、戦争によって各種の技術が発展するわけですから、医学もその範疇に入るということになりますかね。
そんなわけで、軍事と医療が関わるポイントをもう二つほど注目してみましょう。
森鴎外と脚気の話。
ナイチンゲールによる野戦病院の改善。
そういった話もこの分野に入るかと思いますが、その辺の話は以前しているので割愛しますね。
聖ヨハネ騎士団
厨二病患者大歓喜なネーミングですが、もちろんそんな団体ではありません。
11世紀頃、聖地エルサレムにイタリアの商人が作った病院を原型とし、巡礼するキリスト教徒をあらゆる意味で保護するため、騎士修道会へ形を変えました。
少しずつ軍事的な面が強くなり、修道会としての性格を残したことによって、どこの国にも完全には取り込まれず、独自の団体として存続します。
所属員は正式な騎士ではなく、あくまで「武装した修道士」。
そのため普段は聖職者としての勤めや病人の看護などをしていたはずなのですが、スレイマン1世の時代までほぼ負け知らずという戦歴も持っていたりします。
信仰が力になっていた珍しい例かもしれません。
スレイマン1世に負けてからは、地中海のマルタ島に移って「マルタ騎士団」と呼ばれるようになります。
さらに、宗教改革後は影響力と領地を失い、細分化されて各地の支部がそれぞれ活動するようになりました。
軍事的な意味は失われましたが、今でも医療団体としてイタリア軍に協力しており、国連のオブザーバーにもなっています。
今の姿のほうが聖職者として正しい感じがしますね。
捕虜や医療従事者に関する国際条約
戦場にルールなどないのが現実ですが、一応、近代になってからは戦場でも法律が適用されることになっています。
その中でも最も大きく変わったのは、捕虜や軍内の非戦闘員に関することでしょう。
現行のジュネーヴ条約が有名ですが、これは捕虜に対して人道的な扱いをするための国際法をまとめた呼び方です。
実は第一次世界大戦の前から類似の条約があり、欧米を主とした多数の国が批准していました。
第二次世界大戦時、日本はこの手の条約に批准していませんでしたが、アメリカから「こっちは捕虜を適切に扱うけど、そっちはどうなんだよ」(超訳)と聞かれて「おk」(超訳)と答えています。
が、実際にどうなっていたかは皆さんご存知の通りです。
ご存じない方は、くれぐれも画像検索をしないようにお気をつけ下さいね。
長月 七紀・記
【参考】
メアリー・エドワーズ・ウォーカー/Wikipedia
聖ヨハネ騎士団/Wikipedia
俘虜(ふりょ)の待遇に関する条約/Wikipedia